今の時代、無償で家事をしてくれる実家は、働く親にとって最大の〈資産〉なのだろう。その〈資産〉の大半を占めるのはベテラン主婦の家事スキルだ。
甘え過ぎだ、と思わないではないし、自分には〈資産〉など必要ない。しかし、その〈資産〉がないというだけでキャリアを手放さざるを得ない人が多いのも事実なのだ。
長野礼子に会ったことで、中谷はそれを実感することになった。
(朱野帰子『対岸の家事』講談社文庫、2021)
こんにちは。パートナーの実家まで徒歩2分、保育園まで徒歩2分、図書館まで徒歩2分という〈資産〉をもっていましたが、それでも「無理ゲー」だったなぁと振り返らざるを得ないのが「共働き夫婦の子育て ~幼児・児童編~」です。無理がたたってゲームオーバーとなり、経済的に苦しすぎる「片働きの夫婦の子育て ~生徒編~」に突入している今となっては、そして介護も加わりつつある今となっては、中谷樹里の《だって仕事なんてその気になれば後で挽回できるもの。でも家族はそうじゃない。そのあたり、達ちゃんはいつもプライオリティを見誤るのよね》という意見に「その通りでした」と首肯せざるを得ません。人生とは「~せざるを得ない」の連続である。長女や次女にそう話しても、10代の彼女たちにとっては「対岸の火事」のようですが、14歳のときに母を亡くし、家事を一手に引き受けざるを得なかった村上詩穂にとっては「隣の火事」だったのでしょう。27歳になった村上詩穂は、次のように考えます。家事は「対岸の家事」ではない。まわりの人みんなで考えるべき問題である。いわんや、
育児をや。
朱野帰子さんの『対岸の家事』を読みました。お仕事小説、ではなく労働小説『わたし、定時で帰ります。』を読み、続編も読み、曰く《なんだかんだ言って、私は労働について考えるのが好きなのです》という朱野さんにはまってしまいました。職業柄、私も働き方について考えるのが好きです。『わたし、定時で帰ります。2』に登場する甘露寺勝が言ったように、働き方とは生き方だからです。教員は、子どもたちに生き方を教える。突き詰めれば、
人間関係を教える。
もっと働きなさい、と言われ、会えないように引き裂かれているのは、あの彦星と織姫だけではない。ここにいない父親たちも、家族で過ごせる時間がどれほどあるだろう。
みんなゲームオーバーぎりぎりの日を孤独に戦っている。
もっと勉強しなさい、と言われ、6時間授業が終わった後も宿題に追われたり学習塾に行ったりして、みんなゲームオーバーぎりぎりの日を孤独に戦っている。そんな子どもたちをつなげ、保護者もつなげ、地域とのつながりもつくりつつ「信頼ベースの学級づくり」をしていくのが小学校の学級担任の仕事だとしたら、専業主婦の村上詩穂が『対岸の家事』でやってのけたことも同じです。言うなれば、
信頼ベースのご近所づくり。
常に2歳の苺と二人きりで、なかなかママ友を見つけられなかった村上詩穂が、マンションの隣に住んでいるワーキングマザーの長野礼子や育休中のエリート公務員である中谷達也、不妊治療中で周囲からのプレッシャーに悩んでいる蔦村晶子や専業主婦の大先輩である坂上さんらと《ゆっくり、ゆっくり》ゆるやかにつながり、信頼ベースのご近所をつくっていく。つくっていく過程でさまざまなドラマや日本社会の課題が描き出されていく。それが『対岸の家事』のプロットです。
学級づくりとの共通点が、いっぱい。
信頼ベースの学級づくりが「子どもたちに任せ、信じて待つ」ということを大切にするように、詩穂もまた、母から譲り受けた《ゆっくり、ゆっくり》という言葉を大切にしているな、とか。学級王国がNGであるのと同じように、家事をひとりで抱え込んでしまうのもNGだな、とか。個人商店と揶揄される学級担任と、絶滅危惧種と揶揄される専業主婦は、孤独という意味で似ているな、とか。そして、こうやって仕事に結び付けて考えてしまうのも、長時間労働という日本社会が抱える一丁目一番地の課題のせいだな、とか。つまり職業病だな、とか。
白眉は、以下。
「わかんない。でも、私強靱になったと思う。弱音も吐けるようになったし、助けてくれそうな人も何人も見つけたし、これからも見つける。それに、クソゲーが嫌なら設計側に回ればいいってわかったから」
「なに、その、クソゲーって」
「バグは自分の手で消さなきゃいけないってイマイが言ってた」と、礼子が言う。
「家事労働をする人みんなで、この業界を育てていかなきゃいけないんだよ」
子どもにはこう言います。弱音はどんどん吐いていいんだよ。勉強ができることも大事だけれど、わからなかったときにわからないってSOSを出す力をつけることの方がもっと大事なんだよ。SOSに気付く力も大事なんだよ。誰かのSOSに応えることが友達をつくる基本の「キ」だよ。世界平和の基本の「キ」と同じだよ。
大人にはこう言います。子育てや介護を含め、家事労働をする教員みんなで、学校の働き方改革を推進していかなきゃいけないんだよ。国民みんなで、それぞれの現場で、長時間労働というバグを消さなきゃいけないんだよ。だから『わたし、定時で帰ります。』と『対岸の家事』は地続きなんだよ。コインの裏と表なんだよ。
だから日本国民に告ぐ。
セットで読むべし。
生きづらさは人のせいか。社会のせいか。社会がクソだから人が生きづらいのではないか。治されるべきは人ではなく社会ではないのか。人を治すことでクソ社会が温存されるのではないか。クソ社会を何の問題もなく生きられる人こそクズではないのか。宮台真司『崩壊を加速させよ』より。#教師のバトン
— CountryTeacher (@HereticsStar) May 13, 2021
パートナーが仕事を辞めてからというもの、家事に偏りが生じてしまっているなと猛省です。今夜はパパの特性カレーライス。詩穂に倣って、ゴボウを入れようかと思います。書き終わるまでに5年くらいかかったという、労作『対岸の家事』。クソ社会を温存しないためにも、
ひとりでも多くの人に届きますように。
祈り。