田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

猪瀬直樹 著『日本復活のシナリオ』より。片足は教室に。もう片方の足は社会に。

猪瀬 ―― 彼は、「日本の学生はデカルトが何年に生まれて、いつ活躍したかを知っていますが、デカルトの本は読んでいないですね」と笑っていました。彼らは週に10時間、哲学の授業をやって、しかも自分の考えをレポートとして何枚も書かされるそうです。自分で考える訓練をやっているのですね。そのころ日本では、受験勉強で暗記を一生懸命やっているわけです。実際、彼は下手な日本語でもディベートできるわけで、日本の学生は一対一なら負けてしまうと思いました。
林 ―― 考える力、書く力のベースには、読む力が必要です。言葉というのは、読むことによって出合った別人格との心のやりとりによって、知らず知らずのうちに身についていくものだと思います。
猪瀬 ―― 朝の読書運動は哲学の授業のようなものですね。10分間ずつ毎日、哲学をしている。本を読むというのは一種の引用でもあり、言葉をどんどん自分の中に採り入れているわけですね。
(猪瀬直樹『日本復活のシナリオ』PHP研究所、2002)

 

 こんばんは。やはり土曜授業の翌週は体にこたえます。ただでさえハードな月火水木金なのに、息つく間もなく土曜授業をやって、しかも公開授業をやって、翌々日の月曜日には外国語道徳国語体育算数理科の6時間フルコマだなんて、正直、身が持ちません。だから土曜授業の翌週にはいつも「体力復活のシナリオ」をつくって仕事に臨んでいます。一昨日と昨日は、

 

 シナリオ通り。

 

 

 月曜日も火曜日も、年休1。

 

月曜日に続いて火曜日も年休1(2024.1.23)

 

 そして今日も、シナリオ通りの年休1。 

 

アイリッシュ・コーヒー(2024.1.24)

 

 世界を征服するより、自分自身を征服せよ。デカルトはそう言いました。不決断以外に深く後悔させるものはない。 デカルトはそうも言いました。不決断と空気によってアメリカとの戦争を始めた、当時の日本の官僚や政治家にとっては耳の痛い話でしょう。せっかくなのでもう一つ紹介すると、デカルトはこんなことも言っています。

 

 難問は分割せよ。

 

 言い換えると、年休は分割せよ。自分自身を征服すべく、年休1という決断によって、体力を復活させる。たかが年休1、されど年休1。酔いのせいかもしれませんが、こんなくだらないことを書いてしまうくらい、3日連続の「年休1」のおかげで元気になったということです。ちなみに明日の木曜日のシナリオはこうです。

 

 残業3。

  

 

 猪瀬直樹さんの『日本復活のシナリオ』を読みました。2002年に出版された対談集です。対談相手(敬称略)を順に挙げていくと、堺屋太一、宮内義彦、竹中平蔵、牛尾治朗、江田憲司、石原伸晃、太田誠一、島田晴雄、堀田力、三枝成彰、林公、寺脇研、寺島実郎、真壁實、草柳俊二、樫谷隆夫、ゲリー・M・タラリコ、加藤寛、石弘光の19人。猪瀬さんを合わせると20人。だからサブタイトルは「論客20人の結論」。本の帯にはこうあります。

 

 構造改革はまだ終わっていない!

 

 22年経った今もまだ終わっていないのだから、もしかしたらもう日本は終わっているのかもしれません。そんな気がします。しかし、だからこそ過去にどんなことが話し合われていたのかを「知る」って、大切なのではないでしょうか。なぜ、令和の今も構造改革が叫ばれているのか。

 

 なぜ、こんなにも改革のスピードが遅いのか。

 

