哲人 いいですか、「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。それがほんとうの個性というものです。「わたしであること」を認めず、他者と自分を引き比べ、その「違い」ばかり際立たせようとするのは、他者を欺き、自分に嘘をつく生き方に他なりません。
青年 他者との「違い」を強調するのではなく、たとえ凡庸であっても「わたしであること」に価値を置け・・・・・・?
哲人 ええ。あなたの個性とは、相対的なものではなく、絶対的なものなのですから。(岸見一郎、古賀史健『幸せになる勇気』ダイヤモンド社、2016)
こんばんは。先日、保護者に勧められた映画、マーク・ウェブ監督作品の『gifted/ギフテッド』を観ました。タイトルの「ギフテッド」は、数学やアートなどに特別な才能をもつ子どものことを意味していて、日本では東京都の渋谷区が実施しているギフテッドに着目した教育プログラムが知られています。
物語は、ギフテッドの主人公メアリー(7歳の少女)に英才教育を施そうとする祖母と、未婚の母だった姉の遺志に従い、普通の子どもとして育てたいと主張する、後見人の叔父フランク(独身)との対立を軸に進んでいきます。
特別な教育と、普通の教育と。
どちらが幸せなのか。映画は、普通にこだわってメアリーを育ててきたフランクが、彼女を手放し、全てを失いかけたときに、普通なんていう曖昧なものはどこにも存在しない、すべてが特別なんだ(!)と気づくことで、大団円を迎えます。ギフテッドの子どもやその才能が希有なように、私たちの普通だってかけがえのない特別なものである、と。上記の引用でいうところの「わたしであること」の価値です。
個性が爆発するんだ。
フランクの「引き取ったばかりの頃、もう無理だと思って児相に連れて行こうと思うたびに、メアリーの個性が爆発するんだ。それがかわいくてたまらなくてさ」という台詞が印象に残っています。相対的なものではなく、絶対的な個性。子育てや教育についていろいろと考えさせてくれる、リアルタイムで映画館で観ればよかった(!)と思える映画でした。
もう無理だ!
以前に受けもった3年生の子どもからプレゼントされた絵です。図工の授業に招いたアーティストさんの発案による「speed drawing」の中で生まれた傑作(?)のひとつ。「富士山」とか「雲」とか「ゴリラ」とか、子どもたちはお題が出されたらすぐにサインペンで絵を描きはじめ、30秒で終了、そして互いに見せ合うということを繰り返していきます。アーティストさん曰く「じゃぁ、最後のお題は〇〇先生!」。
やめてくれ~。
ゆとりがないと、個性ではなく怒りが爆発しがちです。自治体によっては、今日あたりから本格的に始動する先生たちも多いのではないでしょうか。個性の爆発をかわいいと感じる心のゆとりを、我が子に対しても、学級の子どもたちに対しても、もち続けていたいものです。
そうそう、アーティストさんは都守太朗さんという、それこそギフテッドな画家さんで、絵画だけでなく言葉も素敵なので、勝手にここに紹介して、寝ます。
おやすみなさい。
美意識もそれぞれ違うように感覚も皆違う。
だから素直に素直に感覚と向き合うことは
鏡に隠れた自己を確認するようなものだろう。
抽象表現にはそのような意味もある。
時代とともに人々との感覚は培われ変化し文化を築いてきた。
行雲流水――――。
時と場合の風で空に漂う雲の動きが素直であるなら
それを認める私の心はまるで文化の始まりに思えた。
平成17年10月 都守太朗