実際には、社会的にも政治的にも利害関係は複雑で錯綜しており、アテにしていた反応・反響が得られないことはしばしばあります。すべてを計算し尽くして行動することは不可能です。「やってみないとわからない」のが現実であり、何らかの行動を選択した後に、それに見合う反応・反響を確保すべく奔走するのが普通だと思います。
(湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』朝日文庫、2015)
反応があるっていうのは嬉しいものです。「やってみないとわからない」と思い、ツイッターと連動させながらの「ブログ」を書き始めてから約3ヶ月。それに見合う反応・反響を確保すべく奔走したわけではありませんが、これまでに何度か、本好きにとってはたまらない、嬉しい反応がありました。
それは、作家さん本人による反応(リツイート)です。
私のことをフォローしているわけでもない作家さんに、どうやって私のブログやツイートが届いているのかはさっぱりわかりませんが、ときおり表示される「いいね」や「リツイート」に作家さん本人の名前があったときの幸福感といったらそれはもう「辞書には載っていない」レベルのもので、三浦しをんさんの『舟を編む』でいうところの、他のことが手に付かなくなり、身悶えしたくなるような、天にものぼる気持ちになります。正月明けに飼育委員会の担当の先生が餌と水をもってウサギ小屋に入っていったときの「待ち人来たる」的なウサギの喜びようみたいなもの。
ウサギは寂しいと死んじゃう。
どうやらこれは「嘘」みたいですが、「反応がないと行動が消失する」というのは多くの教員が指導のベースとしている行動分析学の常識です。「私語をする」行動は、友達の反応があることで継続している、という話。だからブログを書いても反応がゼロだったら、おそらくは続きません。今、頭の中で「明日の授業の準備が終わっていないのに、ブログを書いている場合か」と焦りながらもキーボードをカタカタと叩いているのは、これまでの記事に対する「反応」のおかげです。そしてその反応の中に、作家さんが🎵
松井博さん。
坂口恭平さん。
田中泰延さん。
磯野真穂さん。
松井博さんにリツイートしていただいた記事です。本人から直接「書評ありがとうございます!」っていう返信ツイートが来て、ものすご~くびっくりしました。驚きとともに嬉しすぎて、近所の珈琲屋にダッシュしてしまいました。一人乾杯(珈琲)。
それから坂口恭平さん。新政府の内閣総理大臣だけあって、影響力は絶大。リツイートしていただいたブログのツイッターのインプレッションは、あっという間に1万近くに。ホント、感謝です。
長女(15)も「その本の表紙、見たことがある!」と言う、話題の『読みたいことを、書けばいい。』の著者である田中泰延さんにもリツイートしていただきました。フォローもしていただいて、感激です。
そして一昨日は、人類学者の磯野真穂さんにリツイートしていただき、同時に以下の返信ツイートをいただきました。パパ、磯野真穂さんから返信をもらったよ~🎵
お読みくださりありがとうございます。教員の方がこの本を手にとってくださったこと本当に嬉しいです。書いてよかった。
— 磯野真穂|人類学者 (@mahoisono) November 25, 2019
繰り返しますが、本好きにとっては、たまりません。3ヶ月とちょっとですが、ブログを書き続けてよかった。
作家さんだけではなく、ブロガーさんの反応も嬉しい。
今朝、電車に乗って、今日はこの「反応/リツイート」のことをブログに書こう、と頭の中でイメージしながら、最近の朝の日課(朝読書?)となっている、インクさんのブログ「ツイートの3行目」をクリックしたところ、インクさんも「反応/リツイート」のことを書いていて、これまたびっくり。
やっぱり、反応って気になるものなのですね。おもしろいからって読んでもらえるとは限らない。インクさんほどの書き手でも、書いたものに対する反応が気になるのだから、子どもたちが自分で書いたもの(感想文やリーフレットなど)を手に、「先生!」「先生!」っていうのも当然なのかもしれません。
先生に褒められたいから書くのかい?
忙しいからといって、或いはクラスに40人近くも子どもがいるからといって、承認欲求は🆖みたいなそういう対応は、今後控えようかと思います。4年生くらいまでの子どもたちにとって、担任の先生は、私にとっての「本を書く人」たちみたいなもの(かもしれませんから)。
ヒーローを待っていても世界は変わらないとはいうものの、これからもまた、私にとってのヒーローである「本を書く人」たちからの反応に期待してしまうような気がします。自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。そんな境地に、早くたどり着きたいものです。
あぁ、授業準備💦