田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

土井善晴 著『一汁一菜でよいという提案』より。簡単は手抜きじゃない。研究授業なんて要らない。

 地球環境のような世界の大問題をいくら心配したところで、それを解決する能力は一人の人間にはありません。一人では何もできないと諦めて、目先の楽しみに気を紛らわすことで、誤魔化してしまいます。一人の人間とはそういう生き物なのでしょう。しかし、大きな問題に対して、私たちができることは何かと言うと「良き食事をする」ことです。
(土井善晴『一汁一菜でよいという提案』グラフィック社、2016)

 

 こんばんは。昨日、6年生の家庭科の授業を観る機会がありました。研究授業ではなく「普段の授業+α」の授業です。本年度、勤務校では打ち上げ花火のような研究授業はやめて、「普段の授業+α」 の授業を学期に1回、少人数で見合うことになっています。指導案(細案)も事前の検討もやめて、略案(A4表一枚)と事後の検討のみ。事後に検討した内容を略案の裏にまとめて全職員にシェア、という流れです。下の絵でいうと、真ん中がこれまでのスタイルで、左端がニューノーマル。スタイル変更の大義名分は、みんなで観に来ると「密」になるから。働き方改革も兼ねた「新しい日常」です。

 

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長田英史 著『場づくりの教科書』(芸術新聞社、2016)より

 

 料理研究家の土井善晴さんはこう言っています。曰く《おいしさや美しさを求めても逃げていくから、正直に、やるべきことをしっかり守って、淡々と仕事をする。すると結果的に、美しいものができあがる》云々。授業研究家である私たち教員だって同じです。淡々と、

 

 良き授業をする。

 

 

 土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』を読みました。というのは嘘で、まだ読んでいません。今日の帰りに書店に立ち寄りましたが、売っていなかったので現在アマゾン待ちです。冒頭の引用は、中島岳志さんが「一汁一菜のエコロジー」という論考を寄稿している、筑摩書房編集部 編『コロナ後の世界』から孫引きしたもの。社会学者の宮台真司さんや大澤真幸さんも寄稿しているこの『コロナ後の世界』、前回のブログにも書きましたが、めちゃくちゃいいんです。

 

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 政治学者として知られる中島岳志さんは、その「一汁一菜のエコロジー」というタイトルからもわかるように、コロナ後の世界のヒントを土井善晴さんの「こころ」に見出しています。冒頭に引用した文章に続けて、中島さん曰く《書いたのは土井善晴。料理研究家としてテレビでよく見る「あの人」だ》。

 

 あの人か!

 

 とは思えず、テレビをほとんど見ない生活を続けているため、誰だろう(?)って、検索してしまいました。「この人」だ。有名な料理研究家なのですね。

 中島さんは、コロナに限らず、これからも繰り返しやってくるであろうパンデミックを止めるためには《地産地消に基づく新しい相互扶助関係を構築し、行き過ぎたグローバル資本主義に歯止めを掛けなければいけない》と書いています。人間が、ウイルスにとって絶好の引っ越し先だからです。人間と環境の関わり方を見直さない限り、コロナ後の世界がまともなものになることは、ない。この大きな問題に対して、私たちができることは何か。そう考えたときに、中島さんに土井さんの言葉が降りてきたというわけです。

 

 良き食事をすること。

 

 ちょっと坂口恭平さんを思い浮かべてしまいました。坂口さんも『cook』などを通して似たような価値を発信しています。ひと昔前に流行った標語で言えば、「Think Globally、 Act Locally」に近いでしょうか。

 

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 しかし重要なのは、そんな壮大なことよりも、まずは私たちの日常を整え直すことなのではないだろうか。毎日の料理と食事のあり方を見つめ直すことから、自然との関係を再構築すべきではないだろうか。

 

  土井さんの「こころ」を参照した上での、中島さんの結論です。その通り。土井さんは有名シェフ路線から家庭料理へとシフトしているんですよね。もと教員の岩瀬直樹さんがカリスマ教師路線から「転向」した話と似ています。

 私がこの論考に惹かれたいちばんの理由は、料理と授業って似ているんだなぁと思えたところ。例えば上記の文章は、そんな壮大な研究授業よりも、まずは私たちの普段の授業を整え直すことが重要なのではないだろうか、と読むことができます。1年に1回の研究授業よりも、普段の授業の方が重要。ほとんどの教員が頷くのではないでしょうか。

 他にも料理と授業って似ているなぁと思った箇所がたくさんあります。例えば、レシピについて述べた、土井さんの次の言葉(朝日新聞デジタル2020年4月7日)。レシピを指導案或いは指導書と読み替えると、まさに授業です。

 

 まあ、レシピは設計図じゃありませんから。記載された分量とか時間に頼らないで、自分で「どうかな」って、判断することです。自然の食材を扱う料理には、自然がそうであるように、いつも変化するし、正解はない。というよりも、違いに応じた答えはいくつもあるんです。だから、失敗の中にも、正しさはあるかもしれません。

 

 ひとつとして同じ料理がないように、ひとつとして同じ授業はありません。なのにレシピは、なのに指導案は、強引に素材を、強引に児童を、コントロールしようとする。力ずくで均質な枠組みにはめ込もうとする。土井さん曰く《味噌に任せればレシピの軽量は不要です》云々。岩瀬直樹さんのいう、学びのコントローラーを児童に渡せばいいという話に似ています。過労死レベルで働いている教員が、学びのコントローラーを死守している場合では、ない。

 

 教員は忙しい。

 

 なかなか授業準備の時間をとることが出来ない。

 

 そこで土井が提唱するのが、「一汁一菜」のすすめである。現代人は忙しい。なかなか料理の時間をとることが出来ない。毎日の料理が負担になる。そのような状況に対し、土井はシンプルを追求することを説く。「簡単は手抜きじゃない」

 

 簡単は手抜きじゃないんです。だから打ち上げ花火のような研究授業なんて、要らない。特に子育て中の教員は、お手上げです、あんなの。指導案(細案)も、要らない。事前の検討も、要らない。シンプルな授業「+α」くらいの日常の授業を見合って、互いにヒントを得たり与えたりできればいい。よき授業をするために、シンプルを追求する。

 

 簡単は手抜きじゃない。

 

 いい言葉だ。 

 

 

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