二十代前半の社会人といったところだろうか、久しぶりの再会に花を咲かせている様子もある。同窓会のような集まりなのかもしれない。背の高い男が自分の会社の残業代についての愚痴を洩らすと、別の男が、「それくらい、俺なんて」と嘆きながらも誇らしげな声を出した。こっちのほうがよっぽど大変、と言いたいのだろう。七尾は、「俺のほうが大変だよ」と思わずにはいられなかったが、同時に、「他人と比べた時点で、不幸は始まる」という奏田の声がよぎった。
(伊坂幸太郎『777』角川書店、2023)
こんばんは。別の男というのは教員なのかもしれません。残業代について愚痴を語らせたら教員の右に出るものはいませんから。なんといっても、ゼロですからね、ゼロ。教員の残業は仕事とすら認識されていないというわけです。にもかかわらず、嘆きながらも誇らしげな声なんて出してしまうのは、きっと「やりがいの世界」にいるからでしょう。うん、確かに、教員の仕事にはやりがいがあります。
やりがい。
七尾も「やりがいの世界」にいます。やりがいはやりがいでも、当て字でいうところの「殺りがい」ですが。別言すると、殺るか殺られるかの世界。うん、確かに、七尾のほうが大変です。とはいえ《他人と比べた時点で、不幸は始まる》のだから、比べてはいけません。お釈迦様が語られたように「人は人、自分は自分」です。お釈迦様はお釈迦様、
お天道様はお天道様。
そうそう、七尾はその殺るか殺られるかの世界では、天道虫と呼ばれているんですよね。お天道様の「天道」です。えっ、天道虫だって、それはもしかしたら『マリアビートル』の天道虫?
そうです。
私もすっかり忘れていました。新刊『777 トリプルセブン』を読み耽りつつ、どこかで聞いたことがあるなぁと思っていたら、13年前に書かれた伊坂さんの『マリアビートル』の主人公の名前でした。第7回大学読書人大賞を受賞し、ブラッド・ピット主演でハリウッド映画(タイトルは『ブレット・トレイン』)の原作にもなった、あの傑作・長編小説です。
「何を対等に話してるんだよ、おまえ、てんとう虫が」
その台詞に、七尾はむっとする。頭の中の温度が瞬時に上昇する。業界の中では、七尾のことを、てんとう虫と呼ぶ人間が少なからず、いる。七尾自身は、その昆虫が嫌いではなかった。小さな、赤い身体が可愛らしく、星のような黒い印はそれぞれが小宇宙にも思え、さらには、不運に満ちている七尾からすれば、ラッキーセブン、七つの星は憧れの模様と言っても良かった。が、同業者たちがにやにやしながらその呼び名を口にする時には、明らかに、からかいが含まれているため、つまり、小さくてか弱い昆虫、とだぶらせているだけであるため、不愉快でならない。
昔懐かしの『マリアビートル』より。続編なんですよね、新刊の『777』は。ラッキーセブンからのトリプルセブン。今となっては伏線としか思えず、
愉快でなりません。
伊坂幸太郎さんの新刊『777』を読みました。ネタバレにならないようにざっくり説明すると、前作『マリアビートル』では電車から出られなくなって大変な目に遭った天道虫こと七尾が、今回はホテルから出られなくなって大変な目に遭うという作品です。
なぜ大変なのか。
なぜならば、前作の電車と同様に、閉じ込められたホテルには「殺し屋」がいっぱいいて、気が付いたら「殺るか殺られるか」のアンコントローラブルな状況に巻き込まれていたから。いわゆる「前門の虎、後門の狼」です。七尾にとっては1秒たりとも安心できる展開ではありません。しかし、読み手(伊坂さんのファン)にとっては、終始、
安心。
スリリングな展開といい、そういった展開だからこそ映えるユーモラスな会話&子どもたちにも伝えたい人生訓といい、それから過去の作品とのつながりといい、あぁ、今、伊坂さんの作品を読んでいるんだなって、終始、
安心。
安心というのは、そういう意味です。学校でいえば、緊張感のある授業とユーモラスな会話&人生訓は相性がいい、ということになるでしょうか。プラス α で既習と未習をうまくつなげることができればジャックポット、すなわちトリプルセブンです。
爆発物の取り扱いが得意な業者だったはずだ。
「高良と奏田の二人組。コーラとソーダね」真莉亜からそう説明を受けた。
「炭酸飲料は弾けるから、爆発物の仕事にちなんでいるのかな」七尾が思い付きを口にすると真莉亜は興味なさそうに、「どうだろう」と答えた。
高良と奏田の二人組。前作の『マリアビートル』に出てくる腕利きの二人組、蜜柑と檸檬を思い出すのではないでしょうか。意図的なネーミングによって既習事項に光をあてるなんて、さすがは伊坂さんです。
ちなみにこのネーミング。
高良にせよ奏田にせよ、蜜柑にせよ檸檬にせよ、えたいの知れない不吉な人間の名前とはとても思えません。でもだからこそ、ギャップがあって強く記憶に残ります。記憶に残りすぎて、ファンにとってはもう、檸檬といえば梶井基次郎ではなく、伊坂幸太郎。
どうだろう。
俺が言いたいのは、このエレベーターが到着した後も、警戒したほうがいい、ということだ。
その助言に、七尾は強くうなずく。なるほど確かに君の言う通りだ。他の誰かと比べる必要はない。俺は俺で、俺のことを一番よく知っている。リンゴはリンゴを実らせればいい。
伊坂幸太郎は伊坂幸太郎の檸檬を描けばいい。梶井基次郎は梶井基次郎の檸檬を描けばいい。クラスの子どもたちもそれぞれの檸檬を描けばいい。
みんなちがって、みんないい。
どうだろう。