田舎教師ときどき都会教師

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映画『天気の子』(新海誠 監督作品)& ジョン・デューイ 著『人間性と行為』より。「天気の子」ときどき「社会の子」。

 鶏は卵に先行する。だが、それにもかかわらず、この特殊な卵は鶏の将来の型を変えることのできるように扱われるかもしれないのである。

(ジョン・デューイ『人間性と行為』人間の科学社、1995)

 

 こんばんは。鶏を「社会」、卵を「子ども」と読み替えると、《社会は子どもに先行する。だが、それにもかかわらず、この特殊な子どもは社会の将来の型を変えることのできるように扱われるかもしれないのである》となります。教育のポテンシャルを端的に表した美しいセンテンス。さすがデューイだなぁと思います。高校野球の女子マネージャーがことあるごとにドラッカーの『マネジメント』に立ち返るように、小学校の教員はことあるごとにデューイの本に立ち返り、日々の実践のベースとなるフィロソフィーを確認しています。

 

 たぶん。

 

 昨日、パートナーと次女と一緒に、新海誠監督の『天気の子』を観てきました。上記の話とつなげると、『天気の子』は『社会の子』と読み替えることができる(!)と思います。事前に読んでいた上越教育大学の西川純さんのブログの影響かもしれません。『学び合い』で有名な教育学者の西川純さんは、『天気の子』の感想を次のように書いています。

 

「いい映画です。が、テレビの広告を見て見たいと思った人に申します。やめた方がいいです。この言葉の意味は、見た人は分かると思います。あれは詐欺です」云々。

 

 あれは詐欺です、なんてストレートに書いてしまう西川純さんですが、デューイに負けず劣らず、日々の実践のベースとなるフィロソフィーを提供してくれる、「この人はわかっている!」と思える人です。

 

www.jun24kawa.com

 

『天気の子』について。

 

『天気の子』の主人公は二人。田舎から家出してきた少年・穂高と、「祈るだけで空を晴れにする」という不思議な力をもつ少女・陽菜です。以下、ネタバレがあります。

 

www.tenkinoko.com

 

 前作の主人公(瀧と三葉)と同様に、映像美に相応しい顔立ちと、矢のごとくストレートな心をもつ穂高と陽菜ですが、二人とも社会的に、そして経済的に、かなり弱いポジションに立たされています。両親がいなかったり、義務教育を受けていなかったり、地方から家出してきた身だったり。『学び合い』を提唱し、「一人も見捨てない」という考えのもと、西川純さんが心を砕いて何とかしようとしている、つながりを断たれたしんどい社会階級の子どもたちです。

 

「天気なんてどうでもいい!」

 

 クライマックスの場面で帆高がそう叫びます。隣で観ていたパートナーは私とは全く異なる解釈をして泣いていましたが、教育畑で働いている私にはこう聞こえました。

 

「社会なんてどうでもいい!」

 

 そして祈りは届き、二人の小確幸(ショウカッコウと読みます、小さいけれど確かな幸せ、By 村上春樹)と引き替えに、天気も社会もめちゃくちゃになります。「この場所から出たくて」「あの光に入りたくて」と願っていた二人の行動が、世界のかたちを決定的に変え、これまで以上に狂った社会にしてしまうのです。

 

 狂った社会のその後に、ちょっとした「救い」が描かれていますが、何はともあれ『天気の子』は、社会の将来の型を変えることのできるように扱われなかった「社会の子」が、社会のかたちを決定的に変えてしまうという物語です。

 

 だからきっと「詐欺」で、

 だからきっと「いい映画」なんです。

 違ったらごめんなさい。

 

 ちなみに次女(小学生)の感想というか、第一声はこうでした。

「三葉が出てきたの、わかった?」

 

 はなまる。

 

 

デューイ=ミード著作集3人間性と行為

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