田舎教師ときどき都会教師

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映画『ある人質』(ニールス・アルデン・オプレヴ監督作品)&『マル激(第1034回)』より。ある人質、あるIS、ある教員の視座。

 この映画の主人公は、戦場カメラマンを夢見て不用意にシリアに迷い込んだデンマーク人の青年である。ISは活動拡大の初期段階で、数十名の西欧人を人質に取った。罪もない、力もない、冒険や名声を夢見て、あるいは理想主義に突き動かされて、紛争下のシリアやイラクに不用意に踏み込んだ西欧人たちは、現地の諸勢力の餌食となった。囚われの西欧人たちは、身代金を取って内戦の活動資金の源にも、欧米メディアの関心を引きつけ、自らの存在や主張を世界に認知させる手段にもなった。
(劇場版パンフレット『ある人質  生還までの398日』ハピネット、2021)

 

 こんばんは。先日、映画『ある人質   生還までの398日』(ニールス・アルデン・オプレヴ監督作品)を観に行きました。IS(イスラム国)の人質になったダニエル・リューが「誘拐」「拘束」「拷問」「増悪」に耐え、生還するまでの398日を再現した、実話ベースの映画です。スクリーンに目を奪われながら、その目を瞑ったり、涙が滲んだり。彼を救うべく、母国デンマークで資金集めに奔走する家族の苦しみと合わせて、ただただ重い映画でした。

 

 宮台真司さん「これは重い映画だったなぁ」
 神保哲生さん「これは凄い映画でしたねぇ」

 

 この重い&凄い映画を観に行こうと思ったきっかけは、先月末のマル激トーク・オン・デマンド(第1034回)です。宮台さん曰く「人質にカネを払うべきか払わないべきか、そういう議論を聞いていると、人質になりきってものを見るっていう視座がどれだけあるのか、疑問な人たちがたくさんいる」云々。教員が、子どもになりきって教室を見るように、

 

 人質になりきって世界を見る。
  

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劇場版パンフレット『ある人質』

 

 教員だからでしょうか。ダニエルやダニエルの家族になりきって人質及び人質の家族の視座を獲得しつつも、敵として描かれているISの若者たちの生育歴が気になりました。学校でいうと、虐められた子のカウンセリングはもちろんのこと、虐めた子のカウンセリングも必要という話と似ています。虐めた子がまともな環境で育っているケースはあまりないからです。映画の中で、ISの若者たちの内面が描かれることはほとんどなく、宮台さんと神保さんも、こちら側には徹底的になりきることができるけれど、あちら側、すなわちISについては「なりきりの可能性が排除されている」と指摘しています。

 なぜ彼らは、こんなに酷いことができるのだろう。どんな社会が、どんな教育が彼らをそうさせているのだろう。太平洋戦争最大の激戦だったといわれる硫黄島の戦いを、日米双方の視点から描いたことで有名な、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』でいえば、『ある人質』の対に存在するはずの『あるIS』はどのような内容なのだろう。そういった問いです。

 

 ISになりきって世界を見る。

 

 作家の森達也さんも、クリント・イーストウッド監督と同じような問題意識をもっているといえるでしょうか。オウム真理教の視座に立って撮った映画『A』(森達也監督作品)は、90年代後半の日本社会において、それこそ「劣化する社会の中で重要な役割を担ったドキュメンタリー映画」のひとつといえます。その森達也さんは、劇場版パンフレット『ある人質』に次のような言葉(一部)を寄せています。

 

増悪に負けるな。愛しかない。
フォーリーの最後の言葉に胸をえぐられた。

 

 フォーリーというのは、ダニエルと一緒に囚われていたアメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリーのことです。ジャーナリストになる前は、ティーチ・フォー・アメリカの教員をしていたとのこと。だからでしょうか。過酷な人質生活の中にあっても、フォーリーは、担任が子どもたちにそうするように、ダニエルや他の人質たちを笑顔で励まし続けます。フォーリーの教え子はショックだっただろうなぁ。釈放間際、涙ながらに「本当は怖いんだろう」と問うダニエルに対して、フォーリーは「私には愛しかない」と答えます。フォーリーは増悪に勝ち、ISの若者たちは増悪に負けたんですよね。幼少期に得た「愛」の差でしょうか。アメリカで行われたフォーリーの葬儀の日、ダニエルは頭の中にしまっていた彼の遺言を家族に届けに行きます。

 

 泣けます。

 

また、ISによる虜囚の監視や拷問、殺害を担うのは、西欧で生まれ育ち、ジハードに憧れてシリアやイラクに渡航した若者たちが多かった。覆面を被ったISの看守や処刑人と、ダニエルをはじめとした西欧人の人質たちは、故郷の西欧の都市では隣り合って過ごし、学校で机を並べていたかもしれない。

 

 冒頭の引用に続けて、東京大学教授の池内恵さんがパンフレットに寄せている文章より。かもしれないではなく、もしもそれが本当だとしたら、学校って無力だなぁと思うと同時に、やはり学校というか教育にしか期待できないなぁとも思います。学校で机を並べていたのだとしたら、

 

 チャンスは、あったはず。

 

 チャンスを生かすためには、宮台さんがしばしばリチャード・ローティを引いていうところの「感情教育」によって、「損得よりも正しさ」「カネよりも愛」、そして「増悪に負けるな」という価値を子どもたちに伝えていくしかない。それから「こちら側」の視座にも「あちら側」の視座にも立てるような教育、道徳でいうところの「多角的・多面的に考える力」がつくような市民教育をしていくしかない。鬼畜米英からアメリカさんありがとうへと変わった過去もある。まぁ、でもミクロでは家庭が、マクロでは国家とか歴史とか宗教が絡むので、短期的には難しいなぁ。

 

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 土日が待ち遠しい木曜日の夜。仕事がたまっていて、なかなか疲れがとれません。ある教員になりきって世界を見る。学校現場をよりよくしていくためにも、すなわち世界平和のためにも、そんな視座を政治家さんを始めとする偉い人たちにもってもらいたいものです。

 

 おやすみなさい。