豊かさをもたらすのは資本主義なのか、コミュニズムなのか。多くの人は、資本主義だと即答するだろう。資本主義は人類史上、前例を見ないような技術発展をもたらし、物質的に豊かな社会をもたらした。そう多くの人が思い込んでいるし、たしかに、そういう一面もあるだろう。
だが、現実はそれほど単純ではない。むしろ、こう問わないといけない。九九%の私たちにとって、欠乏をもたらしているのは、資本主義なのではないか、と。資本主義が発展すればするほど、私たちは貧しくなるのではないか、と。
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020)
こんばんは。今週もまた忙しすぎる「月~金」でした。土曜日の今日も持ち帰り仕事に追われているので、正確には「月~土」でしょうか。せめてもの救いは「日」が入らなかったこと。この忙しさをもたらしているのは、
資本主義なのではないか。
資本主義が発展すればするほど、私たちのようなエッセンシャル・ワーカー(単なる「価値」ではなく「使用価値」が高いものを生み出す労働者)たちは忙しくなるのではないか。晩年のマルクスが《生産を「使用価値」重視のものに切り替え、無駄な「価値」の創出につながる生産を減らして、労働時間を短縮すること》を提唱していたのはそのためではないか。そんなことを教えてくれる本を読みました。読もうと思ったきっかけは、これです。
神保哲生さんと宮台真司さんが司会を務める、マル激トーク・オン・ディマンド 「コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体」(第1047回/無料試聴回!)です。ゲストは大阪市立大学准教授の斎藤幸平さん。新進気鋭の経済・社会思想学者として知られる、若き俊英です。作家の佐藤優さん曰く、
斎藤はピケティを超えた。
すげ~。斎藤さんの新進気鋭っぷりを決定的にしたのが、2018年のドイッチャー記念賞を日本人として初、しかも歴代最年少で受賞した『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』(邦訳)と、2021年の新書大賞に輝いた、これです。
斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』を読みました。マルクス関係の思想書なのに、つまり「おかたそう」なのに、すでに25万部も売れているという、宮台さんをして「前代未聞の、稀有な事態が起こっている」と言わしめた一冊です。
タイトルにある「人新世」は《人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代》を意味します。名付け親はノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンとのこと。地質学的な区分としては、新世代第四紀の「更新世」「完新世」に続く時代として想定されています。私たちは、今、人新世を生きている。章立ては、以下。
はじめに SDGsは「大衆のアヘン」である!
第一章 気候変動と帝国的生活様式
第二章 気候ケインズ主義の限界
第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つ
第四章 「人新世」のマルクス
第五章 加速主義という現実逃避
第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う
第八章 気候正義という「梃子」
おわりに 歴史を終わらせないために
第一章から第三章は、スーザン・ジョージが1976年に書いた『なぜ世界の半分が餓えるのか:食糧危機の構造』を彷彿とさせる内容です。なぜに対する答えは、先進国が第三世界から「労働力の搾取」と「自然資源の収奪」をしているから。つまり、
資本主義だから。
第一章から第三章を読むと、この構造はもちろん現在も続いていて、否、牛丼がたった300円で食べられるくらいに酷くなっていて、もはや第三世界(斎藤さんは「外部」or「グローバル・サウス」と書きます)はもたない(!)ということがわかります。グローバル・サウスがもたないということは、先進国のライフスタイルももたない(!)ということです。つまり、資本主義はもうもたない。もたなくなってきたというその兆候が、教員のオーバーワークであり、コロナかもしれません。
しかし、人類の経済活動が全地球を覆ってしまった「人新世」とは、そのような収奪と転嫁を行うための外部が消尽した時代だといっていい。
外部が消尽してしまうくらいに資本主義を純化させていった結果、地球温暖化をはじめとする気候変動がヤバイことになっている、というのが斎藤さんの主張です。SDGsやテクノロジーでは対応できないくらいに、ヤバイ。
レジ袋を削減させたところで、焼け石に水。
電気自動車を普及させたところで、焼け石に水。
では、どうすればいいのか。そこで登場するのがマルクスというわけです。
さあ、眠っているマルクスを呼び起こそう。彼なら、きっと「人新世」からの呼びかけにも応答してくれるはずだ。
第三章の最後に書かれているこの文章、カッコいいです。ルソーを呼び起こすことで「もうひとつの民主主義」の可能性を説いた、東浩紀さんの『一般意志2.0』と同じくらいカッコいいです。マルクスを再解釈&参照して世の中をアップデートしようとする斎藤さん。ルソーを再解釈&参照して世の中をアップデートしようとした東さん。大阪市の市長になってほしいくらい憧れます。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
とはいえ、マルクスというと、世代的には「共産主義」とか「旧ソ連」が頭に浮かびます。だからナチュラルにこう思います。
今さら?
