田舎教師ときどき都会教師

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中原淳 監修、田中智輝・松村灯・高崎美佐 編著『学校が「とまった」日』より。余白をつくって、連携を。

 私たちが、このプロジェクトを通じて、考察したかったことは、学校とは「授業を提供する」だけでなく、暗に、子どもの生活リズムをつくりあげ、健康を支え、子ども同士の関係をつくり、家庭を支えているのだということにほかなりません。
 「学びがとまったそのとき」に「何が起こるか」を子細に観察・分析していけば、学校が暗に果たしていた役割で、しかも貴重なものが見えてくるはずだ、と私たちは考えました。普段は注目されはしない「学校の隠されていた機能」が顕在化するはずだ、と考えたのです。
(中原淳 監修、田中智輝・松村灯・高崎美佐 編著『学校が「とまった」日 ウィズ・コロナの学びを支える人々の挑戦』東洋館出版、2021)

 

 こんばんは。今日は土曜公開授業でした。以前まで勤めていた自治体と違って、月曜日が代休になるわけではないので、体にも心にも堪えます。公開に備え、祝日だった木曜日も半日出勤したし、来週に備え、明日の日曜日も完全休養とはいかないし。

 

 余白がほしい。

 

 土曜授業には「何もしないことの反対」が生み出す「ネガの効果」が大きいように思います。以前から言われていることですが、教員の労働環境は持続可能なものではありません。だから「土曜授業をやめたそのとき」に「何が起こるか」を子細に観察・分析し、何も起こらない or 教員と子どもに成長実感などの「ポジの効果」が生み出されるのであれば、やめた方がいい。

 土曜授業とは関係ありませんが、『残業学』で知られる中原淳さんも次のようにツイートしています。

 

 

 

 その中原淳さんが監修した『学校が「とまった」日 ウィズ・コロナの学びを支える人々の挑戦』を読みました。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「臨時休校」のときに、学校で、家庭で、地域で、何が起きていたのか。子どもたちの学びをとめないために、教員は、保護者は、児童・生徒は、或いは NPO 法人などの教育関係者は何をしていたのか。そういった問いに答えてくれる一冊です。章立ては、以下。

 

 第1章 休校が私たちにもたらした問い
 第2章 データで見る「そのとき」
 第3章 学ぶ人、学びを支える人が語る「そのとき」
 第4章「そのとき」の経験から見えてきたこと

 

 第1章のタイトルになっている「休校が私たちにもたらした問い」とは、休校措置の渦中にある、まさに「そのとき」に《子どもの学びを支えるための試みが誰によって、いかになされていたのか》というものです。問いに答えるべく、第2章以降、質問紙調査とインタビュー調査による実態把握によって明らかにされていく「そのとき」のリアル。シェアしたい内容を各章からそれぞれ少しだけ紹介します。  

 
第2章 データで見る「そのとき」

 第2章には、質問紙調査でわかった「休校中の子どもたちの生活実態(他者とのつながり、心身の健康、学びの継続)」や「学校の取組」、「保護者の子への関わり」などが書かれています。

 我が意を得たりと思ったのは、高校生調査において「時間があるときにしかできないことに取り組んでいる」や「休校期間を自分なりに有意義に過ごしている」といった「広い意味での学び」につながる項目に、7割程度が「あてはまる」と回答しているというデータです。ちなみに我が家の長女(高1)と次女(中1)も「あてはまる」と答えていました。

 

 まとめよう、今回の休校は、「何をして過ごせばよいのかわからない」といったような、「余白」のある時間を意図せず生み出した。この「余白」は、もちろん無気力状態や生活リズムの乱れのようなネガティブな状態につながることもあるが、「成長実感」のようなポジティブな変化につながりもする。調査結果から示唆されたのは、広い意味での学びが生まれる背景の一つに、「余白」のある時間が考えられるということである。「余白」がもつポジティブな可能性は、今回のような非常事態においてだけではなく、普段からこれまで以上に意識されるべきなのかもしれない。

