田舎教師ときどき都会教師

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佐渡島庸平 著『観察力の鍛え方』より。子どもたちを観る力を鍛えて、ドミノの1枚目を正しく倒す。

 40歳になったときに、なぜ論語で「不惑」というのだろうかと考えた。自分は惑わなくていいような正解を知らないと思った。でも、ふと、そうではないかもしれないと気づいた。あれが正解かもしれない、これが正解かもしれない、と惑わなくなる。それは、絶対的な正解を手に入れるということを意味しない。まったく逆で、「わからないこと」「あいまいなこと」を受け入れられているから、惑わず、なのだ。正解を思い求めるのをやめること。わからないに向き合い続けるのが、不惑、40歳頃なのだ。
(佐渡島庸平『観察力の鍛え方』SB新書、2021)

 

 こんばんは。どうやら観察力を鍛えると「四十にして惑わず」のとらえ方が変わってくるようです。前回のブログで武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』を紹介しましたが、つまりそういうことです。孔子がいうところの「不惑」というのは40歳になったら世の中のことがある程度わかるようになって惑わなくなる(!)というようなわかりやすい意味ではなく、わかりやすさの罪に気づいて「わからなさ」を受け入れ、わからないに向き合い続けるという意味だったというわけです。

 

 そして、わからなさを楽しむ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 なるほど。不惑を迎えているのにわからないことだらけで鬱々としていた私にとっては「救い」ともいえる解釈です。経営や創作に役立つ能力を語るにあたって、佐渡島さんは《「観察力」こそがドミノの1枚目》といいます。不惑のエピソードからもわかるように、人生だってそうでしょう。教育だってそうでしょう。私たち教員は、子どもたちを観察して、仮説を立てて、それを検証するというかたちで「教え引き出す」支援のサイクルを回しているのですから。では、経営や創作や人生や教育に役立つ、孔子や佐渡島さんのような観察力を鍛えるためには、どうすればいいのでしょうか?

 

 

 佐渡島庸平さんの『観察力の鍛え方』を読みました。株式会社コルク代表取締役社長&編集者である著者の佐渡島さんは、漫画『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』、小説『マチネの終わりに』など、一流のクリエイターの力を引き出しながらヒット作を次々と世に送り出している一流のアンサングヒーロー(縁の下の力持ち)です。対象は異なれど、力を引き出すという立ち位置は、わたしたち教員にそっくり(!)といえるのではないでしょうか。

 

 目次は以下。

 

 第1章 観察力とは何か?
 第2章 「仮説」を起点に観察サイクルを回せ
 第3章 観察は、いかに歪むか
 第4章 見えないものまで観察する
 第5章 あいまいのすすめ

 

第1章 観察力とは何か?

 観察は、問いと仮説の無限ループを生み出すもので、その無限ループ自体が楽しいものであるため、マンガをはじめとする様々な創作の源になりえる。

 

 観察は、学級づくりの源になりえる。あるいは、授業づくりの源になりえる。上記の《様々な》を紐解けば、教員にはそう読めます。Aさんの課題は〇〇だから、△△という支援をすれば、課題を解決できるかもしれない。〇〇が観察で、△△が仮説です。意識的・自覚的にこの無限ループを楽しむことができれば、そして観察力がしっかりと鍛えられていれば、ドミノの1枚目は正しく倒れ、学級づくりも授業づくりも軌道に乗っていきます。もしも軌道に乗っていかないとしたら、それはおそらく観察を阻害している要因があるのでしょう。佐渡島さんは観察を阻害する要因として、「認知バイアス」「身体・感情」「コンテクスト」の3つを挙げています。

 

 認知バイアスは、以下のツイートで説明できます。

 

 

 行事のときに軍隊のように並ばせられたら、そりゃ、イヤになって遊びはじめてしまう子が出てきても不思議ではありません。その「イヤ」を発達障害として観察されたらどうでしょう。さらに投薬まで勧められたらどうでしょう。行事のときには整列させるという既存の認知が、悪い観察につながっているというわけです。無理に整列させているから遊びはじめてしまうのではないか(?)という既存の認知に揺さぶりをかけるようなよい観察ができれば花丸です。

 2つ目の「身体・感情」というのは、要するに寝不足でイライラしていたらまともな観察なんてできないよという話。教員あるあるです。なにせ半数近くが睡眠障害といわれていますから。観察力を鍛えるという意味でも、ドミノの1枚目を倒すという意味でも、働き方を変えていかなければいけません。

 3つ目の「コンテクスト」というのは、教員と保護者の「子どもを観るときのコンテクストの違い」で説明できます。教員は子どものことを他の子どもたちとの関係性で観ています。それに対して、保護者は我が子だけを観ていることがほとんどです。だからズレが生じて「うちの子に限って!」なんて言葉が生まれます。

