田舎教師ときどき都会教師

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神成淳司、宮台真司 著『計算不可能性を設計する』より。ICTを活用し、履修主義から習得主義へ。

 では、教育のどの部分に人間が必要なのかと言えば、教科書に記述された内容とは別に、より実践的な要素を盛り込んだ教育の部分でしょう。テストでよい点を取るためではなく、実際に社会に役に立つような実践的な教育のことです。
 例えば、物理・科学の実験です。あるいはワークショップ形式の授業も、教師の存在が効果的なものだと思います。そのほか、コミュニケーションの部分でしょうね。人間だけができることは、情操教育なのだと思います。
(神成淳司、宮台真司『計算不可能性を設計する』That's Japan、2007)

 

 こんにちは。在宅ワークが増えてきたということもあって、いつの間にやらひろゆきさんの『なまけもの時間術』を地で行く毎日になりつつあります。学校がいつ再開するのか、どこで再開するのか、どのように再開するのか、全く見えてこない「With コロナ」の時代です。闇雲にロケットスタートを切り、チーターの時間術で生活するわけにもいきません。今はただ、なまけもののように沈思黙考するのみです。

 

 

 沈思黙考していたらというか、ボーッとしていたらというか、履修主義から習得主義へという旧くて新しい言葉が浮かんできました。習うからできるへ。隂山英男、藤原和博 著『家庭で育てる国際学力』によれば、前回、2011年の学習指導要領の改訂の一番の特徴は、履修主義ではなく習得主義に舵を切ることだった、とのこと。前回ですよ、前回。旧いというのはそういう意味です。

 

 履修主義 → 習う
 習得主義 → できる
 

 とはいえ、未だにお上も現場も履修主義ですよね。だって「夏休みなし」とか「土曜授業を増やす」とか「平日7時間授業」とか言っているわけですから。できるようになったかどうかよりも全員一律に同じ授業を受けたかどうかだけが「未だに」重視されています。さらには、この4月中は学習を進めないでくださいなどと宣わっている自治体もあります。それぞれ裏を返せば、家庭や塾の力は認めない、習っていない漢字は使ってはいけない、学びのコントローラーは渡さない、そういった話です。もと文部科学省の寺脇研さんが《家庭や地域の教育力をバカにしないで欲しい》というのも頷けます。

 

 

 履修主義から脱却しない限り、しばらく続くであろう「With コロナの時代」に公教育はうまく対応することはできません。計算不可能性の時代に合うのは習得主義だからです。どういうことか。前回の学習指導要領が改訂される少し前、2007年に出版された『計算不可能性を設計する』を読むとそのことがよくわかります。

 

 With コロナの時代を設計する。

 

 

 神成淳司さんと宮台真司さんの共著『計算不可能性を設計する』を再読しました。 副題は「IT アーキテクトの未来への挑戦」です。13年前の本なので、その未来がやってきたかなと思っての再読です。

 情報科学を専門とする神成淳司さんは、社会学者の宮台真司さん曰く《すごいアーキテクト》でもあります。アーキテクトとはアーキテクチャをつくる人。教育でいえば、ICT 環境を含めた教育制度全体にかかわるデザインをする人です。

 その神成淳司さんが「教育におけるコンピュータ活用のメリット」として挙げているのが次の3つです。

 

 ① 平均的な教育レベルの向上
 ② 教育を受ける側の自由度が高まる
 ③ 履修者のレベルに合わせた教材の提供が可能になる

 

 ①は宮台真司さんが指摘していることで、授業を「複写可能な情報材」として還元することができれば、極端な話、名物教員ひとりで平均的な教育レベルを上げることができるという話です。指導主事が授業を撮影して配信している自治体があるそうですが、それと同じです。

 ②は時間と場所の制約を受けにくいという話です。Wi-Fi 環境の整備を進めて Zoomのようなものが冷蔵庫的なインフラになれば、子どもたちの自由度は確実に上がります。今がそうですよね、きっと。一部の学習塾はすでにそうしていて、そういった塾に通っている子は「4月中は学習を進めないでください」なんていう形だけの平等主義には一切耳をかさず、これ幸いと自由に知的好奇心を満たしています。

 ③は、①②と合わせて、実力のある子どもはどんどん学習を進めていけるし、習得に時間のかかる子はゆっくりと学習を進めていけるという話です。学びのコントローラーを教師ではなく子どもがもつということであり、いわゆる「学習の個別化」が可能になるということです。

 

 履修主義から習得主義へ。

 

 おわかりかと思いますが、教育におけるコンピュータ活用のメリットである①②③は、履修主義ではなく習得主義に親和性をもちます。特に知識・理解や計算などの技能については「ICTとステイ・ホーム」で充分に学ぶことができます。学校は、冒頭の引用にあるように、実験やワークショップ形式の授業、コミュニケーションや情操教育など、人間にしかできない仕事を担っていけばいい。神成淳司さんは、コンピューターを活用したアーキテクチャが実現した場合、生身の教員が必要とされるのは30%程度と書いています。高校生あたりをイメージしていると考えられるので、小学生であれば50%くらいでしょうか。習得主義をベースにICTを効果的に活用していけば、午前授業だけでOKになるかもしれないということです。働き方も、正常なものになりますね。

 

 With コロナの時代。

 

『学び合い』で知られる上越教育大学の西川純さんも、著書『2030年  教師の仕事はこう変わる』の中で、似たようなことを述べています。ICTを最大限に活用して、規格化から個性化へ、同時化から非同時化へ、集中化から分散化へ、等々。どれも「履修主義から習得主義へ」と言い換えることができます。2030年までコロナが続いていることはないと思いますが、コロナの収束よりも早く、教育のアーキテクチャを変えてほしいものです。

 

 なまけもの。

 

 散歩してきます。

 

 

陰山英男 藤原和博 家庭で育てる国際学力

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2030年 教師の仕事はこう変わる!

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  • 作者:西川 純
  • 発売日: 2018/04/12
  • メディア: 単行本