田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

重松清 編著『教育とはなんだ』より。上げ膳据え膳の無言給食から、子どもたちはなにを学ぶのか。

 小学何年生のときだったか、同級生の女子があやまって牛乳をこぼしてしまったら、担任の先生は「もったいない!」と言って、机の上に広がった牛乳をカップに集めて飲み直せと命じた。
 そういう時代の給食から、ぼくたちはなにを学び、なにを学べなかったのか。ひるがえって、いまの時代の給食から、子どもたちはなにを学び、なにを学べないでいるのか。さらには、親にも子どもたちにも決定権のないところで、なにが決められ、なにがゆがめられているのか……。それを考えることから、給食の再評価あるいは再検証は始まるのだろう。
(重松清 編著『教育とはなんだ』筑摩書房、2004)

 

 こんばんは。学校再開後、給食の準備と片付けを「担任+手の空いている大人」で行っています。子どもたちの給食当番はなし。感染予防という名の上げ膳据え膳です。「机の上に広がった牛乳をカップに集めて飲み直せ」時代とは隔世の感があるものの、ちょっとおかしい。ちなみに手の空いている大人と書きましたが、11人だけでサッカーチームをつくっているような人員不足の学校にキリギリスみたいな大人がいるはずもなく、今日はなんと校長先生が配膳の手伝いをしてくれました。校長先生に「上げ膳」してもらった経験のある小学生なんて、なかなかいないのではないでしょうか。まさにお子さまです。とはいえ、上げ膳と据え膳の間には無言給食という名の重苦しい時間帯があって、そこは完全に子ども扱い。子どもでも大人でもない「小学5年生」にだって決定権はありません。与えられたものを黙々と食べ、食べ終わったら無言で待つ。修業です。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 担任としてできることは、無言給食をマインドフル・イーティング(食べる瞑想)とでも言い換えてリフレーミングすることくらいでしょうか。五感を使って給食を観察してみよう、旬の食材を味わおう、でも時間がないからとっとと食べよう。もはや食べる瞑想ではなく食べる迷走です。マインドフル・ロックダウン。片仮名表記は七難隠す。そういった意味では、小池都知事のオーバーシュートにだって負けません。

 

教育とはなんだ

教育とはなんだ

  • 作者:重松 清
  • 発売日: 2004/04/26
  • メディア: 単行本

 

 重松清さんの『教育とはなんだ 学校の見方が変わる18のヒント』を再読しました。学びの共同体で知られる佐藤学さんや、『AIvs. 教科書が読めない子どもたち』の新井紀子さんを含む17人(苅谷剛彦、東後勝明、新井紀子、清水良典、滝川洋二、鷲田清一、南野忠晴、藤原和博、上野淳、山田真、雨宮正子、坂上達夫、下浦忠治、小貫輝雄、諸富祥彦、玄田有史)と、編著者である重松清さんとのインタビュー集です。 

 

きちんと成熟した関係で支えてくれる親や教師と一緒になって学びつづけているかぎり、子どもは絶対につぶれません。これは、ほんとうにそう思う。だから、一人一人の子どもが学び支え合えるような教室づくり、学校づくりに全力投球すべきですよ、他の要らないものはぜんぶ捨てていいから。全校集会とか要らないでしょう。運動会だって、準備なんて要らないですよ。お祭りなんだから本番の一日騒げばいい。

 

 佐藤学さんの言葉です。コロナ禍を奇貨として、要らないものはぜんぶ捨ててしまえばいい。いまページを開くと、そんなふうに読めます。

 運動会の準備なんて要らない。入退場や開閉会式の練習も、応援団の放課後練習も、全部要らない。昨年、日本初のイエナプランスクール認定校として話題を集めた大日向小学校が、ぶっつけ本番の運動会にチャレンジしていましたが、お祭りなんだからそれでいい。それでいいというか、それがいい。After コロナの時代がやってきたときに、Before コロナの時代の行事が「完全復活」なんてことにならないように、運動会だけでなく、儀式的行事や集団宿泊的行事なども含めて、With コロナの時代に徹底的にスリムアップしておくべきです。

 

 こぼれて広がった牛乳も、
 こぼれて広がった行事も、

 

もったいなくないから捨てましょう。そして教室づくりと学校づくりに全力投球しましょう。オンライン教育がはじまったとしても、リアルな教室やリアルな学校の大切さは変わりませんから。インターネット上の学びの空間『eー 教室』を主催するなどして、15年以上も前からオンラインと教育の新しい関係を探っていた新井紀子さんもそう言っています。

 

先生と生徒が実際に会うということはとても大事なことで、リアルな教室はやっぱり大事なんですよ。リアルな教室が良くならなかったら、教育は良くなりませんよ。

 

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ラオスのビエンチャンの学校にて(01)

 

 密です。笑顔です。自宅のようにくつろいでいます。学校給食って、こういった居心地のよさの中で経験すべきことではないでしょうか。楽しい雰囲気が、よりよい教室やよりよい学校をつくります。だからこそ上げ膳据え膳の無言給食はつらい。コロナの時代の給食から、子どもたちはなにを学び、なにを学べないでいるのか。そう考えてしまうのも仕方がありません。

 とはいえ、机の上に広がった牛乳をカップに集めて飲み直せと命じられるようなおかしな教育を受けても、同じ教室から重松清さんのような優れた小説家が誕生するというのも事実です。もしかしたらそういったトンチンカンな給食指導を見てきたからこそ、重松清さんは小説家になれたのかもしれません。おかしな教育が必ずしもおかしな未来をもたらすとは限らない。

 

 教育って、おもしろいな。

 

 そして、難しいな。

 

 

手づくり学校給食のすすめ

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