コンビニエント(便利)な街やアメニティ(快適)溢れる街はどこにでもある。そこでは場所と人の関係が入替可能になる。結果としてそこは住む人にとって便利ではあっても幸福を欠いた実りのない場所になる。そうした事態を避けるための議論が少なすぎる。
人々のニーズに応じた結果、人々が必ずしも望まない街づくりがなされる。この逆説は古くから知られている。逆説を回避するには迂回路が大切だ。環境倫理学者キャリコットによれば、こうした逆説は、功利主義にせよ義務論にせよ、人間を主体として考えるから生じる。
人間を主体として考えるのでなく、陸前高田という街を主体として考える。我々人間は、陸前高田という街に寄生する存在に過ぎない。陸前高田はそれではどんな生き物なのか。歴史を遡ることによってそれを精査し、陸前高田という生き物に相応しい将来を考えるのが良い……。
(神保哲生、宮台真司『地震と原発 今からの危機』扶桑社、2011)
こんにちは。小学2年生の担任だった教員1年目のときに、1年生と一緒に陸前高田にある松原公園と高田市民の森に行きました。遠足です。震災前の話です。震災後に髙田松原の「奇跡の一本松」がメディアを賑わせたことから、映像を通して知っているという人も多いのではないでしょうか。後年、宿泊体験学習で訪れた世界遺産の三保松原も流石の美しさでしたが、かつての高田松原もその白砂青松の景観が世に広く知られていて、負けず劣らずの美しさを誇っていました。辺鄙な場所にあるのにもかかわらず、09年には100万人以上の観光客を集めています。
Wikipedia の「高田松原」には《岩手県陸前高田市気仙町にかつて存在した松原》と書かれています。
かつて存在した松原は消えてしまった。かつて存在した共同体自治も、場所と人の関係が入替不可能だった街も、徐々に消えかかっている。ぼんやりしていると、やがてそこは便利で快適ではあるものの、幸福や存在の取替不可能性を欠いた実りのない場所になってしまう。そうならないように、歴史を遡ることによってそこがどんな街だったのかを精査し、その街に相応しい将来を考え、今からの危機に備えて種を撒かなければいけない。
ジャーナリストの神保哲生さんと社会学者の宮台真司さんが、かれこれ20年近く続けてきたニュース専門インターネット放送局の「マル激トーク・オン・ディマンド」も、おそらくはそういった志をベースにしているのではないでしょうか。冒頭の引用でいえば、人間を主体として考えるのでなく、日本という国を主体として考える。我々人間は、日本という国に寄生する存在に過ぎない。日本はそれではどんな生き物なのか。歴史を遡ることによってそれを精査し、日本という生き物に相応しい将来を考えるのが良い……。
昨夜、999回目となるマル激トーク・オン・ディマンド『5金スペシャル・絶望と感動のマル激20年史 これからも種を撒き続けます』を視聴した後に、神保哲生さんと宮台真司さんの『地震と原発 今からの危機』を再読しました。マル激を書籍化したシリーズものの「特別編」にあたる一冊です。「コロナ禍 今からの危機」として読んでも、その枠組みは古びていません。
飯田哲也さん(環境エネルギー政策)
片田敏孝さん(防災学)
小出裕章さん(原子核工学)
河野太郎さん(衆議院議員)
立石雅昭さん(地質学)
ゲストに名前を連ねているのは上記の5人です。震災直後の特別編だけあって、当時の状況を語るに相応しい、その道のプロが名を連ねています。
この震災を奇貨として、「任せる社会」から「引き受ける社会」に転換するべきなんだと思う。
神保さんが「まえがき」にそう書いています。3.11と原発事故を奇貨として、日本は「任せる社会」から「引き受ける社会」に転換すべきだった。宮台さんのもとの言葉を引けば、「任せて文句をたれる社会」から「引き受けて考える社会」に転換すべきだった。でも転換できなかった。
転換できないどころか、悪化の一途をたどっている。
市場や国家などのシステムへの過剰依存が進み、家庭や地域社会の学校化や共同体の空洞化も進み、ハピネスやウェルビーイングの源となる商店街的な共同体自治はズタズタというか、ショッピングモール的なコンビニエントとアメニティにとって代わられてスカスカになってしまった。学校でいえば、丸投げしておいて文句をたれる保護者、増えましたよね。だから今回、新型コロナウイルスを奇貨として転換できるかといわれれば、その可能性は限りなく低い。自立的な共同体がなければ自立した個人が活躍することはできず、民主的な「引き受けて考える社会」なんて絵に描いた餅だからです。
システムへの依存 → 便利で快適 → 任せて文句をたれる社会
共同体自治 → 幸福と取替不可能性 → 引き受けて考える社会
第999回の「マル激」を視聴すると、そういった「変わりたくても変われない」生き物としての日本のことがよくわかります。アメリカの9.11同時テロと対テロ戦争のときも、小泉構造改革のときも、リーマンショックのときも、鳩山民主党政権とオバマ政権の誕生のときも、3.11と原発事故のときも、安倍政権とトランプ政権とブレグジットのときも変わることができなかった。変われないという宿痾が生き物としての日本をダメにしている。
「宮台さん、もう日本のメディア、ダメですね。」
1999年8月下旬に、神保さんが宮台さんにそう吐露したそうです。そんな昔から主要メディアは終わっていたんだなって、嘘を付きまくっていたんだなって、コロナの情報も全く信用できないなって、暗澹たる気持ちになります。が、それはともかくとして、神保さんがそう吐露した経緯やその後のマル激の立ち上げに至る経緯について無料で学ぶことができるし、マル激20年史ということで、小室直樹さんや宇沢弘文さんなど、こんな立派な人もいたんだなって感動することもできるので、視聴をオススメします。もしもマル激がなかったら、何が事実なのかもわからず、日本の社会は「国会で嘘がまかり通るような現在」よりもさらにひどいことになっていたでしょう φ(..)
非常時が訪れ、快適さも便利さも失われたとき、つまりシステムに依存できなくなって初めて、「幸せとはなにか」「どう生きるのが良いのか」という、幸福と存在の取替不可能に関わる本当の問いを僕らは突きつけられる。問いに答えるための議論の厚みを手にする段である。
宮台さんの「あとがき」の最後に書かれている言葉です。コロナ禍の今こそ、震災のときには突き詰めることのできなかった「幸せとはなにか」「どう生きるのが良いのか」という問いに答えるための議論の厚みを手にする段なのではないでしょうか。
幸せとはなにか。
明日、子どもたちに訊いてみようかな。またわけのわからないことを言ってるって思われそうだから、やめよう。でも、いずれにせよ学校での新しい生活様式については説明しなければいけないから、コロナ禍においても実りある教室にするためには「どう生活するのが良いのか?」。
これでいこう。
未来に、種を蒔く。