田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

マイク・マグレディ 著『主夫と生活』より。雨上がりの虹に感動する感受性を、自分で守れ。

 俺にとってこの一年は楽しかった! 確かに退屈もしたし、繰り返しにうんざりもしたし、内容のなさに馬鹿馬鹿しくもなったが、それでも、この一年は、俺にとって近来まれな楽しい一年だった。新聞社で絶えず原稿の締め切りに追い廻されていると時間の感覚というものが消えてしまう。俺は、その、消え去った時間というものを取りもどしたのだ。今年、俺は心ゆくまで散歩もしたし、四季の移り変るのを眺め、夕焼け空に感動することもできた。
 今年になって、俺は初めて、本当の意味での家族の一員になれたような気がする。今まで俺は家族以外の人間だったのだ。
(マイク・マグレディ『主夫と生活』アノニマ・スタジオ、2014)

 

 おはようございます。昨日はパラパラと降り始めた雨が突然横殴りの土砂降りになったかと思えば急に光が降り注いだりして一日中おかしな天気で子どもたちも集中力に欠くというかそれはきっと支援のいまいちさのせいなのだろうけれどそれにしたってその態度はどうなのっていう子がいてちょっとすっきりしない一日だったなぁと思っていたら教室に残っていた男の子二人が放課後の空に突如現れた虹に目も心も奪われたみたいで小躍りしながら「虹だ!」って叫んでいてそうやって高学年になっても感動を無邪気に表現できるのは大切なことだし羨ましいなって、

 

 ホント、そう思いました。

 

 小説家でありミュージシャンであり父子家庭の主夫でもある辻仁成さんの『ミラクル』の冒頭の一節に《子供の頃はあったのに、大人になると無くなってしまうものがたくさんある。それらを幾つ無くしたかで、人はどれほど大人になれたかを計るようだ》とあります。学校で絶えず仕事に追い廻されていると時間の感覚というものが消えてしまい、夕焼け空や虹に感動することができません。それもまた、無くなってしまったもののひとつでしょうか。

 

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無くなってしまったもの

 

 無くなってしまったものも、消え去った時間も、取りもどさないと。そうすれば、雨上がりの虹に小躍りする子どもたちと一緒に、ダンスのひとつやふたつやみっつ、心ゆくまで踊れるかもしれない。

 

 自分の感受性ぐらい、自分で守れ、ばかものよ。

  

 

 

 無くなってしまったものと消え去った時間に気づき、それらを取りもどすことに成功した、アメリカのコラムニスト、マイク・マグレディさんの『主夫と生活』を再読しました。著者が40歳のときに、1年間だけ仕事を辞めて主夫となり、家事と子育てにいそしんだという日々の記録をまとめた一冊です。たった1年で、しかも期間限定で、そんな甘い条件で「主婦/主夫」を理解したと思うなよ、というもっともな意見はさておき、訳者は伊丹十三さん、解説は内田樹さんという豪華な顔ぶれ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 伊丹さん曰く《このイリイチの視点からするなら、この「主夫と生活」のフェミニズムというのは、いわば経済的中性者としての夫婦が、ユニセックス経済の中でのシャドー・ワークによるアパルトヘイトに矛盾を感じて、お互いの役割を入れ替えてみた物語ということになる》云々。

 内田さん曰く《現代日本で「主夫という生き方」が選好されない理由はある意味シンプルである。それは何よりもいまのとどまるところを知らず劣化する雇用環境と、とどまるところを知らずに上がり続ける物価上昇という経済条件である。こんな状況下では、夫婦二人で必死に稼いでも、それでも若い人たちは生活が成り立たない》云々。

 

 シャドー・ワークによるアパルトヘイト。

 

 教員のことかと思いました。ついでにいうと《とどまるところを知らず劣化する雇用環境》っていうのも、教員のことかと思いました。なんといっても、教員は給料ゼロのサービス残業を法的に決められた日本で唯一の仕事ですからね。いわばシャドー・ワーク。家事や子育てに代表される女性のシャドー・ワークがなければ日本の経済が成り立たないように、教員のシャドー・ワークがなければ日本の教育も成り立ちません。女性の視点に立つためには、或いは教員の視点に立つためには、役割を入れ替えてみるしかない。まぁ、教員は誰と入れ替わればいいのかわかりませんが。しかし主婦と主夫なら入れ替えることができる。マイク・マグレディさんはそう考え、というか仕事に疲れ、主夫になりました。その代わりにパートナーのコリーンさんが主人となり、いざ会社へ。

 主夫になったマイク・マグレディさんは、生活の中で次のようなことを発見していきます。教員の話に置き換えても、おもしろい。

 

俺はこの日のことをいつまでも憶えているだろう。俺の記憶する限り、俺が自分の三人の子供を大声で怒鳴りつけたのは、この時が初めてであったからだ。子供を怒鳴らないなんていうことは、思えば簡単なことだ。いつも家をあけて、子供たちのひどさを見て見ぬふりをすればいいだけの話だ。コリーヌが笑って会社へ戻って行ったのがそのいい例だ。

 

 パラフレーズすると、夫婦共働きがデフォルトになった日本では、持ち帰り仕事なしの定時退勤が「常識」にならなければいけないのではないか、となります。そうしないと子育て世帯に「見て見ぬふり」が横行してますます学校に「丸投げ」されることになりますから。そして丸投げが過ぎると次のようになります。

 

コリーヌは全く意図的に、遺失物係という報われない役を降りてしまったのである。自分たちの時間だけは大切にするが、コリーヌの時間には全く何の価値も置いていなかった俺と三人の子供たちにとって、これは、今考えてみると大した教育的効果をもたたらしたように思う。俺たちは大きな進歩を遂げた。自分のものを自分で捜すようになったのである。

 

 パラフレーズすると、だから学校ががんばればがんばるほど家庭や地域の力は落ちていくし、教員ががんばればがんばるほど子どもの力は落ちていく、となります。自分たちの時間は大切にするのに、教員は給料の出ないサービス残業を月に45時間ほどよろしくって、そんなことでは大きな進歩は望めませんよっていう話。

 

 コリーヌのいい分はもちろん一から十まで筋が通っている。問題は俺の気持ちであった。家事をコリーヌ一人に押しつけてはならない、それはわかる。しかし、主夫生活を一年続けてきた今、俺にも自己実現への欲求がむらむらと湧いてきたのである。

 

 教員生活を十数年続けてきた今(というかかなり前から)、私にもワーク・ライフ・バランスへの欲求がむらむらと湧いてきています。そして心ゆくまで散歩したり、雨上がりの虹に感動したりすることへの欲求もむらむらと湧いてきています。今まで私は家族以外の人間だったかもしれないから。

 

 つまり、子育ても家事も仕事もバランスよく。
 一丁目一番地の課題は長時間労働の是正です。

 

 行ってきます。

 

ミラクル (新潮文庫)

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  • 作者:仁成, 辻
  • 発売日: 1997/07/30
  • メディア: 文庫
 
自分の感受性くらい

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