田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

重松清 著『卒業ホームラン』より。努力ではなく、報われるという定義を考える。

 パパの買ってくれたコーヒーは無糖ブラックだった。甘くないコーヒーを飲むのなんて、生まれて初めてだ。それに、たしかコーヒーはミルクを入れないと胃に悪いんだとなにかの本に書いてあった。
 でも、まあ、いいか。
 一口啜って、舌が苦さを感じないうちに呑み込んだ。
 おいしいかどうかは、わからない。でも、まずいってほどじゃない。
(重松清『卒業ホームラン  自選短編集・男子編』新潮文庫、2011)

 

 こんにちは。上記の文章(「サマーキャンプへようこそ」より)を読んだときに「カレーライス」みたいだなって思った人はおそらく小学校の教員でしょう。あるいは我が子の音読の宿題にしっかりと耳を傾けているパパやママかもしれません。小学5年生の国語の教科書(光村図書)に載っている重松清さんの「カレーライス」。主人公のひろしのパパが「おまえ、もう『中辛』なのか?」って、小学6年生の我が子の嗜好の変化に驚くと同時に、そのことを喜ぶという「父と子の物語」です。

 

 変化 ≒ 成長
 中辛 ≒ 無糖ブラック

 

 この「カレーライス」の兄弟編ともいえるのが、中学校や高校の国語の教科書(東京書籍、第一学習社)に載っている「卒業ホームラン」です。クラスの子に勧められて手に取った本ですが、中高の教科書に載っているなんて、知りませんでした。高2の長女と中2の次女に訊いたところ、採択している教科書が違うようで「知らない」とのこと。とはいえ、パパとしては読ませたいところです。

 

 中学二年生の典子の様子が、秋頃からおかしい。~中略~。
 難しい年頃だというのは、わかる。
 しばらくは扱いづらいだろう、とも覚悟していた。

 

 聞いたか、次女!

 

 

 重松清さんの『卒業ホームラン』を読みました。著者本人による自選短編集・男子編です。初版は東日本大震災のあった2011年。女子編の『まゆみのマーチ』と合わせて、曰く《自分なりの震災とのかかわり方を考えたすえの刊行》とのこと。震災で親を亡くした子どもたちのために、2冊の著者印税を将来にわたって全額、あしなが育英会に寄付(読者が定価の10%の金額を寄付)するというのだから、買って貢献、読んでホッコリの一粒で二度美味しい一冊です。目次は以下。最後の「また次の春へ ――トン汁」だけは《震災そのものを遠景に置いた》単行本・文庫未収録作品です。

 

 エビスくん
 卒業ホームラン
 さかあがりの神様
 フイッチのイッチ
 サマーキャンプへようこそ
 また次の春へ ――トン汁

 

 オープニングの「エビスくん」がちょっとブラックで出鼻を挫かれるものの、表題作の「卒業ホームラン」は、とてもいい。中高の教科書に載ったり、テレ東でドラマ化(2011年)されたりするだけのことはあります。ちなみにドラマ化されたときのキャッチコピーは、

 

 すべての家族にエールを送ろう。

 

 エール、確かに受け取りました。特に、主人公の徹夫から。元・甲子園球児の徹夫は、中学2年生の典子と、小学6年生の智のパパであると同時に、智が所属している少年野球チームの監督でもあります。

 物語のクライマックスは徹夫が監督として迎える最後の試合。6年間ただの一度も出番のなかった、息子・智の小学校生活最後の試合でもあります。智が6年生になってからのチームの戦績は19勝0敗。

 

 いや・・・・・・ほんとうに公平に見るなら、智よりもうまい五年生は二、三人いる。実力主義を貫くなら、智に背番号16を与えることはできない。
 痛いほどわかっていても、そこまでは監督に徹しきれなかった。父親の自分を少しだけ残してしまった。補欠のこどもの親につい気を遣ってしまうのは、その後ろめたさのせいかもしれない。

 

 ベンチに入れるメンバーは16人。智はいつも、しんがり。しかし20連勝のかかった最後の試合、智はベンチ入りメンバーからも外されてしまいます。実力主義。中辛の世界。無糖ブラックの世界です。

 

「智ってさあ、中学生になったら、あたしみたいになるかもよ。がんばっても、なーんにもいいことないじゃん、って」

 

 中学2年生の典子の台詞です。中辛の世界、無糖ブラックの世界をどうやって我が子に伝えていけばいいのか。過日、競泳の池江璃花子選手の「努力は必ず報われる」発言が物議を醸したように、難しいな。

 

 努力という定義も難しいな。

 

 物議を受けての池江選手の言葉です。どちらかというと、努力という定義よりも、報われるという定義のほうが大切だと思うのですが、どうでしょうか。徹夫は典子の姿を悲しみ、次のように逡巡します。

 

 がんばれば、いいことがある。努力は必ず報われる。そう信じていられるこどもは幸せなんだと、いま気づいた。信じさせてやりたい。おとなになって「おとうさんの言ってたこと、嘘だったじゃない」と責められてもいい、十四歳やそこらで信じることをやめさせたくはない。だが、そのためになにを語り、なにを見せてやればいいのかが、わからない。

 

 やはり、努力ではなく、報われるという定義のほうが大切です。努力は必ず報われるとは限らない。だから《わからない》。報われるをうまく定義しない限り、子どもは報われない努力に振り回されます。

 

 ホームラン!

 

 女は弱し、されど母は強し。先人は実にうまいことを言います。そして智と典子の母親である佳枝も実にうまいことを言います。試合後、無人のグラウンドにて。打席に入った智がショートフライを放つ。

 

 佳枝がグローブをメガホンにして叫んだ。「智、いまのホームランだよ! ホームラン!」と何度も言った。

 

 報われるという定義は自分で考えればいい。他人のものさしではなく、自分に合ったそれをあてればいい。そうすれば、中辛の世界であれ無糖ブラックの世界であれ、幸せに生きていくことができるから。 

 

 聞いたか、次女!

 

 ホームランだ!  

 

 

カレーライス 教室で出会った重松清 (新潮文庫)

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まゆみのマーチ: 自選短編集・女子編 (新潮文庫)

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