しかし近年、マルクスの再解釈が進み、晩年のマルクスが考えていたことは、資本論をまとめたときのそれとは「違う」ことがわかってきたとのこと。それこそ「人新世」の環境危機にも対応できるような思想をもっていたとのこと。そのことが第4章以降に詳しく書かれています。
むしろ、『資本論』以降のマルクスが着目したのは、資本主義と自然環境の関係性だった。資本主義は技術革新によって、物質代謝の亀裂をいろいろな方法で外部に転嫁しながら時間稼ぎをする。ところが、まさにその転嫁によって、資本は「修復不可能な亀裂」を世界規模で深めていく。最終的には資本主義も存続できなくなる。
晩年のマルクスの予言通り、資本主義はもたなくなってきた。では、どうすればいいのか。
その答えのひとつとして構想されているのが、第7章に書かれている「脱成長コミュニズム」です。晩年のマルクスがたどり着いた「経済成長をスローダウンさせる」という考えをベースにした、人新世の時代への『資本論』。具体的には以下の5つにまとめられます。
① 使用価値経済への転換
② 労働時間の短縮
③ 画一的な分業の廃止
④ 生産過程の民主化
⑤ エッセンシャル・ワークの重視
素晴らしい。①②⑤が実現すれば、教師のバトンはつながり、土日も休めるようになるでしょう。③が実現すれば、前回のブログに書いた菅谷晋一さんのような幸せを得られる子どもが増えるかもしれません。地球にも優しくなれる。
問題は④でしょうか。生産過程の民主化が実現できなければ、①②③⑤も絵に描いた餅になってしまうからです。
生産過程の民主化というのはつまり、私たちの街( ≒ アソシエーション by マルクス)は再生可能エネルギー選択します、管理も私たちがします、電力は〈コモン〉ですから、というような話です。ただしこれはなかなかハードルが高くて、ソ連もこれを受け入れられずに官僚主導の独裁国家になってしまったとのこと。
う~ん。
ちなみに〈アソシエーション〉と〈コモン〉は晩年のマルクスを理解するための鍵概念です。地球環境及びこれからの私たちの未来を占うための鍵概念でもあります。第8章には、コモンを大切にしつつ、①~⑤をかたちにしようとしているアソシエーションの例として、フィアレス・シティと呼ばれるバルセロナが紹介されていて、必読!
「フィアレス・シティ」とは、国家が押しつける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体を指す。国家に対しても、グローバル企業に対しても恐れずに、住民のために行動することを目指す都市だ。
フィアレス・シティを教室に当てはめれば、参加と協働に関する指導や支援を徹底する、となるでしょうか。斎藤さんの『人新世の「資本論」』には、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんの名前がしばしば出てきます。公教育を通して、グレタさんのように考え、行動し、社会に参加する「ひと」を育てること。ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によれば、そういった「ひと」が「3.5%」に達すると社会が大きく変わるそうです。
その3.5%のひとりを育てること。
大洪水の前に。