しかし風邪の治療に工夫しすぎた人は、風邪を経過しても体量配分比の乱れは正されず、いよいよひどい偏りを示すこともある。風邪の後、体の重い人達がそれで、他の人は蛇が皮をぬいだようにサッパリし、新鮮な顔つきになる。風邪は万病のもとという言葉に脅かされて自然に経過することを忘れ、治さねば治らぬもののように思い込んで、風邪を引くような体の偏りを正すのだということを無視してしまうことはよくない。体を正し、生活を改め、経過を待つべきである。このようにすれば、風邪が体の掃除になり、安全弁としてのはたらきをもっていることが判るだろう。吾々は体癖修正のために進んでその活用を企画している。
(野口晴哉『風邪の効用』ちくま文庫、2003)
おはようございます。昨夜のマル激トーク・オン・ディマンドは「祝1000回記念」でした。教育社会学者の松岡亮二さんが形容するところの「これだけ優秀なジャーナリスト」の神保哲生さんと、「これだけ優秀な社会学者」の宮台真司さんが、およそ20年にわたって毎週欠かさずに贈り続けてくれたギフト番組です。オンラインで教員免許更新講習を受けるよりもよほど勉強になるのではないでしょうか。しかも安い。平均すれば1回の視聴につき1ドルくらいです。村上春樹さんの新刊『村上T』に《たった1ドルですよ! 僕が人生においておこなったあらゆる投資の中で、それは間違いなく最良のものだったと言えるだろう》とありますが、まさにそんな感じです。
記念すべき第1000回目のゲストは、分子生物学を専門とする、東京大学先端科学技術センター名誉教授の児玉龍彦さんでした。タイトルは「ようやく見えてきたコロナの正体」です。まずは巷でも話題となっている大きな問い。東アジアのコロナの死者数が欧米に比べて相対的に少ないのはなぜなのか。死者の数だけでなく、100万人あたりの死者数を人口比で見ても、アメリカ330、スペイン580、イギリス588、日本7、中国3、韓国5、台湾0.3と、2020年6月5日13時時点で桁が2つも少ない。台湾に至っては3つも少ない。これはいったいどういうことなのか。
中国に近いから。
これが今のところ最も有力な答え(科学的な仮説)のようです。BCGの影響でも、室内で靴を脱ぐ習慣でも、もちろん民度でもなく、中国に近いから。コロナの発生源とされる中国に「近いのに」ではなく「近いから」です。児玉さんも、それからカリフォルニア大学ラホヤ免疫研究所のシェーン・クロッティ教授とアレッサンドロ・セッテ教授も、中国に近いゆえに東アジアの人々は元々新型コロナに対する抗体を持っていた可能性が大きい、と推論しています。わかりやすくいえば、風邪の効用ってやつです。
児玉さんらの推論と風邪の効用は似ている。
マル激を視聴しつつ、ときどきストップして野口晴哉さんの『風邪の効用』をパラパラと読み返しました。野口整体で知られる、野口晴哉さんが風邪の効用について説いた一冊です。冒頭の引用にもあるように、風邪は体を整えてくれるものであって、無理に治さない方がいい。時間をかけて、自然に、ゆっくりと治すことで体は整い、以前よりもパワーアップする。幼児がいろいろなものを舐めたり触ったりしてウイルスを体の中に入れ、風邪を繰り返すことで強くなっていくのと同じ。風邪は治すべきものではなく、経過するものである。闘病という言葉があるが、風邪は闘う相手ではない。野口さんは、そう主張します。
中国に近いから、新型コロナに対する抗体を持っていた。
そう推論されるのは、我々はすでに新型コロナウイルスに似たウイルスによって風邪をひいた経験をもち、その効用によってパワーアップしていた可能性が大きいからです。東アジアの国々は中国に近いから、新型コロナの親戚に当たるようなウイルスをすでに経験していた。そのため免疫効果は完全ではないものの、ある程度までのウイルス量への暴露であれば、発症や重症化を防ぐことができた。逆に欧米は中国から遠いために免疫ができていなかった。それはジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』で指摘しているカラクリと似ている。ユーラシア大陸系の民族が世界に出ていったときに、ユーラシアに特有の病気が、免疫を持たない地域の人々を弱らせ、減少させ、その支配を有利にさせた。そういった理路と同じ。
風邪は自然の健康法である。
野口さんが生きていたら、誰よりも早くそのことに気づいて、マル劇のゲストにも呼ばれていたかもしれません。とはいえ、東アジアの中では、日本の死亡者数は群を抜いて多い。
それはなぜなのか。
おそらくはその「なぜ」を検証する習慣が日本にはないのでしょう。だから民度なんて言葉がニュースを賑わすことになります。今回のマル激では、日本にはフィードバックの習慣がないということも話題にしていました。コロナの正体ではなく、日本の正体です。児玉さんは、日本から計測機器(PCR)等の新しいテクノロジーが出てこないことや、コロナ禍における行政の在り方、例えば文科省の指示によって大学に行くことすらままならなかったということに警鐘を鳴らしています。そしてそれはフィードバックの仕組みがないことに起因しているとのこと。わかりやすい例でいえば、少子化対策に失敗、でもその失敗に対する検証はない。検証がないから、パワーアップすることなく、効用もないままに少子化は進んでいく。
教育現場も同じです。
キャリア・パスポートなど、新たなことが加わるだけで、その効果がどうだったのかをフィードバックし、検証したという話は聞きません。道徳の心のノート、誰か使いましたか。教員免許の更新講習、現場をパワーアップさせましたか。検証して、効果がなければやめればいいのに。
日本社会にも風邪の効用を。
そしてマル激の効用を。