ふっと、日本の人と尾崎豊の話をしたときのことを思い出した。尾崎豊は盗んだバイクに乗って学校のガラス窓を打ち割って回っても、その気になれば大学に行って就職して家庭を築けた経済成長の時代の若者だったのであり、就職氷河期を見て育ち「もはや経済成長はあり得ない、世界は資本主義からのソフトランディングの位置を探している」なんて縮小社会言説がまことしやかに語られている時代の若者たちが天真爛漫にガラス窓を打ち割るわけがない。みたいなことをその人は言っていたのだが、これはハマータウンのおっさんたちと英国の若者たちの人間関係にも似ている。
(ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け』筑摩書房、2020)
こんにちは。昨夜、かつての同僚と久闊を叙する機会があり、ワイルドサイドをほっつき歩きながら、過去と現在と未来の話にほろ酔い加減の花を咲かせました。まさに華金です。メンタルをやられて現場を離れていく仲間を見て育ち「定額働かせ放題」なんてふざけた言説がまことしやかに語られている時代の教員たちが天真爛漫に働き続けるわけがありません。って、個人的にはそう思っているものの、実際には月の残業時間が100を超える先生がたくさんいて、200を超えるような先生もいて、職員室からは「シェリー 俺はうまく働けているか」「シェリー 俺はけっしてまちがっていないか」「シェリー 俺は真実へと歩いているかい」なんて声が聞こえてきます。聞こえてこないけど。
うまく働けていない先生には、校長が声をかけます。
教育委員会からピンポイントで学校長に指導が入るからです。現在は教育委員会にいるかつてのその同僚が教えてくれました。出退勤時刻の全てのデータが教育委員会に上がっているんですよね。それらのデータをもとに教育委員会から学校に電話がいくそうです。いわゆる天真爛漫なもぐらたたきです。不毛なことこの上なし。指導主事となって「現場を変える」を仕事にしているその元同僚も、不毛さを自覚しているようだったので、うまく働けている先生、すなわち月の残業が0~10の先生をピックアップして働き方改革のヒントを得るっていうのはどうだろう、と提案しておきました。問題には常にそれを生み出す構造があり、その構造に着手しなければ改革なんて絵に描いた餅ですから。
「教育を変える」を仕事にする。教育を変えることで社会を変える。そんな思いをもってこの道を志したにもかかわらず、気が付いたら「定時退勤」や「華金」を志すようになっていて、ワイルドサイドをほっつき歩きながら「やっぱり担任だよね」なんて話しているおっさんたち。
シェリー 俺はうまく生きているか?
ブレイディみかこさんのエッセイ集『ワイルドサイドをほっつき歩け』を読みました。副題にあるハマータウンというのは、エスノグラフィーや教育社会学に携わる人々に多大な影響を与えた、ポール・ウィリスの名著『ハマータウンの野郎ども ―― 学校への反抗・労働への順応』のことです。教育関係者なら、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
学校に反抗していたハマータウンの野郎どもは、労働への順応を経て、その後どのようなおっさんになり、今は何を考えながら人生の黄昏期を歩いているのか。代表作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でフレッシュな英国の少年たちを描いたブレイディみかこさんが、連れ合いの母国を複眼的にとらえるべく《人生の苦渋をたっぷり吸い過ぎてメンマのようになった》労働者階級のおっさんたちを地べたから描いた作品。それが『ワイルドサイドをほっつき歩け』です。おっさんを卒業しておじいさんの領域に足を踏み入れたポール・ウィリス(1950-)は「先を越された」って思っているかもしれません。教育って、過去と現在と未来を行ったり来たりして考えないとベターなものになっていきませんから。
クラスにいろいろなタイプの子どもがいるように、ハマータウンにもいろいろなタイプのおっさんがいます。本書に登場する主な登場人物は11人。その11人のおっさんたちの黄昏期が、章を変えながら入れ替わり立ち替わり描かれます。
みんなみんな生きているんだ、友だちなんだ。
例えば1956年生まれの元自動車派遣修理工、レイ。『ハマータウンの野郎ども』には「労働への順応」と書かれていたので、うまく働いていたのかと思いきや、レイは業務にストレスを抱え、やがて大酒飲みに。そして病院送りに。人生の仕切り直しを決心して酒と決別するも、退院してきたときには妻子が蒸発していたとのこと。ここでハマータウンの野郎どもに書かれていた彼らの洞察が発揮されます。
「まあ俺の人生だから、こんなもんだろう」
中流階級や上流階級のイギリス人だったら、なかなかそうは思えないでしょう。期待値の低さはある種の生きやすさにつながることがあります。レイは断酒を続けながら職場復帰し、その後、子連れの若いビジネスウーマンと同棲を始めます。ブレイディみかこさん曰く《ハピネスとはどこに転がっているかわからない》云々。いずれその若い女性とも別れることになるのですが、天真爛漫な感じがして、よい。
「なんかこう、はっきり言ってリアルじゃねえ感じがするんだよな。いつもお前の言うこと」
甥っ子に対してそう言うのは、1955年生まれの元バックパッカー、サイモンです。義務教育終了後に仕事を転々としながら海外を放浪したりして好き勝手に暮らしてきたという独身のおっさんは、一緒に住んでいる甥っ子と口論を繰り返します。甥っ子の母親にあたるサイモンの妹は大学教員と結婚していて、甥っ子と労働者階級のおっさんの間には世代と階級の差が横たわっているからです。でも仲良し。
俺は世界中を旅して働いたから知っているけど、組合の弱い労働者は悲しいもんなんだよ
著者とともに二人がパブで飲んでいると、物乞いの女性が近づいてきて「スペア・チェンジ」と小銭を求めます。現代は縮小社会で格差社会。統計では景気がいいのに路上生活者がどんどん増えているとのこと。サイモンは小銭を恵み、甥っ子はそんなサイモンのことをよく思わずにムスッとします。おっさんよりも若者たちに「自己責任」的な考えが根付いているところ、日本と同じです。尾崎豊もびっくり。
「額に汗して働けば報酬が得られる」みたいな生き方は退屈だと反抗する若者たちがカウンターカルチャーを盛り上げた時代と、「額に汗して働いても報酬が得られるかどうかわからない」歩合制やゼロ時間雇用契約が横行する時代。少しぐらい道を踏み外しても制度で保護された若者たちと、競争競争競争と言われて負けたら誰も助けてくれないばかりか、「敗者の美」なんて風流なものを愛でたのももう昔の話で、負けたら下層民にしかなれない若者たち。
レイと子連れの若いビジネスウーマンが結局別れることになってしまうのも、サイモンと甥っ子が口論を繰り返すのも、尾崎豊の、すなわち「制度で保護されたハマータウンの野郎どもの時代」と「新自由主義の吹き荒れる現代の若者たちとの時代」がうまく中和されないからです。考え方も生き方も、人は時代の影響を受けます。溺れる赤ん坊のメタファーと同じように、やはり社会構造って、大きい。
命短し、恋せよおっさん。
ずっと独身で「ぼっち慣れ」していたおっさんのサイモンが、アンチ・トランプ・デモで出会った女性を連れて著者のところにやってくる。もしかしたら(?)っていう、そんなメイビーな話が後半に登場します。若者だろうとおっさんだろうと「命=時間」は有限なので、俺は愛される資格があるかって、シェリーに尋ねるまでもなく、世間の目などというガラス窓は打ち割っていけばいい。ハマータウンのおっさんからの愛のメッセージです。
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに。
天真爛漫に。