 

 やれやれ。

 

 これら3つを総称して、佐渡島さんは「メガネ」と呼びます。人はメガネを外せない。だからこそ、観察力を鍛えるためには、自分がどんなメガネをかけているのかを理解しなければいけません。

 

第2章 「仮説」を起点に観察サイクルを回せ

とにかく雑にでもいいから、仮説を立てる。そうすると、仮説を検証したいという欲望が生まれ、熱量のある観察が始まる。

 

 学校の授業でいうと、理科の実験のときに予想を立てるという話と同じです。予想を立てることによって、子どもたちはその正否が気になり、予想を立てなかったときよりも真剣に観察をするようになります。佐渡島さんが伝えているのもそういうことでしょう。

 

 仮説は武器になる!

 

 では、どうやって仮説を立てればいいのか。その方法として、佐渡島さんは以下の5つを挙げています。

 

・愚直なディスクリプション(目に映るものを言葉に置き換える)。
・外部の「評価」を参照軸にする。
・記憶は信用せず、データに当たる。
・徹底的に真似る。型に気づく。
・自分だけのモノサシを育む。

 

 教員が子どもの行動を記録するのも愚直なディスクリプションです。言葉にすることで仮説が思い浮かびやすくなります。そこに記憶ではなくデータを絡めると、さらによい。外部の「評価」というのは、教科の評価基準と同じでしょうか。真似る、型に気づくというのは特に初任者に贈りたい言葉。自分だけのモノサシを育むというのはミドルやベテランの課題でしょう。ちなみに佐渡島さんが自分だけのモノサシ(ブレることのない自分の価値観)を育もうとしてたどり着いた答えは、以下。

 

 学びたい!

 

 教員のモノサシもそうありたいものです。

 

第3章 観察は、いかに歪むか

「俺の敵はだいたい俺です」
『宇宙兄弟』の中で、ムッタのこんなシーンがある。

 

 第3章では、認知バイアスのことが再び取り上げられ、その典型的な例として「確証バイアス」「ネガティビティバイアス」「同調バイアス」「ハロー効果」「生存者バイアス」「根本的な帰属の誤り」「後知恵バイアス・正常性バイアス」の7つが紹介されています。7つとも全てムッタいうところの「敵」です。例えば「ネガティビティバイアス」は次のように働きます。

 

 

 わかっていても不安になるのだから、恐るべし、ネガティビティバイアス。もうひとつタイムリーな例を挙げれば、異動してきた教員の過去の噂話を聞いたからといってレッテルを貼るようなことをしたら敵(=ハロー効果)に負けたことになります。

 

 その人を今のその人として観る。


 大事です。

 

第4章 見えないものまで観察する

 ここで「自分は何を攻撃と受け取ったのだろう」と問うと、自分が他者の言動の何に反応しているのかに気づける。ここで感情に支配された状態のままだと、攻撃を仕返したりして、相手を変えようとしてしまう。自分に矢印を向けられれば、自分の中で注目しているところを変えることができる。怒りを感じたときに、自分が変えられるものだけ考えるほうがずっと健全だ。

 

 星の王子様も言っていたように、大切なことは目に見えません。だからこそ、観察力を鍛えるためには、見えないものまで意識する必要があります。佐渡島さんのいう見えないものとは、

 

 感情と関係性です。

 

 第1章のところにも書きましたが、後者の「関係性」については、教員が毎日のように観察し続けているものです。子どもたちの関係性を観察して、その質を高めていくためにはどうすればいいのかを考え、仮説をもとに手立てを講じていく。その繰り返しです。感情については、子どもたちのそれというよりも、自分自身の感情をモニターしながら、ファシリテーター役に徹するというのが教員の在り方でしょうか。自分の感情をコントロールできなかったら、よい観察はできません。

 

第5章 あいまいのすすめ

 今日、4月1日は「すること」に追われた1日でした。佐渡島さんは《あいまいさを受け入れるとは、することに注目しないということだ》と書きます。大事なのは「すること」ではなく、

 

 いること。

 

 冒頭の引用はこの第5章からとったものです。わかりやすさの罪は、正解主義から生じます。そして、《正解主義の中にいると、「すること」にとらわれる》。「すること」にとらわれると、つまり過去と未来にとらわれると、今ここに「いること」を楽しめなくなります。今を大事にできなければ、正しい観察はできません。とはいえ、あまりにも仕事が多すぎて、することにとらわれざるを得ないというのが正直なところです。年度はじめのこの忙しさ、何とかならないものでしょうか。子どもたちを観る力を鍛え、ドミノの1枚目を正しく倒すためにも、

 

 あいまいのすすめ。

 

 教員にこそ。