僕はいつも官僚の批判ばかりしているが、現代でも役所の三十代は極めて優秀な人が多く、改革に燃えている人材は少なくない。実際に接して、そう強く感じる。国会の大臣答弁をまとめているのは三十代くらいのキャリアだ。
日本にはそういうボトムアップなところがあって、戦前でいえば髙橋中尉や模擬内閣もちょうどその年代に国の運命を左右する場に立った。だからこそ、いまのうちに「空気」にとらわれない「歴史意識」を、「日本の近代」の講義を通して、髙橋中尉や模擬内閣の苦悩を通して磨いてほしかった。
(猪瀬直樹『空気と戦争』文春新書、2007)
おはようございます。オリンピックのニュースの賑わいとともに、コロナの新規感染者数もかなり増えていますが、東京は大丈夫なのでしょうか。素人には、メディアに流れている数字が本当なのかどうかもよくわからず、ただただ不安です。
数字を誤魔化すと国が滅びる。
ファクトとロジックを重視する猪瀬直樹さんの言葉です。この言葉を《信じて疑わない》という猪瀬さんが都知事だったら、少なくとも数字が誤魔化される心配はしなくてすむのですが、例えば《戦前に陸軍省という役所が石油需給量のデータを独占し、意のままに操作してきたのと同じ光景が、いまや道路需要推計をめぐって国土交通省という役所で起こっている》なんて話を聞くと、それと同じ光景が都庁でも起きているのではないかと邪推してしまいます。
むかし陸軍、いま都庁。
猪瀬直樹さんの『空気と戦争』を再読しました。2006年度に開講された、東京工業大学での講義を再現した一冊です。講義のタイトルは「日本の近代」。特任教授として招かれた猪瀬さんは「理工系の学生を相手に講義をするのであれば、あの青年のことを伝えなくてはならない」と思ったとのこと。あの青年というのは、第一章のタイトルに登場する高橋健夫中尉のことです。目次は、以下。
はじめに
第一章 東條英機に怒鳴られた二十六歳の高橋中尉
第二章 三十代の模擬内閣のシミュレーション
第三章 数字が勝手に歩きだす
第四章 霞ヶ関との戦い
おわりに
なぜ日米戦争がはじまったのか。
技術者の倫理とはなにか。
東工大の学部生や院生に、この2つのことを伝えるために、猪瀬さんは高橋健夫さんのことを話題とします。昭和16年当時、26歳の技術者だった高橋さん。猪瀬さんは『燃料大観(燃料協会創立五十周年記念特集)』という地味で分厚い論文集を読んでいたときに高橋さんのことを知ったといいます。
燃料大観?
神田の古書店に積まれていたそうですが、普通読みません。そしてその中に書かれていた高橋さんの「陸軍と燃料」という文章が眼にとまったそうですが、普通会いに行きません。しかし、そこはあの『昭和16年夏の敗戦』を書いた猪瀬さんです。子どもたちの手本となるような「探究心」と「行動力」をナチュラルに発揮して、高橋さんに会いに行きます。すでに62歳になっていた高橋さん曰く、
「いまから考えるとそのような緊迫感と日常の仕事とがちっとも結びついていなかったのがむしろ不思議にさえ思う。ムードとしてはずっと以前からいずれ米国は石油の禁輸をしてくるにちがいない、その時は南進するのだな、という概念にみながとらわれていたにもかかわらず、肝心の主務課であるわれわれの課はもちろん、よそをみてもたいへんなことになりそうだといっても、だからどうしようというような動きは見られなかった。(中略)。少なくとも私自身が石油で忙しくなったと感じたのはその年(十五年)も暮れ近くになってからだった」
後半の「たいへんなことになりそうだといっても、だからどうしようというような動きは見られなかった」というところが、現在の場当たり的に映るコロナ対応と重なります。数字を誤魔化すことなく、ファクトとロジックをもとにコロナに対応していたら、無観客にはならず、昨夜の水谷隼選手と伊藤美誠選手の金メダル(卓球混合ダブルス)獲得も「生」で観ることができたかもしれないのに。むかしも今も、場あたり的。
