戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラー(1880~1968)に会った。私が大学生であると知ると「私は大学でたくさんのことを学んだが、そのあとたくさん、学びほぐさなければならなかった」といった。学び(ラーン)のちに学びほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の身体に合わせて編みなおすという情景が想像された。
大学で学ぶ知識はむろん必要だ。しかし覚えただけでは、役に立たない。それを学びほぐしたものが血となり肉となる。
(鶴見俊輔 『新しい風土記へ 鶴見俊輔座談』朝日新書、2010)
こんばんは。戦前ではないので、さすがにヘレン・ケラーには出会えませんでしたが、アンラーンのきっかけとなる「人」には事欠かない旅を何度か経験しました。
結局、人。やっぱり、生き方。
台湾では流暢な日本語を話す「矍鑠」としたおじいさんに美味しいご飯をご馳走になり、マレーシアのコタバルでは旧日本軍の紙幣を大事にしまっていたゲストハウスのオーナーに「ここから日本軍は上陸してきた」と戦時中の話を聞かせてもらいました。ラオスの首都ビエンチャンでは、潜り込んだ中学校の歴史の授業で、原爆のことがトピックとなっているのを目に、そして耳に……。
日本とその国とのかかわりを学びほぐしたい。
バックパックを背負ってアジアの国をふらふらしていた頃、そんなふうに動機づけられることが何度もありました。帰国後は、例によって関係書籍を大量購入。小学生や中学生、高校生のときに、近代史が特別におもしろいなんて思ったことは一度もなかったのに、体験がベースにあると、自然といろいろなことが気になり始めるから不思議です。京都帝国大学の鉱山学部を卒業した祖父が、商工省の官僚となり、台湾総督府で働いていたなんて話も、そういった学びほぐしの過程で知りました。天国にいるじいちゃん、知らなくてごめん。
学び、のちに学びほぐす。
土佐の坂本龍馬、後藤象二郎、薩摩の西郷隆盛、大久保利通ら、幕末から明治にかけて大きく時代をつかむ人が出ました。江戸時代の寺子屋のおかげでしょう。多様な層が学ぶ寺子屋の乱雑な風景の中から、大変な人材が生まれたのです。読み書きそろばんの能力は、外国と比べても劣らなかったでしょう。ところが、「負けなかった」ことを「勝った」とすりかえた日露戦争以降、東大で一番の人間が偉いとなる。ここでボタンの掛け違いが起こったんです。
大きなボタンから小さなボタンまで、さまざまなボタンの掛け違いに気付くためにも、学びのプロである教員には「学んだり、学びほぐしたり」する時間が必要だと感じます。そしてそれは教員免許更新講習で代用できるようなものではありません。もちろん変形労働時間制によってもたらされるものでもありません。
10年以上も「学んだり、学びほぐしたり」する時間のないまま、おまけに睡眠時間すらまともにとれないまま子どもたちの前に立ち続けていると、だんだん《間違えてあしかを死なせてしまった水族館の飼育係みたいな気分》(By 村上春樹)になってきます。或いは、ごんを撃ってしまった兵十みたいな気分に。つまり、
もうしわけない、と。
働き方改革を実効性のあるものにしつつ、教員免許更新講習を廃止し、変形労働時間制の代わりに例えば「サバティカル」のような制度(7年勤務したら「学んだり、学びほぐしたり」するために1年の長期休暇がもらえる、等々)を取り入れます、なんて話になったら、優秀な若者が教育現場に殺到し、現場の士気も教員の指導力も子どもたちの学力も上がりまくるだろうに。そして官僚や政治家もヘレン・ケラーなみに尊敬されるだろうに。
ねぇ、じいちゃん。
ちなみに冒頭に引用した『新しい風土記へ』の中で鶴見さんの座談相手になっているのは以下の面々です。
Ⅰ 課題をつらぬく視座
姜尚中 核と戦後民主主義
中村哲 国家を超えて生きる流儀
徳永進 生き死にを学びほぐす
アーサー・ビナード 心に届かない言葉
上野千鶴子 老いを生きる覚悟
四方田犬彦 枠にとらわれない視点
Ⅱ アジアのなかの日本
中島岳志 パール判決書が、今に投げかけるもの
孫歌 中国文学者・竹内好の持つ広がり
Ⅲ 聞きたかったこと、話したかったこと
池澤夏樹 思想をつらぬくもの
豪華なメンバーだなぁ。さすが鶴見俊輔さんです。徳永進さんとの対談にて、鶴見さん曰く《老いが死の恐怖を弱めるのは確かでしょう。それだけで長寿は値打ちがある。私は自宅で一人で死ぬのがいいかな。最後の一息まで不良少年として生きたいですね。だが、死がパッと向こうから来て切られるのは仕方ないね》云々。
じいちゃんと、座談したかったな。
ねぇ、じいちゃん。