フランスは日本から見れば変わっている。試験の答案を鉛筆で書いたり、消しゴムで消したりするのを認めない。万年筆を使う。一度書いたものは(棒線で抹消しても)事実として残る。さらに奇妙なのは答案に「美しさ」を求めるのだ。数学で答えが間違っていても、美しくあればいくばくかの点数をくれる。なぜだ?
幼少時から「正解のない問題に対応できる力を鍛える」。このために、採点しやすい二択・三択問題や〇×式の設問をしない。
(岩本麻奈『人生に消しゴムを使わない生き方』日本経済新聞出版社、2017)
おはようございます。自宅で迷子になっていた本がようやく見つかりました。岩本麻奈さんの『人生に消しゴムを使わない生き方』です。ロフトにつくった本棚に控えめな感じでささっていました。
年齢とともに本が増えすぎてしまって「あの本、どこに置いたっけ?」ということが最近よく起こります。ダイヤモンド・プリンセス号に巣くう新型コロナウイルスと同じように、増殖する本もまた、臨界点を超えると収拾がつきません。現状、右にも左にも目の前にも本が並んでいます。足下にもあります。ブロガーのインクさんが以下の記事で試みていた《今すわっているところから一歩も動かずに見える文字を羅列してみました》なんて作業をやろうものなら、それこそ相当な障壁にぶつかることになります。
ツイートの3行目。id:taishiowawa。【金】推敲において「消しゴムで消して書き直す」という作業は相当な障壁。おはようございます。JUNKUDO。サントリー烏竜茶。寒い中、毎日お疲れ様です。お支払期限日2020年02月17日。一般会員と学生会員について。電源
PLASTIC ERASER MONO
消しゴムといえば、岩本麻奈さんの「フランスの学校では消しゴムを使わない」っていう話を思い出すな。本のタイトルはたしか『人生に消しゴムを使わない生き方』だったな。代官山の蔦谷書店で行われた出版記念のトークイベント(2017年10月27日)にも行ったな。インクさんがパスを出してくれたのだから、書こうかな。さて、どこにあるだろうな。あれ、ないな(金曜日の夜)。おっ、あった(土曜日の夜)。
今、これを書いている経緯は、そんな感じです。
当時の日記を読み返したところ、次のようなメモがありました。トークイベントのときの岩本さんの言葉です。
同じことよりも違うことに価値を。
違うことよりも同じことに価値を置いているように見える日本と、間違いなく同じことよりも違うことに価値を置いているフランス。岩本麻奈さんの『人生に消しゴムを使わない生き方』を読むと、その違いがどこから生まれてくるのかがよくわかります。岩本さん曰く《日仏の違いをずっと目の当たりにして、何が違うのかを考えた。真っ先に思いついたのは教育である》云々。やはり教育です。冒頭に引用した、教育現場における「設問」の違いも、価値観の違いを生むひとつの要因として挙げられています。
正解のある問題に取り組む日本の子ども。
正解のない問題に取り組むフランスの子ども。
大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウイルスの集団感染が発生しました。あなただったらどのように対応しますか。現在、日本政府が問われているのは、この「正解のない問題」です。その対応のまずさに諸外国からの批判が相次いでいるそうですが、うまくいかないのも無理はありません。日本政府にいる大人のほとんどが、おそらくは正解のある問題に取り組み続け、そして優秀な成績を収めてきた結果としてそこで働いているからです。
鉛筆と消しゴムを使う日本の子ども。
万年筆を使い、消しゴムは使わないフランスの子ども。
「1+1=?」のような「正解のある問題」に取り組むと、消しゴムが必要になります。不正解だったときに消して正解にする必要があるからです。結果として、違うことよりも同じこと、すなわち「正解すること」に価値があるとすり込まれていきます。シュレッダーを使って都合の悪いことを闇に葬るような大人が出てくるのも仕方ありません。おそらくは教育によって、人生にシュレッダー(消しゴム)を使わない生き方ができなくなっているからです。
一方、哲学の命題のような「正解のない問題」に取り組むと、消しゴムは不要になります。書くことによって立ち上がる「思考のプロセス」こそが重要だからです。そこに正解や不正解はありません。あるのは「違い(個性)」だけです。フランスの小学校では、「考えていることを、正しい国語で、正確に表現する」ために、国語の学習に授業時間数の半分を割いているそうです。岩本さんが「同じことよりも違うことに価値を」というのも頷けます。
ちなみにフランス人は恋愛にも消しゴムを使わないそうです。映画『冬時間のパリ』や、ヘミングウェイの『移動祝祭日』が典型ですが、恋愛は常に「揺らぐもの」であり、『冬時間のパリ』でいえば「永遠に変わらないためには、変わり続けなければならない」からです。揺らぎや変化を消しゴムで消してしまったら、恋愛でも、そして人生でもありません。これも正解や不正解ではなく、思考のプロセスが大事にされることと構造は同じです。だから『冬時間のパリ』のような不道徳な映画がカジュアルに成り立ちます。
同じことよりも違うことに価値を。
だって違うことは美しいから。