家族の絆はつねにこの「変化するな」という威圧的な命令を含意しています。だから、若い人たちは成熟を願うと、どこかで家族の絆を諦めるしかない。子どもの成熟と家族の絆はトレードオフなんです。「かわいい子には旅をさせろ」と言うじゃないですか。
(内田樹、内田るん『街場の親子論』中公新書ラクレ、2020)
こんにちは。もうすぐこんばんは。本を読んだり Twitter を眺めていたりすると、若者言葉でいうところの「わかりみが深い」と思える一文にときどき出会えます。上記の「子どもの成熟と家族の絆はトレードオフ」もそのひとつ。中高生の娘をもつ身としては、経験的に、そして記念碑的にわかりみが深い。それから数日前に Twitter で目にした「統制の反対は放任ではなく自律」という言葉。これも長く担任をやっている身としては、経験的に、そして全方位的にわかりみが深い。もうお気づきかもしれませんが、どちらも同じことをいっています。
かわいい子には旅をさせよ。
先人は実にうまいことをいいます。かわいい子というのは、思想家の内田樹さんいうところの《「変化するな」という威圧的な命令》を読み取り、親や担任が望むような変化を生きてしまう、素直な子どものことです。だから家族の絆やクラスの一体感を大切にしている大人は、そういったかわいい子が陥るピットフォールにセンシティブになったほうがいい。かわいい子だったであろう、内田るんさんも《でもいま思うと、そんな変なことをして嘘八百をついたツケが、その後の人生をめんどくさくして苦しいものにしてしまったと思います》と書いています。
変なこと=親や担任への忖度。
忖度も度が過ぎると、親子の関係性が拗れたり、子どもの人生がうまくいかなくなったりしたときに、子どもは親や担任に対して「怒り」や「憎しみ」を、親や担任は子どもに対して「諦め」や「恐怖」を抱くようになります。そんなことにならないように、親はどこかで家族の絆を諦め、担任は統制につながるコントロール欲求を徐々に手放していかなければいけません。そして子どもの成熟と自律を大らかな目で見守る必要があります。木の上に立って見ると書いて「親」。或いは、待てば海路の日和あり。先人はやはり実にうまいことをいいます。
内田樹さんと内田るんさんの『街場の親子論』を読みました。父である内田樹さんと、ひとり娘である内田るんさんとの往復書簡です。古希を迎えようとしている父親と30代の娘さん。内田樹さんは「父親」としてだけでなく、ときに「内田家の次男」として、るんちゃんこと内田るんさんは、父子家庭に育った「ひとり娘」として、それぞれの視点で親子論を描いていきます。
ちなみに下のブログにも書きましたが、両親の離婚に際して、6歳のるんちゃんがママではなくパパを選んだ理由がふるっています。曰く「お母さんと暮らしたら、お父さんともう会えなくなるかもしれない。でも、お父さんだったら『お母さんに会いたい』と言えばいつでも会わせてくれそうな気がしたから」云々。6歳のときの言葉ではなく、何年か後に内田樹さんが「あのときどうしてお父さんを選んでくれたの?」と尋ねたときの答えだそうですが、さすが「かわいい子」です。目の付けどころがシャープすぎます。
高校を卒業して、私は逃げるように家を出て、そこでようやく、二人とも気持ちに余裕が持てるようになったけど、愛している人間に対する「負い目」というものは、近くにいるとよく見えないものだから、ただただ、互いの存在が、自分を不安にするばかりだったと思います。
目の付けどころがシャープだったるんさんも、10代の後半にはギスギスした反抗期とディスコミュニケーションに陥ってしまったとのこと。父親である内田樹さんも、高校を卒業する前に一度家を出ているそうなので、やはり子どもの成熟と「家族の絆」はトレードオフなのでしょう。私も大学を選択するときに「一人暮らしができるところ」というのが譲れない条件でした。譲れないと書きましたが、自分で稼いでいるわけでもないのによくもまぁそんな甘ったれた条件を提示できたものです。親となった今となっては感謝の気持ちしかありません。
子どもとしては、家を出たい。
親としては家族で過ごしたい。
いろいろな家族のかたちがあるので、家を出たいなんて思っていない子どもも、家族で過ごしたいなんて思っていない親ももちろんいるとは思いますが、成熟を願う若者が遭遇する葛藤としては、このパターンが典型のように思います。家を出て成長したい。でも親は寂しがるだろうな。道徳の授業でいうところの葛藤場面です。私の成熟がいまいちなのは、親の心子知らずで、この葛藤がほとんどなかったからなのかもしれません。ステイホームをとるか、ゴートゥーをとるか。葛藤なきところに成熟なし。それは親にとっても同じです。長女と次女が家を出たら、ゾッ……。
91年、二人でフランスとスペインを旅する。
18年、二人でパリへ。
往復書簡の中に、旅のエピソードが収録されています。るんさんが書く「パリ、カルチエ・ラタンの中華食堂にて」と、内田樹さんの書く「僕が離婚した年の長い夏休み」というタイトルの手紙。同じ旅でも二人の見ている光景や二人の覚えていること、考えていたことが違っていて、おもしろいなぁと思います。と同時に、かわいい子には旅をさせよの前には、やはりかわいい子とは一緒に旅をせよだな、なんてことも思いました。それにしても30年後の親子旅行、いいなぁ。
ステイホームよりもゴートゥー with 我が子。
4連休、葛藤です。