 

 Google の「20% ルール」と似ています。勤務時間の20% を「普段の業務とは異なる」業務にあててよいという制度です。教員にあてはめると、本来の労働時間は7時間45分だから、20% というと約1時間30分になります。毎日1時間30分、業務とは関係のない時間をとれるとしたら、なおかつ勤務時間内に授業準備を含む全ての仕事を終えられるとしたら、文科省が謳っているところの「魅力ある職業」になること間違いなしです。高校生だろうと中学生だろうと小学生だろうと大人だろうと、「余白」って大事。

 
第3章 学ぶ人、学びを支える人が語る「そのとき」

 第3章には、インタビュー調査でわかった「教員、保護者、そして子どもの学びや生活に関わる支援者たちが『そのとき』をどのように過ごしていたのか」が書かれています。第2章の「余白」に絡めると、次のことが大事だなぁと思います。

 

 ところで、今回の休校措置を巡る一連の社会的動向は、支援者の目からどのように見えているのだろうか。多くのスタッフが今後の支援活動の課題とともに言及したのが、子どもの生活や学びを支えるアクター同士の連携が進んでいないこと、特に教育と福祉の連携の難しさである。

 

 ここでいう支援者というのは、家庭環境や背景に困難を抱える子どもの支援に携わっている NPO 法人のスタッフを指します。そういった方々が勤務校の近くにいるのであれば、今すぐにでもつながりたい。教室にいる「支援を要する子」の多くは、教育というよりも福祉の助けを必要としているって、以前からずっとそう思っているからです。でも、なかなかつながれない。その理由のひとつは、やはり教員サイドに「余白」がないからだと感じます。学校との連携を模索し続けてきたというスタッフさん曰く《その働きかけはこれからも強化したいし、逆に向こうからもアプローチが来てほしいタイミングかなというふうに思いますね》云々。教員に「余白」があれば、アプローチも生まれるだろうに。やっぱり、「余白」って大事。

 第3章の最後には座談会(2020年6月14日に実施されたオンライン調査報告会)が収録されていて、中原さんの次のコメントが、とてもとてもよい。学校の先生たちへのエールです、きっと。

 

うちの子は、無料コンテンツ、びっくりするくらい見ない。ただし、自分の先生が語りかけてくれるということなら別なんですよ。これはおもしろいなと思っていて、先生一般じゃなくて、「私の先生」が語りかけてくるというのは、きわめて大事なことだなと思う。

 
第4章「そのとき」の経験から見えてきたこ

 第4章では、「学びを支えるために何ができるか」という視点から、量的な調査である第2章と、質的な調査である第3章で示された知見が総括されています。最初に、学びを継続できた子の共通点が示されます。

 

 ① 生活リズムを大きく崩さなかったこと
 ② やることが把握できていたこと
 ③ ストレスを解消する方法があったこと

 

 ②は学校も関係しているとはいえ、要するに家庭だ(!)と思ってしまうところがダメなところです。これまでの調査結果から見えてきたのは、三者の連携、すなわち「保護者」「学校(教員)」「支援者」の連携がうまくいっていないという課題だそうです。課題解決のためには、平時から連携のための労を惜しまないこと。認識のズレが生じないように、コミュニケーションのチャンネルをいくつもつくっておくこと。そのためにも、やはりこう思います。余白がなければ難しいって。やっぱり、「余白」って大事。

 第4章の最後は次のようにまとめられています。

 

 子どもの学びを支えるネットワークを編み直すという試みは、I did(私はこうした)から、We try(私たちはこうしよう)への話法転換から始まるのではないだろうか。

 

 余白がないから連携できないのではなく、連携しないから余白が生まれないのかもしれない。だからこそ、土曜授業よりも、We try(私たちはこうしよう)という作戦会議を。

 

 余白の中で。

 

 あっ、地震だ!