田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

辻仁成 著『目下の恋人』より。担任は人類学者たれ。

「じいちゃんとばあちゃんは学者だった。俺の親とは違って、頭がいいんだ。俺が頭がいいのは二人の血のせいだよ」
「頭良かったっけ?」
「うるせえ、いいんだよ。能ある鷹は爪を隠すって言うだろうが」
「諺? どういう意味か知らない」
 ヒロムは笑った。
「学者って? 何の?」
「文化人類学の教授さ」
(辻仁成『目下の恋人』光文社文庫、2002)

 

 おはようございます。小学校の担任は人類学者たれ。授業でコラボしている教員養成系の大学の先生がしばしばそう口にします。子ども集団に一人で飛び込み、月火水木金と平日のほとんどを彼ら彼女らと共にする担任は、人類学でいうところの参与観察(フィールドワーク)をしているようなものなのかもしれません。だから先入観をもたずに子どもたちと出会って、わからないというところからスタートしよう。自分が抱えている枠組みや思い込みを外して、教員自らが変わることで新たな気づきを得よう。新学習指導要領の各教科の目標には「見方・考え方を働かせ」という文言が示されていますが、その前に、

 

 人類学的な見方・考え方を働かせよう。

 

 というわけです。ヒロムの目下の恋人の言葉を借りれば《ガチッとしなくてもいいし、ギュウギュウしなくてもいいって》こと。目下の子どもたちを前に、ガチッとした枠組みや、ギュウギュウした思い込みは必要ありません。特性が強く、これまでの指導や支援の通用しない子がますます増えている昨今です。必要なのは、

 

 バイアス0で子どもたちに向き合い続けること。

 

 そして目下の子どもたちとの関係を楽しむこと。

 

 

 辻仁成さんの『目下の恋人』を再読しました。20年前に刊行された、著者初の短編恋愛小説集です。パートナーとのあいだで《一瞬が永遠になるものが恋、永遠が一瞬になるものが愛》という同作品のテーマが話題になったのを機に、再び手に取ってみました。目次は以下。

 

 優しい目尻
 目下の恋人
 君と僕のあいだにある
 バッドカンパニー
 好青年
 偽りの微笑み
 青空放し飼い
 王様の裸
 世界の果て
 愛という名の報復

 

「一瞬が永遠になるものが恋、永遠が一瞬になるものが愛」

 

 本の帯にも書かれている、表題作『目下の恋人』に出てくる印象的な台詞です。言い回しがヒットソングの歌詞のようで、この台詞だけは20年前からずっと頭に残っていました。今回再読して、その台詞の主が人類学者だったということを発見し、納得。さすがは作家&ミュージシャンの辻さんです。職業には意味があったんだな、と。固定観念に囚われない人類学者だからこその台詞だったんだな、と。当時は「人類学者」に関する知識がほとんどゼロだったので、完全にスルーでした。

 文化人類学者だったヒロムの祖父は、祖母のことを「目下の恋人」と言います。ヒロムもまた、恋人のネネのことを「目下の恋人」と友人に紹介します。

 

 なぜか。

 

「いまだに、言いつづけている。いつ終えてもいい、とお互いを縛らない恋愛をはじめてもう、半世紀になる」

 

 ネタバレになりますが、永遠が一瞬になるのがイヤだからです。だからヒロムの祖父母は結婚していません。政府に誓うような愛はしたくない、誰かに誓うような愛はしたくない、研究対象だったカンガルーだってそんなかたちの愛はしていない。永遠が一瞬になってしまうような、その場限りの愛はいらない。祖父母の子、すなわちヒロムの両親の愛はまさに一瞬だった。かたちだけの愛だった。

 

 だから「目下の恋人」というわけです。

 

 さすがは3度の結婚を経験している辻さんです。テーマである「一瞬が永遠になるものが恋、永遠が一瞬になるものが愛」という恋愛のアンビバレンス(両義性)を熟知しているのでしょう。婚約者がいるにもかかわらず、沓子という目下の恋人に溺れた『好青年』も、あるいは悦子という目下の恋人に溺れ、長年連れ添ってきた妻から『愛という名の報復』を受けることになる物書きの私も、恋と愛のあいだで揺れ動きながら、漂泊的に目下の人生を送ります。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 永遠を得るための「目下の恋人」というアイデアは、探検家の角幡唯介さんいうところの漂泊的な生き方、あるいは狩りの思考法に似ています。角幡さんが親しくしているグリーンランド最北端の集落シオラパルクの人々には「ナルホイヤ」という口癖があって、その言葉の意味するところは、

 

「わからない」とのこと。

 

 シオラパルクの人々も角幡さんも、そしておそらくは辻さんも、わからないというところからスタートする人類学者と同じ見方・考え方をしているのでしょう。わからないからこそ、結婚や登頂のような未来から逆算した限定的な今ではなく、今この瞬間、すなわち目下の出来事を全方位的に本気で考えることができるという見方・考え方です。

 

「あなた、それは本気だってことじゃない」

 

 ヒロムの祖母は、ネネにそう言います。孫のヒロムがネネのことを「目下の恋人」と表現するのは、ネネのことを真剣に考えている証拠だというわけです。目下が永遠になるのが恋。永遠が目下になるのが愛。愛は目下の恋の積み重ねです。

 

 学級づくりも目下の支援の積み重ね。

 

 担任は人類学者たれ。