テイクを重ねてもうまくいかなかったある時に、幹人君から役の内面について詳細な説明を求められた時は気が引き締まる思いがし、撮影が続く内に彼が立派な役者へと成長していくのを感じた。
(劇場用パンフレット『アイヌモシリ』大秦株式会社、2020)
おはようございます。今日から師走。今年も残すところあと一ヶ月となりました。毎年のことですが、あっという間です。仕事もあっという間に溜まっていって、正直、引くくらいのレベルに。さて、どうしようかなぁ。映画なんて観ている場合じゃなかったなぁ。
なんてことは、まるでない。
伊坂幸太郎さんの『砂漠』に出てくるセリフを引けば、まさにそんな感じです。観に行って、よかった。今年のナンバーワンは、文化庁の文化記録映画大賞にも輝いた、坂上香監督の『プリズン・サークル』。そう思っていましたが、対抗馬が現われたんです。
田舎教師ときどき都会教師 -- ハンナ・アレントの「経験を有意味なものにすることができるのは、ただ彼らが相互に語り合い、相互に意味づけているからにほかならないのである」に関連づけて、映画『プリズン・サークル』をユーモアたっぷりに、わかりやすく批評。https://t.co/G7tPJkCfmK
— 坂上香 (@KaoriSakagami) March 20, 2020
ブログに書いた記事を Twitter や Facebook で紹介していただいたこともあって、坂上香監督の『プリズン・サークル』は、今年の、というよりここ数年に観た映画の中でもとりわけ印象に残っているのですが、その『プリズン・サークル』に勝るとも劣らない映画だったのが、これ。初長編映画『リベリアの白い血』に続く、福永壮志監督の『アイヌモシリ』です。
アイヌのことはよく知らないし、でも社会の教科書に出てくるから子どもたちに聞かれたらエピソードのひとつでも答えられるくらいには知っておきたいし、それに上映後に福永監督の舞台挨拶があるようだし、ちょっと遠いけど勉強がてら足を延ばして行ってみよう。それくらいのノリだったので、あるいはそれくらいのノリだったからこそよかったのかもしれません。
ぶったまげました。
福永監督の若さとカッコよさにもぶったまげました。人見知りなので余程のことがない限りサインをもらいにいったりはしないのですが、舞台挨拶終了後、われ先にと2番手をゲット。舞台挨拶の最後に福永監督が話していた「一人の少年が成長する物語として観ていただければ嬉しい」という言葉を反芻しつつ「まさにそのように観ました!」という旨を興奮ぎみに伝えました。
映画『アイヌモリシ』をシンプルに表現すれば「14歳の少年の成長譚」です。少年というのは主人公のカント(下倉幹人)のこと。下倉幹人くんはアイヌの血を引いていて、実の母親である下倉絵美さんが、映画の中でも母親のエミ役として登場します。この母親の息子へのかかわり方が、よい。「あなたの人生はあなたが決めなさい」感が、よい。実生活でも同じように接していそうだなぁ、と思える自然すぎるほど自然な演技も、よい。福永監督曰く《アイヌ自身が主役を演じる映画を作ることにはきっと意味があるはずだと思った》云々。
イオマンテ。
少年の成長譚に必要な「葛藤」を提供してくれるのが、アイヌの儀式であり物語の柱でもあるイオマンテです。ウィキペディアには《イオマンテとはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界に送り帰す祭りのことである》とあります。飼育したヒグマに弓矢を放って殺すんですよね。身動きの取れない状態にして、至近距離から、みんなでよってたかって。正直、引くくらいのレベルで。あるときまで儀式のことを知らずにチビ(ヒグマの名前)のお世話をしていたカントが混乱するのは当然です。
知って、考えて、向き合って、葛藤を糧に成長する。
イオマンテが通過儀礼となって、カントは成長します。父親の突然の死を契機に、アイヌの文化からは距離を置いていたカント。そのカントをイオマンテに巻き込んでいったのが、父親の友人であり、阿寒湖アイヌコタンの中心的存在であるデポ(秋辺デポ)です。このデポの存在も、いわゆる「斜めの関係」を築いていて、よい。阿寒湖アイヌコタンの自然も、よい。ギター片手にカントが歌う「ジョニー・B.グッド」も、よい。同じ中学校の仲間と遊んでいる場面も、よい。ちょい役で登場するリリー・フランキーさんも、アクセントになっていて、よい。もう何もかもが、よい。
そんな「よいよい尽くし」の映画の最初と最後に、カントがひとりで朝食をとるシーンがあります。同じシーンなのに明らかに佇まいが違っていることがわかるんですよね。物語の基本構造である「行くと帰る」あるいは「喪失と回復」が見事に描かれているというわけです。基本に忠実、そして伏線の回収(ラストシーン、観てのお楽しみ)もばっちり。さすが福永監督。渡米して映像制作を学び、ニューヨークを拠点に活躍していただけのことはあります。では、なぜ福永監督はアイヌを題材にしたのか。
学校で読んだ歴史の教科書でアイヌについて書かれていたのはほんの少しで、自分にとってアイヌは謎に包まれた存在だった。アイヌの同級生がいてもそのことについて聞いてはいけないような気がして、いつしか「アイヌ」という言葉をタブーのように感じながら思春期が過ぎた。その感覚が変わったのは、二十歳でアメリカに渡った後だった。ネイティブアメリカンについて興味を持ち出した時に、自分が生まれ育った北海道の先住民族であるアイヌについて何も知らないことにハッとし、恥ずかしく思った。
パンフレットに書かれていることですが、舞台挨拶のときにも同じことを話していました。
知らないからタブーになる。大切なのは知ること。何かを知ったときに、別の何かを知らないことに気づく。ハッとする。だから、知らない世界を知るのって、おもしろい。
アイヌのイオマンテに相当するような通過儀礼を、この先、我が子やクラスの子どもたちは経験できるのか。デポに相当するような「斜めの関係」をもち得るのか。通過儀礼も斜めの関係もなかったら、どうなるのか。自分自身に、それはあったのか。
阿寒湖アイヌコタン。
行ってみたいなぁ。