家族映画の傑作を作ってくださり、ありがとうございます。
いや、家族映画という言葉でくくるには……この映画はそれ以上のものだと思います。
なんと名付ければ良いでしょうか……。
シンプルに“是枝裕和の映画”と言ったほうが良いかもしれません。
そして、とても深いところから心を突き動かされる映画です。
(千美朝 編『総特集 是枝裕和 またここから始まる』河出書房新社、2016)
こんばんは。上記は、文藝別冊の『総特集 是枝裕和 またここから始まる』に収録されている「是枝監督への手紙 ポン・ジュノ」から引用したものです。冒頭にある「家族映画の傑作」というのは、主人公の母を演じた故・樹木希林さんの「わかんないもんだねえ、人間なんてさ」という台詞が印象的な、2008年公開の『歩いても 歩いても』のこと。
ポン・ジュノは、上映中の映画『パラサイト 半地下の家族』の監督です。韓国を代表する若き巨匠として知られ、この作品は、是枝監督の『万引き家族』と同じように、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞しています。さらに米アカデミー賞の国際長編映画賞も受賞したことから、注目度がアップし、もうすぐ高校生になる長女も、もうすぐ中学生になる次女も、珍しく「観たい」とのこと。
大義名分。
長女と次女の「観たい要請」を受けたので「R12指定だから先にパパが観に行って内容を確認してくるよ。怖くない映画だったらママと一緒に行けばいいよ」とかなんとか言って大義名分をつくり、今日、コロナ網をかいくぐりながら、一足先に観に行ってきました。
結論をいえば、先に観ておいて正解でした。映画の後半は、トッド・フィリップス監督の『JOKER』みたいな惨状になっていて、映画全体の社会性やメッセージ性はOKだとしても、映像的には個人差があるとはいえNGに思えたからです。長女と次女が観たらしばらく眠れなくなるだろうなぁ。『JOKER』と同様にR15+指定にしてもいいような気がします。
半地下住宅で生活していた4人家族(貧困層)が、高台にある豪邸に住む4人家族(富裕層)を騙してパラサイト(=寄生)するようになる、というのが物語の枠組みです。半地下がケで、パラサイト先がハレです。ハレには常に混沌がつきものとはよくいったもので、階段を上ってパラサイトした後に、「我が子にはちょっと見せられないなぁ」という惨状が訪れます。ミトコンドリア遺伝子の「イブ」が、ヒトを騙してパラサイトし、混沌こそ我が墓碑銘とばかりに暴走していく、瀬名秀明さんの『パラサイト・イブ』と同じです。
タイトルにもある「半地下」というのは、もともとは北朝鮮の攻撃に備えてつくられた防空壕で、それが住宅用に安く賃貸されるようになった狭小空間のことをいいます。韓国では、国民の1.9%(約36万世帯)がこの《眼の高さの道端では、通行人が立ち小便をしていく》という「半地下」に住んでいるとのこと(2015年調査、パンフレットより)。この半地下にあるトイレは、構造上、目線と同じくらいの高さのところに設置されていて、絵的にちょっとシュールです。トイレに「登る」といった感じ。
夫「金持ちなのに、いい人たちだ」
妻「金持ちだから、いい人たちなのよ」
パラサイトした豪邸で、半地下の家族が4人で勝手に宴を開いているときに交わされる会話です。金持ちというのは寄生先の家族のことで、その日はキャンプに出かけていて不在でした。
金持ちだからゆとりがあって、いい人になれる。半地下の夫は妻にそう言われて納得するのですが、少しひっかかりました。半地下の夫と妻も「いい人」に見えたし、その兄妹も「いい人」に思えたからです。
わかんないもんだねえ、人間なんてさ。
半地下の家族の息子と娘。
富裕層の家族の息子と娘。
半地下の家族の息子と娘は、まぁ、主人公側ということもあって、詐欺を働いてパラサイトするとはいえ、ある意味たくましくて「まとも」に見えます。友達にするならこの兄妹だろうなって。一方、豪邸の家族の息子と娘には病的なものを感じます。友達にはなりたくないな、って。
描かれ方としては、是枝裕和監督の『そして父になる』と同じです。金持ち側の子どもは不安定で、そうでない側の子どもは、金はないけれど時間には恵まれていて安定している。そういった描かれ方です。
格差と家族。
是枝監督の『万引き家族』、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』、そしてケン・ローチ監督の『家族を想うとき』など、ここ最近「格差と家族」をテーマとした映画が多くヒットしています。格差と家族、言い換えれば「貧富の差と貧困率」です。
教員をしていると、この「格差と家族」或いは「貧富の差と貧困率」というテーマには敏感にならざるを得ません。経済的にも時間的にも、家族間格差はじわじわと広がり続けていると感じるからです。例えば今回の臨時休校ひとつとってもそうです。給食が食べられなくなることで絶望的な気持ちになっている子どももいれば、これ幸いと、有意義な休みにするために準備を始めてくれるママやパパをもつ恵まれた子どももいるでしょう。ただしどちらの子が「いい人」に育つのかは神のみぞ知る世界ですが。
世の中の無数の期待の上に、私の思いも乗せさせてください。
是枝監督への手紙の中で、ポン・ジュノ監督が使っていた表現です。日韓を代表する二人の監督には、自暴自棄になった人が階段をかけ上がって来る前に、映画を通して、貧富の差と貧困率の問題をより多くの人たちに知らしめてほしいなぁと思います。世の中の無数の期待の上に、私の思いも乗せさせてください。
格差と家族といい人たちと。
おやすみなさい。