田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

保坂展人 著『学校だけが人生じゃない』より。絶望した少年は退学という道を選び、教科書を閉じて人体実験の旅に。

 そんな僕に必要なのは「学校」ではない。この世の中にはどういう人が生きていて、どんな仕事があって、どんな喜怒哀楽があって、世の中の苦さも温もりも知る「場」を僕は求めていた。そこでこそ自分を見つめ直すことができる。そう思った。あえて言えば、世間の荒波にもまれて「社会」そのものを自分の学校にしようと考えていた。だから、僕は、とりあえずいろいろな仕事をしてみよう。日本全国、どこでも、いろんなところに行ってみよう、と心に決めていた。
(保坂展人『学校だけが人生じゃない』結書房、2006)

 

 おはようございます。学校だけが人生じゃないのに、明日は土曜授業があるし、5日前の日曜日も出勤したし、要するに日月火水木金土と学校まみれでちょっとしんどいというかけっこうイリーガルです。その昔コンビニエンスストアの直営店でアルバイトをしていたことがあって、そしてそのコンビニエンスストアで朝っぱらから社員さんが上司にこっぴどく叱られていたことがあって、その理由は何かといえば、早朝のシフト(AM5時~8時)にわたしが日月火水木金土と連続で入っていたからなんですよね。おそらくは法律的にアウトなのでしょう。たとえ学生アルバイトの短時間労働であっても、たとえ本人が希望したシフトであっても、そんな非人道的なことはお天道様が許さないというわけです。繰り返します。日月火水木金土の連続勤務は、例え短時間であっても法律的にアウトなんでしょうね、きっと。いわんや長時間をや。

 

 きけ、きょういんのこえ。

 

 

 保坂展人さんの『学校だけが人生じゃない』を再読しました。見返しのところに保坂さん直筆のサインがあって、わたしの名前も入っていて、日付は2012年の10月6日となっていて、どうやら過去のわたしは現・世田谷区長の保坂展人さんに会っているらしい。

 日記を読み返したところ、そこには「ミニひと塾」という言葉とともに「内申書裁判、人体実験、魯迅、サイン本」というキーワードが並んでいて、一緒に参加した同僚の先生の「こんな時代は合わせる方がラク」という台詞も並んでいて、記憶が戻ってきました。

 ミニひと塾というのは簡単にいえば教師を含む教育関係者のちょっとした学びの場で、11年には「学びの共同体」の佐藤学さんが、そして12年には保坂さんがゲストのひとりとして登壇していました。「ミニ」なのにずいぶんと「ビッグ」なひとを呼ぶんだなぁ。

 

 こんな時代は合わせる方がラク。

 

 合わせなかったのが、或いはラクな方に流れなかったのが保坂さんです。保坂さんの卒業した千代田区立麹町中学校といえば、現・横浜創英中学校・高等学校校長の工藤勇一さんによる「宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止」が記憶に新しいところですが、旧い記憶をたどれば、1971年、当時16歳だった保坂さんが千代田区と東京都に対して起こした内申書裁判、俗にいう「麹町中学校内申書事件」が思い起こされます。

 

 学生運動が高揚したその時代、僕は、ベトナム戦争におけるアメリカの殺戮行為に加担している日本政府を批判する政治新聞を中学校で発行していた。そして、そういった社会の現実にまったく目を向けさせない学校での授業のあり方、教育方法を批判し続けた。これに対し、学校は僕を押さえ込もうとあらゆる手段を用いた。そして、卒業式当日、学校側は式場から離れた一室に僕を軟禁し、床にねじ伏せた。2時間もの間、教師たちに床に頬を押しつけられた僕は、校内放送から流れる「蛍の光」を屈辱の中で聞いた。

 

 2時間も床に頬を押しつけられていたなんて。ひどいものです。窒息死してしまったらどうするのでしょうか。現在のアメリカだったら抗議運動に発展するレベルです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 さらにひどいことに、保坂さんは内申書に「こいつは政治活動をしている!」という趣旨のことを書かれ、受験した全日制の高校すべてに落ちてしまいます。定時制の高校が保坂さんを受け入れてくれますが、絶望した少年は退学という道を選び、教科書を閉じます。そして、

 

 人体実験の旅に。

 

 学校だけが人生じゃない。高校も大学も出ていない人間はどうなっていくのか。自分の人生で確かめてみようではないか。保坂さんは高校を退学するとともに行政訴訟を起こし、軸足を学校から社会に移します。人体実験とはよく言ったもの。社会そのものを自分の学校にしようと考えたというわけです。

 歩道橋掃除の仕事にはじまり、塾の事務、ジュース工場、八百屋、建設現場の日雇いなど、いろいろな教科ではなくいろいろな仕事から学び、その後に続く教育ジャーナリスト、衆議院議員、そして世田谷区長という未来への土台をつくっていきます。キャリア・パスポートには収まりきらない人生です。

 

 沈黙すると私は充実を覚える
 発言すると、同時に空虚を感じてしまう

 

 魯迅の著作集『吶喊』(とっかん)の最初に書かれている言葉だそうです。保坂さんは魯迅のことを《通信教育の先生のようなものだった》と書いています。学校だけが人生じゃない。先生なら、街の中にも本の中にもいる。そういったことでしょう。

 

 学校だけが人生じゃない。

 

 ちなみに章立ては以下の通り。


 第1章 受験カルト中学からの脱出 ~僕はこうして殻を破り、そしてコースを外れた
 第2章 「解放」から「挫折」へ ~「自分の言葉」を探す日々
 第3章 心の旅 ~内申書裁判、魯迅、そして沖縄
 第4章 青年の生きる学舎にて ~僕の見てきた「学校」の変遷
 第5章 480番目の国会議員ができること
 第6章 子どもたちの「居場所」が失われていく中で ~佐世保事件の取材を経て

 

 この世の中にはどういう人が生きていて、どんな仕事があって、どんな喜怒哀楽があるのか。子どもたちにそれらのことを伝えるためにも、日月火水木金土という非人道的な労働問題、どうにかならないでしょうか。土曜授業があるからといって、月曜日が休みになるわけでもないし。何だかこれも人体実験のような気がしてきました。嗚呼。

 

 行ってきます。

 

 

吶喊 (中公文庫 C 1)

吶喊 (中公文庫 C 1)

  • 作者:魯迅
  • 発売日: 1973/06/15
  • メディア: 文庫