小学生の学力が低下したとか言われているけれども、テストの点数に一喜一憂するよりも、もっと大切なものがあることを忘れてはいけない。小学校6年までの教育では、周りにいる人間が仲間なんだ、という意識を身につけることが決定的に重要なんだよ。人間はその仲間意識さえ持っていればそれからの人生は大丈夫なんだから、と言うのです。
(上田紀行『かけがえのない人間』講談社現代新書、2008)
おはようございます。先日、といっても少し前ですが、教え子から「2人がドイツに遊びに来てくれて、4年生のときの話をたくさんしました🎵」というメッセージをもらいました。当時は10歳、現在は20歳。地元の公立中学校を卒業した後に単身ドイツに渡り、バレエで生計を立てながら、ビール片手に「もうすっかりドイツ人」的なポジションを獲得しているたくましい教え子です。遊びに来てくれたという2人も当時のクラスの教え子で、進級&進学後はクラスも学校もバラバラになり、なかなか会う機会もなかったようですが、今夏、4年生のときの仲間意識に導かれるように異国での再会と相成ったようで、嬉しく思いました。
会おうと思えばいつでも会えると思える人には、絶対に会えない。
学生のときに贔屓にしていたアングラ劇団の劇で聞いた台詞です。SNSのおかげで再会までのハードルは随分と少なくなったものの、異なる日常を送っている者同士が再会を果たすためには、それなりの思いと、それなりのエネルギーが必要です。絶対に会えないという壁を乗り越えて、遠くドイツまでわざわざ会いに行った教え子に、そしてそのことを報告してくれた教え子に「仲間意識さえもっていればそれからの人生は大丈夫」ということを教えてもらった、夏の終わりでした。
世間は三連休ですが、こちらは午前中だけとはいえ土曜授業で今日も出勤。過労死レベルで働く毎日と、瞼の重い、いつもの朝。
そんなわけで、いつ過労死してもおかしくないなぁと感じはじめてからというもの、会おうと思えばいつでも会えると思える人には、会いたいと思ったときに「即」連絡して、時間をつくって会いに行くようにしています。
授業が終わったら、そして夕方くらいまでに来週の授業準備の目処がついたら、今夜は、むか~し昔にインドのダージリンで出会った旅人に会ってきます。楽しみだな。以下、写真で振り返るダージリンへの困難な道。
2000年の春、寝台列車に乗ってカルカッタにあるハウラー駅からニュージャリパイグリ駅へ。ハウラー駅を15時25分に出発する予定が、ダイヤの乱れで18時30分発に。インドではよくある話。
翌朝の8時15分、ニュージャリパイグリ駅着。電車を降りたらカナダ人のサラとスティーブンに声をかけられ、そのまま3人でトイ・トレインに乗車。日記には「カナダ人カップルに声をかけられトイ・トレインに乗るはめに」とあります。おそらくそのときの私は別の交通手段を考えていたか、或いはそこで1泊する予定だったのでしょう。トイ・トレインだとダージリンまで8時間。バスだと確か2、3時間です。後に世界遺産に登録されることになるトイ・トレイン。サラとスティーブンにはマストだったのかもしれませんが、ひ弱な私にとってはハード・スケジュール。
で、トイ・トレインに乗って約2時間後にめちゃくちゃ気持ち悪くなります。地べたをのたうちまわる私。心配そうに、でも半分くらいは「こいつドラッグでもやっていてそれが切れて禁断症状が出ているんだな」っていう表情で私を見ているサラとスティーブン。そういえばダージリンにはドラッグを目的として行く人も多いって何かに書いてあったな。ちなみにドラッグはおろかタバコすら未経験です、私は。
まだ6時間もあるし、もうダメだと思った矢先にストライキでトイ・トレインがとまります。ここで全員降りろ、とのこと。助かった。サラとスティーブンとともに下車してヒッチハイク。サラが薬をくれて、感謝。周りにいる人間は仲間なんだ!
ヒッチハイクしてトラックの荷台(レンガの上)に乗せてもらい、ダージリンへ。揺れる揺れる。落ちる落ちる。紐にしがみつく。景色は凄いけど、途中、ヒマラヤへ向けて何度か嘔吐。午後5時30分、ようやくダージリン着。最初からバスに乗っていればお昼前に着いていたのに。やれやれ。サラとスティーブンにサヨウナラを告げ、ゲストハウスを探してチェック・イン。気持ち悪さがまだ残っていたので、即寝る。翌朝、同じ宿に泊まっていたKさんという一回りくらい年上の日本人女性に話しかけられ、ダージリンティーの美味しいお店があるというので、一緒に連れて行ってもらう。
Kさん、元気かな。
楽しみだな😊