田舎教師ときどき都会教師

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宮台真司、苅部直、渡辺靖 著『民主主義は不可能なのか? コモンセンスが崩壊した世界で』より。俺はいいけど、あの人は大丈夫か?

宮台 中国は、アメリカと違い、AI統治と信用スコアを全面化しつつある。前者から言えば、ネットを使っていると公安が訪れて「あなたはAIによってマークされた」と連行される。「政治ネタは書いていない」と反論しても「AIの判断。我々には分からない」で終了。AIで得られた情報が優先される。僕の言葉を使えばAIを用いた脱人称化によって統治コストを下げる戦略です。~中略~。マイケル・サンデルがアリストテレスを援用して言うように、罰を受けて損するから人を殺さない社会よりも、殺したくないと思うから人を殺さない社会のほうが、よい社会だとされてきました。それはどうなるのか。むろん中国政府に言わせれば、そんな呑気なことを言っていたのでは統治できない、で終了です。
(宮台真司、苅部直、渡辺靖『民主主義は不可能なのか?  コモンセンスが崩壊した世界で』読書人、2019)

 

 こんにちは。ちょうど一ヶ月ほど前に上記の本の刊行記念イベントに参加しました。場所は代官山の蔦谷書店。安倍が悪いのではなく、安倍は結果。トランプが悪いのではなく、トランプは結果、等々。あの日も宮台節が心地よく、特に「俺はいいけどあの人は大丈夫か、という感情がはたらくことが民主制の条件」なんて話、クラスの子どもたちに毎日でも伝えたい台詞だなぁと思いました。

 

 冒頭の引用にある「中国」はといえば。

 

 北京にて。万里の長城に行こうと思ってバスに乗ったら、降りるべきバス停を通り過ぎてしまい、あ~どうしよう、と思ったあのとき。

 済南(サイナン)の宿泊先にて。一目で売春目的とわかる女の子が部屋に入ろうとしてきたので「そういう人間じゃね~」って追い返したら、数分後に今度はおっさんが入ろうとしてきたので「そういう意味じゃね~」って必死になって追い返した、文字通り「災難」だ、と思ったあのとき。

 景徳鎮にて。店の前に並べられていた高価そうな壺を誤って倒してしまい、リアルなドミノ倒しが始まって、終わった、と思ったあのとき。

  

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北京~香港、バスと電車を乗り継いで(01年)

 

 旅をしたのは信用スコアなんて言葉がなかった時代の中国ですが、損得感情など微塵も感じさせることなく、私が困っていた「あのとき」には、「大丈夫か?」って、いつも誰かが手を差し伸べてくれたように記憶しています。たまたま不親切な人に出会わなかっただけの「郵便的な誤配」だったのかもしれませんが、バックパッカーだった私の目には、当時の中国は頭でっかちな「罰を受けて損するから人を殺さない社会」寄りの社会ではなく、心でっかちな「殺したくないと思うから人を殺さない社会」寄りの社会のように映りました。

 

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求人広告の立て看板

  

 旅の途中、黄山という町で、上記の立て看板を見かけました。いわゆる求人広告の類いです。赤字で書かれていた賃金に目を引かれてシャッターを切りました。赤字のひとつには、こうあります。

 

 300元/月

 

 当時のレートで考えると、月給にしておよそ4500円程度です。日本を含めた諸外国の工場が中国に移転するのも当然かなと思いました。あれから20年近く経って、中国は「世界の工場」から「内需で廻る経済」にシフトし、昔の日本のように経済成長まっしぐら。しかしそのことによって、宮台さんいうところの「AI統治と信用スコアを全面化しつつある」損得優先の社会になってきているのだとしたら、残念です。日本はすでに、どこもかしこも損得万歳、そんな感じですから。

 

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その美しさに惹かれ、思いつきで登った黄山


 我が家のお隣さん Family は中国人です。涼しくなってきたここ最近、夜に窓を開けると中国語の会話が聞こえてきて、日本にいるのに旅先にいる気分だなぁ、なんて思うことがしばしばあります。学校にも中国籍の子がいるし、休日に都会へ足を運べば、そこかしこで中国人に出会うし。むかし、田舎の床屋で「中国人の嫁います」なんていう看板を見かけたことがありますが、もうそういう時代は終わったのでしょう。

 

 コモンセンスが崩壊した世界で。

 

 先週、クラスにいた中国籍の子がひとり、別の学校へ転校してしまいました。最終日には男女の別なく3分の2くらいの子が泣いていました。ともに過ごしてきたというコモンセンス(共通の感覚)があるからこその「涙」です。中国人や韓国人など、近隣諸国の人々とのかかわりが増え続けていくであろうこれからの未来。子どもたちには、国籍の異なる人たちとも積極的にかかわることで、心でっかちな社会(働き方、生き方)のベースとなるようなコモンセンスを構築していってほしいなぁと思います。頭でっかちではなく、心でっかち。

 

 俺はいいけど、あの人は大丈夫か?

 

 それがいちばん大事。