田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

鶴見済 著『人間関係を半分降りる』より。友人から一歩離れ、家族を開き、恋人をゆるめる。そうすれば気楽になれる。

 物書きを始めた90年代に出したすべての本の底流に、この感覚を織り込んだつもりだ。
 例えば『完全自殺マニュアル』という本で言った、「いざという最悪の時には死ぬことだってできるのだと思えば、楽に生きていける」。それはこのあきらめの力を生かすひとつのやり方であり、自分にとっても心の支えだった。
 もう人生も半分以上がすぎた今、「自分が一生をかけて得た一番大きなものは、この感覚なのかな」という気すらしている。
(鶴見済『人間関係を半分降りる』筑摩書房、2022)

 

 おはようございます。先週の土曜日と日曜日に場づくりのプロが主催するサードプレイス的なラボに足を運んできました。サードプレイスというのは「家庭でも職場でもない過ごしやすい第三の場所」のことで、意識の上では普段の人間関係を半分くらいに薄めることができます。

 

 人間関係を半分薄める。

 

サードプレイスにて(2022.8.7)

 

 あっ、完全自殺マニュアルだ。

 

 ラボの本棚を眺めていたら、主催者のOさんが「完全自殺マニュアルはよりよく生きるために書かれた本で、著者の鶴見さんは見田ゼミの出身者なんだよね」と説明してくれました。どちらも知らなかったのでびっくりです。見田ゼミの「見田」というのは、もちろん見田宗介さん(1937-2022)のこと。大澤真幸さんや宮台真司さん、小熊英二さんや中野民夫さんなど、見田ゼミの出身者には私の大好きな書き手さんたちが綺羅星の如く並んでいます。

 

 鶴見さんの本も読もう。

 

 Oさんの説明を聞いて、すぐにそう思いました。ちなみに見田ゼミ出身ではないものの、その昔、Oさんも見田さんの謦咳に触れています。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 ラボからの帰りに立ち寄った本屋で鶴見さんの新刊を購入しました。鶴見さんのことを認識したその日に新刊に出会えるというのも何かの縁だなと思います。

 

 縁は育むもの。

 

 冒頭の引用にある「この感覚」とは《死を想うことは、心の健康を保つ上で欠かせない》という感覚のことです。連想するのはメメント・モリ(死を忘ることなかれ)でしょうか。メメント・モリのもともとの趣旨である「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬかもしれないから」に通ずる『完全自殺マニュアル』も、それこそ明日死ぬかもしれないから、

 

 早く読みたい。

 

 

 鶴見済さんの『人間関係を半分降りる』を読みました。副題に「気楽なつながりの作り方」とあるように、楽に生きていくためにはどうすればいいのかという見方・考え方を働かせることができる一冊です。目次は以下。

 

 第1章 友人から一歩離れる
 第2章 家族を開く
 第3章 恋人をゆるめる
 第4章 こうすれば気楽になれる

 各章を貫く著者の思いは「人間は素晴らしくない」ということ。人間には醜い面があるのだから、少し離れてつながろうということ。人間は素晴らしいという考え方がデフォルトになっているからこそ「ともだち100人できるかな」とか歌っちゃうし家族が閉じてブラックボックスになっちゃうし不倫バッシングは度を過ぎちゃうしどうやったって気楽になれないというわけです。まずは、

 

 友人から一歩離れる。

 

 我々は教室やオフィスといった ”人の詰まった箱” のような場所に入って生きるのが当たり前だと思っている
 人間関係にも家族や近所づきあいなどいろいろあるけれども、まさにこのなかでの関係こそ、「ザ・人間関係」とでも呼びたくなるものだ。
 こういう箱がそもそも人間に合っていないのではないか。自分はそうにらんでいる。

 

 第1章より。産業革命期前の歴史も踏まえた上で鶴見さんがそうにらんでいるように、私もそうにらんでいます。だから授業時数を減らして、子どもたちが教室にいる時間を減らしたい。毎日14時には帰したい。土曜授業なんてなくていい。それなのに《それに加えて今の日本の小中学校では、人間関係の訓練までやっている。運動会や朝礼といった、たくさんの特別活動がそれだ》といった状況があって、ほんと、何とかしたい。人の詰まった箱の中での「ザ・人間関係」がしんどいものにならないよう、毎月無償で80時間以上も残業して、あの手この手で何とかしようとしているのが小学校の学級担任です。でも、それももう限界。不登校の数もうなぎ登り。鶴見さんは《自分は視線の密度の高い高校の教室のなかで、心を病んでしまった》と告白します。曰く《人目が多くて固定されている場所にいると、「どう思われるか」に振り回されがちになる》云々。児童生徒は長く教室にいて「ザ・人間関係」で病み、教員は長く学校にいて「ザ・過労」で病むという現実。アホらしい限りです。解決策は、友人から一歩離れること。そのために、教室を開く。

 

 家族も開く。

 

