だれもなにひとつ理解していなかった。これがいちばん恐ろしいことです。放射線測定員がある数値をいう、新聞に載るのは別の数値だ。ははーん、ゆっくりとなにかがわかりかける。ぼくの家には小さな子どもと愛する妻が残っている。こんなところにくるなんて、ぼくはよほどの大ばか者に違いない。メダルはもらえるだろうが、妻に逃げられるかもしれない。救いはユーモアです。小話をしまくった。
(スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り 未来の物語』岩波現代文庫、2011)
こんにちは。もと日本マイクロソフト社長の成毛眞さんが、今朝の Facebook に《感染者数も死亡者数も4月には中国を抜くであろう。いま政府が何かをはじめても、感染者数が10万人でとどまるとはとても思われない。オリンピックなど不可能であろう》と書いています。成毛眞さんや感染症医の岩田健太郎さんなど、いわゆる理系思考の人が発信する情報には、政府発のそれよりも敏感にならざるを得ません。だから明日以降、また満員電車に乗らなくてはいけないかと思うと、憂鬱です。新型コロナウイルスに感染している人がかなりの確率で乗っていると思われるからです。高齢者を除けば死亡率は低いようですが、車内でウイルスをもらってそれを学校と家庭でばらまくのは、子どもたちにとっても家族にとっても、いい迷惑です。祖父母と同居している子どもだっているわけだし。それがわかっていて学校へ行くなんて、私はよほどの大ばか者に違いありません。
車で行こうかな。
ちなみに上海、韓国、台湾、ベトナムは2月末まで休校だそうです。マカオに至っては「休校期限定めず」とのこと。日本はもういろいろな意味で「まともな国」ではないなぁと、かつてバックパックを背負って台湾やらベトナムやらマカオやらをてくてくと歩いた身としては寂しく思います。現状、為政者についていえば、理系思考も最悪想定力も、間違いなくそれらの国や都市が日本を上回っているように思えます。2015年にノーベル文学賞を受賞した、ベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチも、訊ねられればきっとそう答えるでしょう。シュレッダーとか領収書の偽造とか、おかしなニュースがよく流れていますが、《放射線測定員がある数値をいう、新聞に載るのは別の数値だ》というようなことを平気でやってしまう国に、明るい未来があるとは思えません。彼女の代表作『チェルノブイリの祈り』の副題は「未来の物語」。示唆に富みます。
石牟礼道子さんの『苦海浄土』や、村上春樹さんの『アンダーグラウンド』と同じように、スベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』も、原発事故(石牟礼道子さんは水俣病、村上春樹さんは地下鉄サリン事件)そのものよりも、その事故によって人生をねじ曲げられてしまった一人ひとりの「個人」に焦点を当てた作品です。その場にたまたま居合わせてしまった人たちが何を思い、何を考えたのか。だから胸を打ちます。
私は彼を愛していた。でもどんなに愛しているかまだわかっていなかった。結婚したばかりでしたから。こんなこともありました。通りを行きながら、彼は私を抱きかかえくるくるまわりだす。そしてキスの雨。そばを通りすぎる人が、みんな笑っていた。
満員電車に乗っている一人ひとりに、こういったしあわせがあるということを想像できれば、そしてそれがなくなってしまうかもしれないということを想像できれば、「2月末まで休校」くらいはできるような気がするのですが、どうなのでしょうか。コロナウイルスよりも上の怒りを買うことのほうがこわいのでしょうか。
上の怒りを買うことのほうが、原子力よりもこわかったんです。だれもかれもが電話や命令を待つだけで、自分ではなにもやろうとしませんでした。
社会が安定していないときに最も被害を受けるのは休みたくても休めないような弱い立場にいる人たちです。満員電車に乗るたびに思います。あぁ、この人たちも休めないんだなって。ときどきケンカ口調の声が聞こえてきたりして、車内はユーモアすら言えないくらいピリピリとしています。
誰か、何とかしてくれよ。
いわゆる「学級崩壊」の状態にある学級も同じです。最も被害を受けるのは学力の低い子どもたちです。被害を受けていることすらわかっていないケースが多々あって、本当にかわいそうです。そして傍観者になってしまっている子どもたちは「先生、何とかしてくれよ」と思っています。
先生、何とかしてくれよ。
祈りたくもなります。コントロールできていないのに「アンダーコントロール」って言っちゃうところも社会と学校は似ているかもしれません。鴻上尚史さんいうところの「世間」という言葉を使えば、世間から力のない大人って思われたくない、世間から力のない先生って思われたくない、だから「助けて!」が言えない。
ここでくらしているのは彼らの子どもや孫なのに、「たすけて!」と世界に向かってさけんだのは彼らじゃない。一人の作家でした。
旅先だと「助けて!」って言えるんですよね、これが。世間から解放されているからでしょうか。写真は、中国の黄山でお世話になった宿泊先のホテルのファミリーです。寒さに震えていたら大量の毛布と大量のお湯を持ってきてくれました。そして「熱があるようだから2、3日ゆっくりしていけ。宿泊代は要らないから」と言われました。病にかかっているひとり旅の外国人に優しい御家族。元気だといいなぁ。
想像力を伸ばすこと。
日出る国の祈り。
助けて!