僕はその年、芝刈りのアルバイトをしていた。芝刈り会社は小田急線の経堂駅の近くにあって、結構繁盛していた。大抵の人間は家を建てると庭に芝生を植える。あるいは犬を飼う。これは条件反射みたいなものだ。一度に両方やる人もいる。それはそれで悪くない。芝生の緑は綺麗だし、犬は可愛い。しかし半年ばかりすると、みんな少しうんざりしはじめる。芝生は刈らなくてはならないし、犬は散歩させなくてはならないのだ。なかなかうまくいかない。
(村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』中公文庫、1986)
おはようございます。昨日の午後、家の庭の芝刈りをしました。雰囲気づくりのため、直前に村上春樹さんの『中国行きのスロウ・ボート』を本棚から取り出して久し振りにパラパラと。やっぱりうまいなぁ。思わず芝刈りの予定を忘れて読み耽りそうになります。上記の引用は、『中国行きのスロウ・ボート』の中に収められている、短篇「午後の最後の芝生」より。
しかし半年ばかりすると、みんな少しうんざりしはじめる。
うん、その通り。
私には教員の師匠が2人います。ひとりは田舎の小学校で出会った師匠。もうひとりは都会の小学校で出会った師匠です。
都会の師匠は、一昨日のブログにも書きましたが、若くして文部科学大臣優秀教員表彰を受けている、それでいてそんなことは全く鼻にかけないし話もしない、司馬遼太郎と坂本龍馬を足して2で割ったみたいな「偉人」です。千人にひとりといったレベルでしょうか。私ではなく、誰かがそう言っていました。
田舎の師匠も、都会の師匠に負けず劣らず「偉人」レベルの教員で、東北の震災のときには県を代表して文部科学省に足を運び、当時の状況を説明していました。曰く「この不条理を乗り越えていく力を、たぶんもう、この子たちはもっている」(三浦英之『南三陸日記』より)。師匠、相変わらずカッコいい。
そんな二人に出会えたこと、本当にラッキーだったなぁと思います。
二人の共通点といえば、よく本を読んでいたことと、保護者を介して地域とのつながりが豊かだったこと、モテた(らしい)こと、そして家族が大好きだったこと。
逆に、二人の相違点といえば、
田舎の師匠「10年もすると、ちょっと飽きてくる」
都会の師匠「毎年言うけど、今のクラス、サイコー」
田舎の師匠は「こうやればこんなクラスになる」ということがわかってくると、ちょっと飽きてくる、という話をしていました。その話をしていた数年後には「俺は歯車のひとつ」という言葉を残して教育委員会に入り、今では小学校の校長になっています。
学級担任として輝き続けている都会の師匠は、先日の夜に「肩を壊してドッジボールができなくなったから、もういつ辞めてもいい」と話していました。さすが師匠、そこですか(?)みたいな。ちなみに師匠の師匠は腰を痛めて子どもと遊べなくなったから辞めたそうです。師匠の師匠も腰を痛めるまで学級担任を全うしたとのこと。とても真似できません。
少しうんざりしはじめる。
「もうこの仕事はやらないんだね」
「ええ、今年の夏はね」と僕は言った。今年の夏はもう芝刈りはやらない。来年の夏も、そして再来年の夏も。
田舎に行ったり都会に行ったりして変化を無理矢理つくり、飽きないようにと誤魔化してきましたが、私も少し、学級担任という仕事に「飽き」を感じ始めるようになってきました。正確には、学級担任の仕事というより、それ以外の「不要」と思える仕事と平行してやらなければいけない「現状」に、です。詩人の谷川俊太郎さんに「創造力とは飽きる力だ」という言葉があります。教員を続けていて、少しうんざりしはじめてきたとしても、過労死レベルではなく定時に終わる仕事であったのなら、アフターファイブに「創造力」の源となるような活動をしたり、ゆっくり休んだりして、うんざり感をクリエイティブなものに変えることができるのですが、
なかなかうまくいかない。
どうしたものかと思います。残業と持ち帰り仕事がなければ、やり甲斐のある、よい仕事だとは思います。しかし現状、特に子育て世代については、全くといっていいほど持続可能な働き方にはなっていません。
短篇「午後の最後の芝生」にこんな台詞が出てきます。《僕の求めているのはきちんと芝を刈ることだけなんだ、と僕は思う。最初に機械で芝を刈り、くまででかきあつめ、それから芝刈ばさみできちんと揃える ―― それだけなんだ。僕にはそれができる。そうするべきだと感じているからだ》。学級担任に言わせれば、こうなります。
私の求めているのはきちんと学級をつくることだけなんだ。
それだけなんだ。