田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

宮台真司、福山哲郎 著『民主主義が一度もなかった国・日本』より。「権威と市場」or「参加と再配分」。未来を託せるのは、どっち?

 こういうことです。日本は経済を回すために社会を犠牲にしてきた。社会の穴を、辛うじて回る経済が埋め合わせてきた。だから経済が回らなくなったら、社会の穴が随所で露呈した。金の切れ目が縁の切れ目。これが続く限り、今後も経済次第で人が死にまくるのだ、と。
 つまり「経済成長で全てが良くなるという竹中平蔵ビジョンはポンチ絵だ」と分かってきた。民主党にとって好都合だったのは、相手に「幸せイメージ」を醸し出す人材が皆無だったこと。
(宮台真司、福山哲郎 著『民主主義が一度もなかった国・日本』幻冬舎新書、2009)

 

 こんにちは。ポンチ絵の続きなのかどうかはわかりませんが、先日、生活保護と年金を廃止して一律7万円支給という「偽・ベーシックインカムの導入」を提言した竹中平蔵さんに対して、SNSで批判が殺到していました。フィンランドなどで試験的に行われているベーシックインカムが社会指標の改善、すなわち人々の幸福度を高めることを目的にしているのに対して、竹中さんのそれは経済指標の改善、すなわち社会学者の宮台真司さんいうところの「社会を削って経済に盛る」ことを目的としているようにしか見えません。批判が殺到したというのは、そのためでしょう。

 

 社会を削って経済に盛る。

 

 社会を削り続けた結果、経済も回らなくなって社会の穴が随所で露呈するようになってしまった。それが冒頭の引用にある《金の切れ目が縁の切れ目》です。宮台さんがよく発信している社会指標でいえば、例えば「『どんなことをしても親を世話したい』割合は中国88%、米国52%、日本38%』や「『親をとても尊敬している』割合は米国71%、中国60%、日本38%」(いずれも日本青少年研究所の2014年の高校生調査より)というようなことです。

 

 社会は教育よりもでっかい。

 

 だから社会を削って経済に盛るというのは、教育を削って経済に盛るということも意味します。具体的には「公立の初等教育(小学校相当)の1クラスあたりの平均児童数は、OECD平均の21人に対し、日本は27人」や「国内総生産(GDP)に占める小学校から大学に相当する教育の公的支出の割合は日本2・9%で、OECD平均の4・1%を大きく下回り、比較可能な38カ国のうち下から2番目」(いずれも経済協力開発機構の2017年の調査より)というようなことです。

 

 社会の穴が随所で露呈 → 教育の穴も随所で露呈。

 

 親をリスペクトしない子どもと子どもにリスペクトされない親を相手にするのだから、教員が疲弊し、誰も教員になりたがらないという「採用試験の低倍率」や「教員不足」に代表されるような状況、すなわち教育の穴が随所で露呈するようになるのは理の当然です。ここ数年、同僚が病んだり辞めたりするケースを多く見てきました。若手も中堅もベテランも、増殖する穴を避け続けることはできないというわけです。

 

 だから政治になんとかしてほしい。

 

www.videonews.com

 

 昨夜のマル激(インターネットのニュース番組)のゲストは、9月15日に生まれ変わったばかりの立憲民主党の代表である枝野幸男さんでした。タイトルは「民主党は本当に生まれ変わったのか」。生まれ変わったというのはご存知の通り、一旦は袂を分かった旧立憲民主党と旧国民民主党が解党し、再結集したことを指します。

 

 150人からの国会議員を擁する大野党勢力の誕生。

 

 与党である自民党との違いを、マル激では以下の図を使って次のように解説していました。ちなみにこの図は冒頭に引用した『民主主義が一度もなかった国・日本』でも使われています。

 

 

f:id:CountryTeacher:20200927151017p:plain

「マル激トーク・オン・ディマンド  第1016回」より

 

 昔の自民党は権威と再配分。今の自民党は権威と市場。『民主主義が一度もなかった国・日本』では、再配分のところが「談合」となっていて、経済が駄目になった結果、不透明な「談合」が批判されるようになり、一見すると透明に映る「市場」へとシフトしていったそうです。世界的にも「新自由主義」がもてはやされていた時期で、それは仕方がなかったとのこと。

 問題があるとすれば、自民党という名前が変わっていないので、その中身が再配分から市場重視へと変わっていることに気付かない人が多いということ。名前が変わっていないのにその中身が変わっていることに気付かない人が多いのは、生まれ変わった立憲民主党についても同じかもしれません。昔の立憲民主党は参加と市場。生まれ変わった立憲民主党は参加と再配分。立憲民主党を「民主党」としてまとめると、

 

 昔の自民党 権威と再配分
 今の自民党 権威と市場
 昔の民主党 参加と市場
 今の民主党 参加と再配分

 

  わかりやすい。もちろん自民党も立憲民主党も一枚岩ではないのですが、シンプルに考えれば、次の選挙では「権威と市場」or「参加と再配分」のどちらかを選べばいいというわけです。学級でいえば「教師中心と自助」or「児童中心と共助」のどちらがいいのか、となるでしょうか。教師中心と自助でうまくいくクラスもあれば、児童中心と共助でうまくいくクラスもあります。そこが難しいところ。いずれにせよ、メディア(テレビや新聞)にはマル激くらい丁寧に報じてほしいなぁ。

 

 

 生まれ変わった立憲民主党でも引き続き幹事長を務めることになった福山哲郎さんと、宮台さんの共著である『民主主義が一度もなかった国・日本』が出版されたのは2009年。政権交代が起こった年です。宮台さん曰く《ゆっくりと反芻しながら読んで、民主党政権の誕生が我々にとって持つ「真の意味」を徹底的に弁えていただきたい》という一冊。今読んでも示唆に富みます。

 示唆に富むというのは、民主党がうまくいかなかった理由を考える「きっかけ」になるからです。マル激で司会を務めているジャーナリストの神保哲生さん曰く、有権者は「本当にこの人たちにできるの?」という不安をもっている。それに対して枝野さん曰く「あのときうまくいかなかった、『だから』やらせてください」とのこと。失敗を糧に、というわけです。宮台さんのアドバイスは「暮らし」という言葉を使わない方がいい、ということ。

 

 暮らしをよくする、と口にすると経済指標が旗印になってしまう。

 

 ミスリーディング。なるほど。宮台さん曰く「大事なのはまともであること。まともな人間関係を抱けるとか、自尊心がまともに抱けるとか、そういうこと。社会指標は社会の健全性を表わしている。だから社会指標が悪いというのは、みんなが不幸だということ。だから社会を作り直さなければいけない」云々。教育も作り直さないといけません。子どもの精神的な幸福度が38ヵ国中37位という日本(ユニセフの2020年の調査より)。最近よくニュースで取り上げられている「30人学級の実現」だけでは、教育のまとも化、或いは健全化は難しいと考えざるを得ません。田舎はすでにほとんどの学級が30人以下ですから。

 

 答えはいつも同じでした。「いやいや、宮台さん。内容が同じでも、外から言ってもらわないと、組織というものは変われないんですよ」と。「内部から言うと、ポジション争いやら権益争いやらで、痛くもない腹を探られて、梯子を外されてしまうんですよ」と言うんですね。
 この要因は日本に固有ではありません。この要因は、世界中の社会創造物語――世界創造物語ではなく――が貴種流離譚を代表とする英雄譚のかたちを取ることに関係します。

 

  外から言ってもらわないと、学校というものも変われません。

 

 英雄は、どこに?