 何かがあれば誰でも幸せになれて、それがなければ誰も幸せになれないという見方。それは、幸せというものを甘く見ているような気がしてならない。
 生涯子どもを持たない人が、今日本では三割ほどもいてなお急増中だ。そこには自分ほどではなくても、従来の家族像に魅力を感じられないという理由があるだろう。それらの人が、みんな幸せになれないなんてことが、あるわけがない。

 

 第2章より。ここでいう「何か」というのは、子どものことです。子どもを持たない人が3割ほどもいるのだから、そして増えているのだから、もう従来の家族像は維持できません。従来の家族像に付与されている幸せイメージも維持できません。そもそも殺人の過半数は家族間で起きているのだから、従来の家族像に問題があることは明らか。鶴見さんの育った家庭も《ふたつ違いの兄が暴力や嫌がらせなどのいわゆる加害行為をよくやっていた》そうで、兄に殺されたり、正当防衛で自分が殺してしまうことだって起こりえたとのこと。だからこそオルタナティブ家族を考えていかなければいけないということです。家族だからといって無理に寄りそわなくてもいいし、血がつながってなくてもいい。人間ではなく、ぬいぐるみやふわふわクッションを家族にしたっていい。息が詰まりそうになったらサードプレイスに逃げたっていい。鶴見さんはそう言います。愛の溢れた家族のイメージに閉ざされてはいけない。そういったイメージにだまされてもいけない。家族のかたちは多様で、どのかたちが幸せでどのかたちが不幸かなんて一概にはいえないのだから。故に家族を開く。言い換えると、ガチガチの家族イメージをゆるめる。

 

 恋人もゆるめる。

 

 恋愛をしろという ”圧” は、この社会ではあまりにも強い。強い ”圧” の上から何番目かに確実に入る。
 この社会がこれが幸せですよと言っている、「結婚」「子ども」「家族」。これらはどれも、まず男女一対一のペアを作らなければ、始まりさえしない。だからこそ、ペアを作ることには強い圧がかかるのだ。

 

 第3章より。この圧がだんだん弱まってきたというのが鶴見さんの見立てです。圧の弱まりとともに結婚しない人が増えてきた。恋愛が面倒という若者も増えてきた。セックスレスも増えてきた。その理由はといえば《少し意外だけれども、「もう人間がいっぱいになったから」だろう》とのこと。つまりは自然の摂理。コロナのパンデミックで人間の移動が少なくなって大気がきれいになったという話と同じように、人間が少なくなれば地球温暖化にも歯止めがかかるというわけです。少子化は地球にやさしい。そしてせっかく圧が弱まってきたのだから、恋愛をしなくてもいいし、セックスも無理にしなくていい。別れてもいいし、一対一でなくてもいい。若くなくても恋愛していいし、相手はリアルでなくてもいい。鶴見さんはそんなふうにたたみかけます。曰く《自分は三十歳くらいまで、異性とつきあったことはなかった》そうなので、おそらくは恋愛をしろという ”圧” によっていやな思いをたくさんしてきたのでしょう。どうすれば気楽になれるのだろうって、ずっとずっと考え続けてきたに違いありません。

 

 こうすれば気楽になれる。

 

 私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
 私がこの世界にいるのは、あなたの期待に応えるためではなく、
 あなたがこの世界にいるのは、私の期待に応えるためではない。
 あなたはあなた、私は私。
 私たちがたまたま出会い、たがいを見つけるならそれは素晴らしいこと。
 そうでなくても、それはしかたのないこと。

 

 第4章より。ドイツの心理学者であるF・パーズの「ゲシュタルトの祈り」という有名な詩が引用されています。あなたはあなた、私は私と割りきればいいという個人主義のすすめです。そうすれば気楽になれるということ。鶴見さんもこの詩に救われてきたとのこと。村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる《他人が僕をどのように見なそうと、それは僕には関係のない問題だった。それは僕の問題というよりはむしろ彼らの問題なのだ》に通じるでしょうか。あるいは井上雄彦さんの『空白』に出てくる《人が見ている僕はその見ている人が見たい僕。だからその『僕像』が語り得るものは僕ではなくて見ている人自身じゃないか》に通じるでしょうか。いずれにせよ、多くの書き手があなたはあなた、私は私と割りきればいいと言っているということです。学校では「応える」ことに価値を置きがちですが、SNSが他人との比較をかきたてる時代にあって、この割りきりはこれまで以上に重要というか、まさに「祈り」のレベルで必要になってくることでしょう。

 

 私のことは放っておいて。

 

 以上、第1章から第4章までをつまみ食い的に気楽に紹介してきました。つまみ食い故に完全鶴見マニュアルとはいきません。詳しくは、ぜひ手にとって読んでみてください。人間関係を半分降りるための気楽なつながりの作り方と、鶴見済という生き方。

 

 読めば、わかります。 

 

 ぜひ。

 

 

空白 (Switch library)

空白 (Switch library)

Amazon