少なくとも生きることがつらいと思うことは減り、死んでしまいたいと思うことは無くなった。「世の中は未完成で、生き方に正解はない。だから私にもできることがあるかもしれない」。なんの根拠もないただの勘違いだ。でもそんな勘違いが、17歳の私を研究者の道へすすませた。
(吉藤オリィ『ミライの武器 「夢中になれる」を見つける授業』サンクチュアリ出版、2021)
おはようございます。先週の通勤(🚃)のお供は月火水がロボット開発者の吉藤オリィさんで、木金が小説家の平野啓一郎さんの新刊でした。オリィさんは『ミライの武器』、そして平野さんは『本心』です。もしかしたら平野さんはオリィさんが開発した分身ロボット「オリヒメ」にヒントを得たのかもしれないって、リアル・アバターという職業が登場する、近未来小説の『本心』を読みながらそう思いました。リアル・アバターというのは、要するにオリヒメのようなものを「装着」して、依頼者の「分身」として外出し、疑似体験を引き受けるというミライの職業です。
えっ、オリヒメを知らない?
ほとんど外出することはなかったYさんに、私がオリヒメというロボットを研究していることを説明すると「マンションの下に桜が咲いているので、花見に行こう」ということになった。
娘さんがオリヒメを持ち、Yさんにお花見へ出かけてもらった。
YさんはiPad越しに、オリヒメの見ている風景を眺めた。コンビニに入り、店員と会話し、飲み物を買った。そして桜を見た。
Yさんは、オリィさんが人生で初めて出会ったというALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんです。ALSだろうと不登校だろうと、思うように動けない人でも自宅にいながらにして外に出たり、カフェで働いたりすることができるようになったら、
孤独の解消に役立つ。
そう思った「不登校経験者」のオリィさんが、発明・開発したのがオリヒメというわけです。孤独の解消というのは、冒頭の引用にある《世の中は未完成で、生き方に正解はない。だから私にもできることがあるかもしれない》という、17歳のオリィさんいうところの「勘違い」を生んだ、以下の考えのこと。
「私は孤独を解消するために生まれてきた」。そう言えるようになりたいと思い、残りの人生すべてを「孤独の解消」に捧げようと決めた。
オリィさんがそのような考えに至ったのは、開発した車椅子を引っ提げて、アメリカで行われているISEF(インテル国際学生科学フェア)に出場したことがきっかけです。オリィさんはそこでさまざまな気付きを得たそうです。私が死ぬまでやっていきたい研究はこれ(車椅子)じゃない、世の中は私が思っていたより全然完璧じゃない、等々。そういった気付きをもとに、帰国後、オリィさんは「残りの命を使う目的」「まだ死ねない理由」を設定します。すると《何をするにも迷わなくなった》云々。つまり四十にしてではなく、
十七にして惑わず。
吉藤オリィさんの『ミライの武器』を読みました。副題は、「夢中になれる」を見つける授業。コピーライター・コンセプターの梅田悟司さんに『「言葉にできる」は武器になる』という著書がありますが、「夢中になれる」も武器になる。特にこれから大人になる子どもたちには欠かせない、
ミライの武器になる。
そのことを伝えるために、『ミライの武器』にはオリィさんの半生というべき「カコ」と「イマ」と「ミライ」がわかりやすくまとめられています。小学5年生から中学2年生まで不登校だったという「カコ」が、どのような「イマ」の積み重ねを経て、研究や発明に夢中になれている「ミライ」につながっているのか。やはり、言葉にできるは武器になる。もとい、夢中になれるは武器になる。では「夢中になれる」ためにはどんな力が必要なのか。それは時間割風の以下の目次に書かれています。
1時間目 自分の違和感に気づく力
2時間目 とりあえず試す力
3時間目 「できない」を価値にする力
4時間目 誰かに発信する力
さいごの時間 託す力
