田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

ポール・オースター著『ブルックリン・フォリーズ』より。おもしろい大人をたずねて三千里。敗れざる者たちはおもしろい。

彼と同じく、私も大学で英文学を専攻した。そしてさらに、文学を引きつづき学ぶか、ジャーナリズムに挑戦するかといった夢をひそかに抱いていたが、私にはそのどちらを追求する勇気もなかった。人生が邪魔に入ったのだ――二年間の兵役、仕事、結婚、家族を持った責任、より多くの金を稼ぐ必要。自分の思いを打ち出す度胸のない人間をじわじわ引っぱり込む泥沼だ。それでも、本に対する興味は失わなかった。読書が私の逃げ場、慰め、癒し、わがお気に入りの興奮剤だった。
(ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』柴田元幸 訳、新潮文庫、2020)

 

 こんにちは。今日も暑いなぁ、日本もすっかり東南アジアの仲間入りだなぁなんて、20年くらい前に旅した亜熱帯の国々を思い出しながら、タリーズで本を開いてそう思っていたところ「あっ、またパパが一人で珈琲飲んでる。パパばっかり!」って、人生が邪魔に入りました。習いごと帰りの長女と次女です。しまった、今日は週に一度の習字の日だった。夏休みに入り、曜日の感覚をすっかり失っていました。っていうか、なんでわざわざママに連絡しているんだ、長女よ。そのスマホは告げ口のために買い与えたものじゃないぞ。

 

 昨夕の話ですが、泥沼です。

 

 兵役はないものの、人生が邪魔に入り、引用の「私」こと「ネイサン」と同じようにじわじわと引っぱり込まれている感じのするここ最近というかここ数年。20年後くらいに波乱含みのキャリアを振り返って、自分が犯したあらゆる失態、ヘマ、恥、愚挙、粗相、ドジを極力シンプルで明快な言葉で綴るとしたら、今日のこの「パパばっかり!」も書き込もむかもしれません。紀貫之の日記に倣えば、ネイサンもすなる「人間愚行の書」(ザ・ブック・オブ・ヒューマン・フォリーズ)といふものを、私もしてみむとて、するなり。

 

ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)

ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)

 

 

 ポール・オースターの『ブルックリン・フォリーズ』を読みました。少し前に読み終わっていたのですが、余韻を味わいたく、ブログに書くのはしばらくストップしていました。そういった類いの良書です。

 主人公はネイサン。保険関係のもと営業マン。妻がひとり。娘もひとり。妻とは離婚し、娘は結婚して家庭もち。つまり男やもめ。ウジではなくガンがわき、医者には《慎重な楽観を抱くくらいの余地はある》と告げられている。要約すると、頭髪を失い、気力を失い、仕事を失い、妻子を失い、60歳を前にひとりで郷里のブルックリンへ。本文には《ゆえに、自分の物語がはじまった場所への無意識の回帰》とあります。回帰して、残された時間を楽しみながらやりすごすために「人間愚行の書」を書き始める。物語の「序」に描かれている初期設定はそんなところ。物語の構造でいうところの「喪失と回復」(Lost and Recover)にあたる「喪失」が見事に描かれています。

 

 物語の構造Ⅰ「喪失と回復」。
 物語の構造Ⅱ「行くと帰る」。

 

 回復するためには「旅」、すなわち「行く」が必要となります。ジョーゼフ・キャンベルいうところの「英雄の旅」(Heroes and the Monomyth、英雄と輪廻)です。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』然り、村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』然り。コロンビア大学を卒業後に数年間各国を放浪していたという著者のポール・オースターも、若いころの「旅」が創作の源泉になっているのではないでしょうか。文は人なり。本も人なり。

 

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甥っ子のトムと再会🍻

 

 初期設定にあたる「序」で喪失感にまみれたネイサンを描き、続く「予期せぬ遭遇」に出会いをもってくるあたり、さすが物語の名手です。おもしろくないわけがありません。遭遇したのは冒頭の引用でいうところの「彼」です。彼というのは甥っ子のトムのこと。再会したのは古本屋。いわゆる「文学崩れ」のトムもまた、喪失感にまみれた人生を送っています。

 

 甥っ子にでも会うような気持ちで。

 

 ここで物語からいったん離れて、一昨日の夜の話。甥っ子にでも会うような気持ちで、遠方より来たる若者と会い、テラスで乾杯しました。『論語』でいうところの「学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや」です。 SNS経由で知り合ったリアルトム。リアルトムは喪失感ではなく、好奇心にまみれた好青年です。喪失感と好奇心。前向きか後ろ向きかという違いはあれど、足りなさを抱えているという意味では、そしてその足りなさが「旅」や「出会い」を促しているという意味では、喪失感と好奇心は同じかもしれません。

 リアルトムはおもしろい大人を求めているんですよね。世界名作劇場、おもしろい大人をたずねて三千里。或いは日本名作劇場、おもしろい大人を巡る冒険。リアルトムのような行動力や主体性につながる「足りなさ(MISSING)」を、言い換えれば喪失感や好奇心をどう手当てしていくのかという、子育てや教育とも関係する話です。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 物語に戻ります。といってもちょっとだけ。喪失感にまみれたネイサンと、喪失感にまみれたトムが再会し、思いがけない冒険と幸福な出来事が起こり始めるというのが『ブルックリン・フォリーズ』のプロットですが、何に惹かれるのかといえば、ストーリーはもちろんのこと、リアルトムがいうところの「おもしろい大人」ですよね、やっぱり。ネイサンもトムも、ものの捉え方や言葉の選択、そして振る舞いが格好よくて、おもしろくて、惹かれます。喪失感をもっていても、敗れざる者たちというか何というか、キリストと同じで一度敗北してそこから復活しようとしているからこその魅力を放っています、二人とも、特にネイサン。

 

「ハニーはデブじゃないさ。いわゆる『彫像的』ってやつだ」
「僕の好みじゃないですよ、ネイサン。タフすぎる。自信がありすぎる。意見がありすぎる。そういう女性には昔から惹かれないんです」
「だからこそいいのさ。彼女といれば君も気を抜けない」

 

 個人的に好きな会話です。詳しくはぜひ本を手にとって読んでみてください。ちなみにこの『ブルックリン・フォリーズ』を読んだのは、本猿さんのブログがきっかけです。下のブログには『ブルックリン・フォリーズ』以外の本もたくさん紹介されています。きっとというか間違いなく、本猿さんもおもしろい大人です。いつかどこかでお会いしたいなぁ。

 

honzaru.hatenablog.com

 

 人生が邪魔をしたとしても、泥沼にじわじわと引っぱり込まれたとしても、希望を失わずに生きる。リアルトムが求めるような、おもしろい大人になるための冒険。

 

 続きます。

 

 

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羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

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敗れざる者たち (文春文庫)

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