どう考えても、ミドリムシが悪いわけではない。だったら、我々がいまとっている方法が悪いのだ。それならば、改善すればいいじゃないか。
(出雲充『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』ダイヤモンド社、2012)
おはようございます。出雲充さんの『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』は、副題に「東大発バイオベンチャー『ユーグレナ』のとてつもない挑戦」とあるように、著者である出雲さんが「人類を救う」という夢に向かって、とてつもない挑戦を重ねていく姿を描いた作品です。もちろん実話。
作品の内容をラディカルに要約すれば、栄養失調に苦しむ途上国の子どもたちを救いたいと願った著者が、ドラゴンボールでいうところの「仙豆」になりうるものを探し続けた結果、微細藻類のミドリムシと出会い、その可能性に魅せられていくというストーリーです。出雲さん曰く《僕はその論文を読んで、「まさにこれが自分の探し求めていたものだ。これこそが仙豆だ!」と確信した。弁論大会で気づき、バングラデシュで直に目にした栄養素問題を解決できるのだ。それもただの仙豆ではない。CO₂を吸収し、燃料にもなるのだ》云々。ユーグレナという学術名をもつミドリムシは、食糧不足も地球温暖化もエネルギーの枯渇も解決できる可能性をもっているというわけです。まさに、
ミドリムシの夢。
先週、映画『ミドリムシの夢』(真田幹也 監督)を観ました。とんだ「ミドリムシ」違いです。ミドリムシはミドリムシでも、こちらは《ミドリムシとも呼ばれる緑色の服を着た駐車監視員》(映画『ミドリムシの夢』公式サイトより)でした。映画の冒頭に出てくる説明には《街の放置車両を取り締まる、人から嫌がられる職業。ネット上では「ミドリムシ」とも呼ばれている》とあります。
東大発バイオベンチャー。
日本初の駐禁コメディー。
やっぱり、偉い違いです。とはいえ、共通点もありました。どちらも夢をもった主人公が登場するというところです。ユーグレナの出雲さん然り、映画に登場する駐車監視員(ミドリムシ)のマコト然り。富士たくやさん演じるミドリムシのマコトは、路上駐車が引き起こした渋滞によって、倒れた父親を救うことができなかったという過去をもっています。救急車の到着が遅れてしまったんですよね。だからマコトは、ちょっと前まで不在だった運転手が「誰にも迷惑をかけてないだろう」と怒り狂っても、構うことなく「何かが起こってからでは遅いんです」と言って、生真面目に違反切符を切ります。マコトの夢は違法駐車をゼロにすること。そのマコトのストレート過ぎる夢が、ややこしいことを引き起こし、物語が動き始めるというのが映画の筋です。
そんなマコトの相棒は、同じくミドリムシのシゲ。マコトとは正反対の性格。そのシゲを演ずるほりかわひろきさんと、監督の真田幹也さんが、映画の終了後にアフタートークを披露してくださいました。パンフレットをつくっていない映画も、アフタートークも初体験です。とんだ「ミドリムシ」違いもたまにはいいかもしれません。
真田幹也さんが駐車監視員を主役とした映画を撮ろうと思ったのは、ご自身が路上駐車をして違反切符を切られたときに抱いた「問い」がきっかけだそうです。曰く「なんで目の前に駐まっているベンツには違反切符を切らないんだ」云々。やっぱり「問い」って大切です。問いがなければ、ミドリムシの夢だって生まれません。
なぜベンツには違反切符を切らないのか。
まぁ、マコトだったら切るでしょうが、シゲだったら切りません。違反切符を切っている途中で、運転手が戻ってきて、その人が怖い人だったら面倒くさいことになるからです。下手をすると拉致されて海に沈められてしまうかもしれません。命あっての物種。触らぬ神に祟りなしです。だから、
ベンツは放置。
真田さんの話を聞きながら、学校現場と似ているなぁと思いました。この子に何か言ったら、保護者が文句をつけてきて、面倒くさいことになるかもしれない。そう思われている保護者の子どもは、腫れものに触るような扱いを受けてしまうケースが多いからです。ベンツは放置と同じ構図。駐車違反に類するような問題行動をその子がとったとしても、余程のことでなければ、誰にも指摘されず、改善されない。子どもは成長の機会を逃してしまうというわけです。ベンツは路上駐車を続け、子どもは小さな問題行動を繰り返します。
何かが起こってからでは遅いのに。
だから保護者アンケートとか、やめればいいのに、と思います。建設的な批判ならまだしも、明らかに言いがかりだなぁと思える内容や「こんなことを書いてしまうくらい家庭が不安定なんだな」と思える内容が書かれていたりすると、親子セットでベンツ扱いせざるを得なくなるからです。その後も関係性が続くことから、担任は、マコトのようには振る舞えません。まぁ、基本的には励まされることの方が圧倒的に多いのですが。
どう考えても、ミドリムシが悪いわけではない。
シゲ役のほりかわひろきさんの話の中にも、学校現場と似ているなぁと思うことがありました。それは「もう一度撮り直したい」ということです。演技に満足していないんですよね。満足していないから、次も努力する。授業づくりや学級づくりと同じです。100%の授業なんてないし、100%の学級もない。だから向上心をもち続けることができる。
学級担任の夢。
永遠平和かな。