1時間目。オリィさんは小学生だったときに友達の車椅子で遊んでいて先生に怒られたそうです。そのときに強烈な違和感をもったとのこと。なぜ《誰かとメガネを交換して「わあ、おまえのやつ世界がゆがむわ!」といって盛り上がったりするのは日常》なのに、車椅子はダメなのか、と。きっとその車椅子の持ち主の親は相当なクレイマーで、車椅子が壊れでもしたらとんでもないことになるのでしょう。逆にメガネの持ち主の親は相当にマイルドなのでしょう。同じ「先生」の立場からはそんな背景が見えてしまいますが、それはともかく「どうしてそんなことでしかられるの?」という違和感をオリィさんは大切にした。そしてその違和感をもとに工業高校で「かっこいいSFな車椅子」をつくり、やがては「こたつがついている車椅子」まで発明してしまった。
我慢が嫌いな私はこう考える。「外出のためにこたつから出るのは発明が足りない」と。
そうそう、車椅子といえば五体不満足の乙武洋匡さんですね。私は乙武さんを経由してオリィさんの存在を知りました。我慢にまつわる二人のトークを聞きに行ったときの話はこちら(↓)です。黒い白衣、強烈だったなぁ。
2時間目と3時間目。「とりあえず試す力」と聞くと、ITエンジニアの中島聡さんの「ロケットスタート」が頭に浮かびます。四の五の言わずにとっととプロトタイプをつくってみろ、と。オリィさん曰く《どんな経験が、あとでどんなふうに活きてくるかなんて誰にもわからない》のだから。そうであれば、何でも試してみた方がいい。「とりあえず」というフットワークの軽さが大事ということ。3時間目には《早くつくって、早く試すこと。早く失敗し、「できない」を発見すること》とあります。
できない ≒ 発見。
この主張はエジソンに通じます。失敗ではない、うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ(!)っていうあれです。学校でいえば、道徳や学活の授業で教える「リフレーミング」といえるでしょうか。ちなみにオリィさんがそのような考えに至ったのは、おそらくご両親の影響が「でっかい」。体操教室やら少林寺拳法やらスイミングスクールやらピアノやらバレーやらミニバスやら絵画やらキャンプやらバードウォッチングやら料理やら漫画やら図鑑やら、不登校になる前もなった後も、オリィさんはご両親に何でもやらせてもらったり与えてもらったりしたとのこと。オリィさんの母親の台詞がふるっています。
「学校に行くのがつらければ、行かなくてもいいし、他の子と同じように勉強をがんばらなくてもいい。毎日、目を輝かせて楽しそうにしていてくれさえすれば、親としてはそれで十分だ」
同じ親として、全面的にアグリーです。
4時間目とさいごの時間。4時間目には番田雄太さんというゲスト・ティーチャーが登場します。番田さんは4歳のときに交通事故に遭い、以来、病院の中でずっと寝たきりの生活をしている重度の障碍者です。やがて相棒・親友となる二人が出逢ったのはオリィさんが26歳、番田さんが25歳のときのこと。きっかけは番田さんの「発信」です。首から下がまったく動かない番田さんは「あごにペンマウスを乗せてパソコンを操作」し、何年間もかけて6000人以上にメールを送り続けていたそうです。
メールのやり取りをしながら、はじめは変わった人だなと思ったが、彼のFacebookの個人ページを見て、彼の人生を知ってぞっとした。それと同時に強烈に会いたくなった。
なぜならば、オリィさんには「できない」を価値にする力があるからです。20年間も身体を動かしたことがないという特性には強みがあり、価値がある。
どれくらい?
番田さんの講演に全国から依頼が殺到するくらい!
番田さんとの出逢いは、オリヒメの開発・改善を加速させます。もしもまだ番田さんが生きていたら、子どもたちにも番田さんの話を聞かせたかった。そして番田さんの思いを受け取ってほしかった。さいごの時間でいうところの託す力、そして託される力。近内悠太さんの贈与論を援用すれば、贈与は、差出人ではなく、受取人の想像力から始まる、という話です。託す力に加えて、託される力、すなわち受取人の想像力は、
ミライの武器になる。
想像力が欠けると、オリヒメが悪用されることになります。平野啓一郎さんの『本心』には、そういった可能性が示唆されています。発明品をどのように使うのかは、人の「本心」にかかっている。今日はこれから『本心』のクライマックスを読みます。
楽しみです。