田舎教師ときどき都会教師

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中野円佳 著『なぜ共働きも専業もしんどいのか』より。主婦のしんどさを生み出す構造と、教員のそれは似ている。

 その答えは、専業であれ、兼業であれ、さまざまな負担を主婦に押し付けることで社会を回してきた日本の循環構造にあったと私は思う。政府、企業、学校や保育の在り方。そして人々の意識。「女性が輝く社会」という標語がむなしく思えるのも、構造的な女性の負担構造は変わっていないからだ。そしてその循環構造には、片働き男性は妻が専業主婦ゆえに転職がしづらい、共働き男性は、職場が ”家に専業主婦の妻がいる” 男性を前提とした働き方だから早く帰れない・・・・・・といった具合に、ばっちり男性たちも組み込まれている。
(中野円佳『なぜ共働きも専業もしんどいのか』PHP新書、2019)

 

 こんにちは。その答えというのは、本のタイトルに書かれた「なぜ」に対する「なぜならば」です。敵は本能寺ではなく、日本の循環構造にあり。学校における「働き方改革」という標語がむなしく思えるのも、おそらくはその循環構造のためでしょう。さまざまな負担を教員に押し付けることで社会を回してきた、

 

 日本の循環構造。

 

 

 著者である中野円佳さんは《循環構造というのは相互補完的であり自己生成的な側面があるから、その中のほんの一部をいじっただけでは変わらない》と書きます。一部をいじっただけでは変わらないという不都合な真実。コロナ禍を転じて福と為すで、だいぶ仕事が精選されたのに。行事も縮小されたのに。名ばかりの研究授業もなくなったのに。約3年続いた「ウィズコロナ」から「アフターコロナ」への転換に合わせて、あっという間にもろもろ復活(相互補完+自己生成)して、

 

 元の木阿弥。

 

 

 中野円佳さんの『なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造』を読みました。中野さんの肩書きはジャーナリストで、プロフィールをつまみ食い的に紹介すると「東京大学大学院教育学部研究科博士課程在籍」「日本経済新聞社入社」「現在はシンガポール在住、二児の母」等々。うん、エリートです。本の帯には「上野千鶴子さん推薦」とあって、

 

 あっ!

 

www.countryteacher.tokyo

 

 思い出しました。上野ゼミにいたんですね、中野さんは。上野千鶴子さんはゼミ生に対して「自分の問いを立てる」ことにこだわりをもたせていたそうですが、本のタイトルに「なぜ」とついているのもその影響かもしれません。二児の母であり共働きも専業も経験した中野さんが「個人の問いを社会の問いにつなげる知」を生産することによって日本の悪しき循環構造を壊そうとしているのもその影響かもしれません。上野さん、教師冥利に尽きるだろうなぁ。

 

 目次は以下。

 

 第1部 なぜ共働きも専業もしんどいのか
  1 共働きがしんどい
  2 専業主婦がしんどい
  3 しんどさを生み出す循環構造
 第2部 主婦がいないと回らない構造
  第1章 主婦に依存する日本の社会
  第2章 専業でないとこなせない?!日本の家事
  第3章 子育て後進国・日本の実態
 第3部 変わる社会の兆し
  1 変わる夫婦
  2 変わる働き方
  3 変わる人事制度
  4 変わる家事
  5 変わるべき保育・学校
  6 変わる世界の中で

 これだけ読めば本の内容はほぼ想像がつくという目次になっています。《目次は何度でも書き換える》という上野ゼミで鍛えられたのでしょう。時制でとらえると、第一部は過去、第二部は現在、そして第三部は未来です。過去に「サラリーマンと専業主婦」を前提とした循環構造がつくられたから、現在仕事でも家事でも育児でも女性がしんどい思いをしている、だから、

 

 変わらなきゃ。

 

 で、変わってきてますよ、と。ちなみに中野さんの書き手のとしてのスタンスは《基本的には専業主婦としてずっと過ごすというのはいまや成功確率が低くかつリスクの高い仕組みであり、今たまたまそれを選んで幸せな人には何も言うつもりはないが、これからの若い世代が積極的に目指すようなものではない》というものです。教員不足になっているのは、どんどん減っていっている専業主婦と同じように、これからの若い世代が積極的に目指すようなものではないと思われているからでしょう。主婦と教員って、置かれている構造が似ていますから。たくさんある類似点の中から、

 

 例をひとつだけ。

 

工業化以降、さまざまな家電が発明され、便利になっているにもかかわらず、家事時間は大して減っていない。この現象は、技術革新がむしろ家事量を増やしているように見える「家事時間のパラドックス」として国内外で社会学者らが研究している。

 

 第2部の第2章より。教員の労働時間も大して減っていません。工業化以降、むしろ間違いなく増えています。昔の教員はチョークと黒板だけでも授業ができたのに、今の教員はチョークと黒板に加えて、電子黒板とタブレット端末も使わなければいけません。私の自治体に関していえば、欠席した児童がオンライン授業を希望した場合、担任は目の前の子どもたちを相手にしつつ、複数台のタブレットを操作しながら自宅にいる子どもの相手もしなければいけません。どう考えても過剰労働です。家事と同じで、

 

 明らかに高度化しています。

 

 家事水準が果てしなく高くなっていく傾向について、中野さんは佐光紀子さんの『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』を引いて説明していますが、学校に置き換えれば、『「教育のしすぎ」が日本を滅ぼす』となります。現職教員である松尾英明さんの『不親切教師のススメ』や、臨床心理士として知られる武田信子さんの『やりすぎ教育』が話題になったのも、そういった流れと関係しているに違いありません。

 

 先生たちはすでに長時間労働で余裕がない。

 

 第3部の「5  変わるべき保育・学校」より。おそらくは主婦と教員の置かれている構造が似ていることを、中野さんも感じ取っているのでしょう。だから《保護者の利便性を向上させるためにもっと働いてくれと言うつもりはない》と書いています。

 

 いい人です。

 

 

 第3部の目次の中で、保育・学校だけが「変わるべき」と表現されています。夫婦も働き方も人事制度も家事も世界も現在進行形で「変わる」と表現されているのに、

 

 なぜ保育・学校だけは当為なのか。

 

 一緒に考えましょう。