江田 ―― ではなぜ、こんなに遅いんでしょう。小泉総理の周りには、あまりにも智恵を出すスタッフが少ない。このままでは頓挫してしまいます。だから、猪瀬さんのようなスタッフがあと十人は必要です。総理が一人で全部やるなんて、できませんよ。その上で「責任は取るから、これをやってくれ」といえば、それで済むわけです。
猪瀬 ―― 首相補佐官は現在、何人置けるのですか。
江田 ―― 五人置けることになってはいますが、五人でも少ないと思います。外交や安全保障、教育、福祉など、最低でも十人は必要でしょう。にもかかわらず、現在首相が任命している首相補佐官は、たった一人です。その理由は ”霞ヶ関” にとって補佐官が目の上のたんこぶだからです。官僚は異分子が入ることを極力排除しようとしますので、猪瀬さんはまさに目の敵となるのです。

 

 そういうことです。今、検索して調べたところ、首相補佐官の定員は未だに5人(以内)で、岸田首相が任命しているのは、木原誠二さんと村井英樹さんの2人だけ。しかも、どちらも異分子ではありません。官僚の目の敵でもありません。どちらかというと、味方なのではないでしょうか。河野太郎さんをして「いずれ小泉進次郎と村井英樹で総裁選をやるときが必ず来る」と言わしめたという村井さんはさておき、木原さんは昨年、いわゆる「文春砲」によって悪い意味で有名になりましたよね。それなのに、首相補佐官のままだなんて。まぁ、本当のところはよくわかりませんが、兎に角、戦前も戦後も、22年前も今も、官僚機構が見えないところで日本をコントロールしているというのは事実なのでしょう。団塊の世代という言葉をつくった堺屋太一(1935-2019)は次のように指摘しています。明治維新のときに武士の文化を完全に否定したように、終戦のときに軍人の文化を徹底的に否定したように、

 

いまもほんとうの改革のためには、官僚文化を否定しなければなりません。

 

 とはいえ、教員にできることはそう多くありません。だからこそ、冒頭に引用した林公(1943-2013)の意志を受け継ぎ、彼がはじめた朝の読書運動、いわゆる「朝読書」をしっかりやったり、総合的な学習の時間という、賛否両論があるとはいえ、私にとってはいちばん楽しいと思える時間をつくってくれた、もと官僚の寺脇研さんの見方・考え方を学んだり、

 

 それくらいは続けていきたい。

 

www.countryteacher.tokyo

 

猪瀬 ―― 非常に了見の狭い業界というしかない。
寺脇 ―― ですから、われわれがたじろぐほどの鋭い文部省批判は、決して教育界からは出てきません。むしろ、橋爪大三郎さんとか宮台真司さんといった社会学者から発せられるのです。いわゆる教育界の人間は、そういう批判すらできなくなっています。同じ「業界」のなかにいるからですね。

 

 同じ「業界」のなかにいる弊害を少しでも回避すべく、残業を減らし、年休を駆使して、片足は教室に、もう片方の足は社会に、という生き方を目指していきたい。前々からそう感じていましたが、寺島実郎さん言うところの「マージナル・マン(境界人)」という言葉を知り、改めてそう思いました。

 

寺島 ―― 私が最近強調しているのは、「マージナル・マン(境界人)」という生き方です。私は全共闘世代であり、企業にどっぷり漬かるのではなく、つねに片足を社会に置いていました。下手をするとどっちつかずになりますが、会社の立場からしか物事をみられないようでは、見識が狭くなります。一方、企業に片足を置く強みもあります。何かを発言するときでも、地に足のついた議論をすることができますからね。

 

 まさに《本を読むというのは一種の引用でもあり、言葉をどんどん自分の中に採り入れている》ことになるというわけです。

 

もうすぐ80歳(2024.1.21)

 

 1月24日の今日は父親の誕生日でした。節目の80歳。土曜公開授業の翌日に実家に帰り、お祝いをしてきました。片足は作家として、もう片方の足は政治家として、二足の草鞋を履きながら活躍している猪瀬さんは78歳。たったの2歳しか変わらないのだから、まだまだこれから。そんな話をしてきました。

 

 私も、まだまだこれから。

 

 おやすみなさい。