そのころ農家を回って聞いた話はショッキングだった。アメリカでは既に禁止されていた農薬を使い続けて意識障害を発病した農家の人の話、自家消費の野菜には絶対に農薬は使わない、という彼らの告白。気づいたのは、「知らないから何でもできてしまう」という真実だった。出荷する野菜をどこの誰が食べるか知らないから、農薬を使うことに抵抗がない。逆に、食べる人の顔を知っていることが「抑止力」になるのだ。だから、消費者の側から「抗議」するのではなく、消費者と生産者をつなげることが変化を起こす一番の早道なのだ、と。
(博報堂大学 幸せのものさし編集部『幸せの新しいものさし』PHP研究所、2010)
こんばんは。毎年この時期になると東北地方の太平洋沿いにある小さな漁師町から「秋の便り」が届きます。サンマです。漁師町にある小学校で教師をしていたのはもうかれこれ20年近くも前のことですが、離任した後も、そして千年に一度の大津波が町を襲ってからも、あの頃と変わることなく気にかけてくれる漁師さんたちの懐の深さに、お腹はもちろんのこと、胸がいっぱいになります。生産者との顔の見える関係。ものさしでは測りきれないくらいにしあわせです。
その昔、漁師さんたちから送られてきたサンマを突っついてキャーキャー言っていた長女も、今では「パパ、塩焼きでいい?」なんて言って、勝手に焼きはじめているから驚きです。いつの間にこんなに成長したのでしょうか。それはもちろん、
残業している間に(涙)。
しかも無賃で(涙)。
「そのころ、ちょうど、ビートルズに出会いました。ジョンが、子どもが産まれるから音楽活動を休止するっていうのをラジオの深夜放送で聞いて、すごい父親もいるんだなぁと思って。子どもでしたからね。なんで、俺の父親はジョン・レノンじゃないんだなんて悩んだりもした。そんな中で、将来、自分が家庭を持ったら、ジョンのような父親であり夫になれたらいいなぁと10代のころから、ぼんやり考えていたんです」
博報堂大学 幸せのものさし編集部『幸せの新しいものさし』から、「子育てのものさし」より。ジョンにはなれなかったなぁ😢
キャーキャー。
長女がキャーキャー言っていた頃に、教育系の出版社が主催する教材情報交換会に参加し、テストやドリルをつくっている人たちに会ったことがあります。どういったバックグラウンドをもつ人たちが、どのような思いでそれらをつくっているのか。出版社サイドの人たちにとっては、テストやドリルがどのように使われ、どのように子どもたちの成長に役立っているのか。お互いにそういったことがわかり、とても勉強になったことを覚えています。
ポイントは「お互いに」というところ。
お互いのことをよく知っていれば、どちらかが「ふしあわせ」になるようなことはしづらくなります。引用にもあるように、顔の見える関係は「抑止力」になるからです。ちなみに「しあわせ」とは、作家の玄侑宗久さんの言葉を引けば、本来《他者と仕合うことがうまくいった》ときに感じるもの。玄侑さんの『しあわせる力』には以下のようにあります。
「しあわせ」という言葉は和語です。
そもそもの言葉の起こりは、奈良時代だといわれています。どのような文字を当てたかというと「為」。行為の為ですね。これを「する」と読んだのです。その後、中世になって「しあわせ」という言葉ができて、「為合わせ」と書いた。
「為合わせる」ですから、私がすることと、誰かのすることが合わさるわけです。
為合わせる相手は「天」。それが室町時代に「為」という字が「仕」に変わり、相手が「人」になった。
私がすることと、誰かのすることが合わさるのが「しあわせ」なのだから、教育制度をつくっている人たちと教育現場で働いている我々が、互いに知り合い、そして関わり合い、うまく仕合うことができれば、私たちの「見たい」変化が起こるかもしれないのに、と思います。話題の変形労働時間制なんて、どうひいき目に見ても「知らないから何でもできてしまう」感が拭えないしろものです。過労死レベルで働く私たちが、そして私たちの家族が、どんな状況にあるのか知らないから、変形労働時間制によって「月に100時間残業しても残業代が1円も支給されない」というショッキングな現状が温存されてしまうことに1ミリも抵抗がない。100時間ですよ、100時間。その毎月の100時間で、長女と一緒に何匹のサンマを焼けたことか。
博報堂大学 幸せのものさし編集部『幸せの新しいものさし』には、競争のものさし、会社のものさし、消費のものさし、住まいのものさし、読書のものさし、寄付のものさし、学校のものさし、感覚のものさし、子育てのものさし、時間のものさし、そして大人のものさしの11の新しいものさしが紹介されています。
ものさしを変えてみること。
そして、他者と仕合うこと。