むかし南進、今コロナ。
高橋さんは陸軍省の燃料課で働いていました。陸軍省というのは行政官庁です。東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、当時話題となっていた「人造石油」(石炭を高温高圧で液化することによってつくられる石油の代替燃料)こそわが進むべき針路だ(!)と思い込んでいたそうですが、人生、計画通りにはいきません。
26歳のときにやっていたのは、研究ではなく、石油や金属などの物資の動員(調達、配分、等々)です。現在でいえば、新型コロナウイルスのワクチンの供給を仕事にしている河野太郎大臣(の下で働いている官僚)のようなイメージでしょうか。その高橋さんが、後にA級戦犯となる陸軍大臣東條英機に怒鳴られます。
なぜ怒鳴られたのか。
石油の需給予測表をもとに、このままでは「足りなくなる」旨を説明したからです。ファクトを示したら怒られるという不条理。東條陸相は、技術者が人造石油の開発に成功して「足りなくなる」事態を避けてくれるだろうと楽観視していたそうです。だから怒った。高橋さんが技術者を代表しているかのように怒った。足りないのであれば、想定外の「侵略」という選択肢を考慮に入れざるを得なくなるからです。
「泥棒せい、というわけだな」
泥棒せいというのは「インドネシア進駐」、すなわち「南進」を意味します。猪瀬さんは次のように書きます。
日本の石油輸入政策は、その日暮らしの場あたり的なものでしかなかった。南進、すなわち蘭印(インドネシア)占領も、その場あたり的な選択の延長線上にあったといえる。
高橋さんはエリートとはいえ、まだ若かったので、そして中尉だったので、全体像が見えていません。石油は足りなくなる。そうであればとっとと南進して取りにいけばいいのに、上層部はなぜ早く決断しないのか、とさえ思っています。「泥棒せい、というわけだな」と、東條陸相に怒られたことも腑に落ちなかったそうです。とっとと南進したら、戦線が拡大して、大変なことになるということをわかっていなかったというわけです。原田少佐という中尉よりも2階級上の先輩に「そこのところが、もし君にわからないとしたら、それは少佐と中尉の差だな」とたしなめられます。猪瀬さんは《地位と経験にともなう情報量の差》と表現しています。
新入社員の高橋中尉としては、必要な燃料の需給予測、南方石油の取得見込量のデータなど、上司から命じられた仕事をすることしか頭にない。会社の経営状態がどうあるべきか、など考えたこともない。
この話を、やがて高橋中尉と同じ立場に立つであろう東工大生はどのように受け止めたのか。続く第二章、東工大生のような若きエリートたちによって結成された、三十代の模擬内閣が導き出した「日本必敗」の話(『昭和16年夏の敗戦』に詳しい)をどのように受け止めたのか。さらに第三章、高橋中尉のつくった数字が、結局は「開戦」のつじつま合わせに使われてしまうことになる「歴史」をどのように受け止めたのか。そして第四章、こういった「歴史」を踏まえて、ファクトとロジックを武器に霞ヶ関と闘った猪瀬さんの体験談(道路公団民営化)をどのように受け止め、最終的にどのような倫理観をかたちづくったのか。
学生の講義レポートも紹介されています。
ぜひ、一読を。
それにしても、昨夜の卓球混合ダブルスにはしびれました。二人が金メダルを手にすることができたのも、空気に流されることなく、つまり場あたり的ではなく、そしてつじつま合わせのようなことをすることもなく、ファクトとロジックでオリンピックを東京に呼び寄せてくれた猪瀬さんのおかげです。
伊藤美誠って凄いなあ!あの眼がいい。
— 猪瀬直樹/inosenaoki (@inosenaoki) July 26, 2021
混合ダブルスで日本初の卓球金メダル。
都庁にもいるであろう、高橋中尉のような立場にいる人、がんばれ。
コロナ、収束しますように。
行ってきます。