田舎教師ときどき都会教師

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リヒテルズ直子 著『残業ゼロで授業料ゼロで豊かな国 オランダ』より。みんな違って、みんないい。

 よく考えてみれば、世の中の仕事というのは、誰か決まった一人の人間が、毎日まるまる8時間働かなければならないようなものばかりではありません。週のうち半分くらいでよいものもあるでしょうし、事務や秘書などの仕事は、うまく調整すれば、二人で交代でもやれます。小学校の先生などは、最近、クラス担任を二人で分け合う、というケースが、ほとんど当たり前になっています。はじめは、授業に一貫性がなくなる、とか、子どもが不安になる、とかいう反対もあったようです。でも、最近は、それが当たり前になっていて、誰も反対する人はいません。広く社会全体から見れば、この制度のおかげで、一般に、お母さんたちが家庭と仕事を無理なく両立でき、結果的には、子どもたちが保育所に預けっぱなしにされることもなく、家庭で親と共に過ごす時間が増えるのですから。
(リヒテルズ直子『残業ゼロ授業料ゼロで豊かな国 オランダ』光文社、2008)

 

 こんばんは。広く社会全体から見れば、っていうところがポイントでしょうか。広く社会全体から見れば、教員が残業代ゼロで遅くまで働き続けるのは、よろしくない。いわゆる給特法という制度の副作用で、一般に、子育て中の夫婦が家庭と仕事を両立することができなくなり、結果的には、どちらかが辞めざるを得なくなったり、ファミリータイムが激減したりしているわけですから。以前、Twitterで「#先生死ぬかも」というハッシュタグがトレンド入りしていましたが、「えっ、我が子の担任の先生、死にそうなの?」なんていう状況が放置されているのは、広く社会全体から見れば、間違いなくマイナスです。マイナスがでっかくなりすぎて、教員不足も年々深刻に。それにしても、残業ゼロのオランダと、残業代ゼロの日本。たった一文字加わっただけでえらい違いです。小学校のクラス担任を二人で分け合うのが当たり前になっているという話も、教室にたったひとり加わっているだけですが、えらい違いです。

 

 #日本貧しいかも

 

 

 リヒテルズ直子さんの『残業ゼロで授業料ゼロで豊かな国 オランダ』を再読しました。副題は「日本と何が違うのか」です。日本とオランダ。いったい、何が違うのでしょうか。

 

 例えば、教科書がない。
 例えば、先生が教えてくれない。 
 例えば、大学の入学試験がない。 

 

 オランダの小学校には、日本人がイメージするような教科書があまりないそうです。1960年代、オランダでは小学生の留年があまりにも多いということが問題になっていたとのこと。そしてその原因を、日本のお家芸である「一斉授業」に見出したとのこと。同一の教科書を使った画一的な一斉授業が「留年」という多くの悲劇を生み出している。だから教科書ではなく、それ以外の教材や教具を豊富に用意することにした。学年ごとの必修課題もやめて、小学校終了時の目標を「中核目標」にすることで、学年にこだわらず一人ひとりの発達のテンポに合わせられるようにした。建前ではなく、本音で「みんな違って、みんないい」を目指すことにした。実にロジカルです。日本の場合、本当だったら「留年」だろうなぁという子、どの学年どのクラスにもいますよね。教育七五三(高校で7割、中学で5割、小学校で3割が落ちこぼれる)なんていう言葉があるくらいですから、本音は「みんな違って、どうでもいい」のでしょう。教員の本音ではなく、制度の本音です。全員を進級させることで、留年という悲劇をなかったことにしている。行き着く先は「正規と非正規」に分断された社会でしょうか。落ちこぼれなかった3割が正規に、落ちこぼれてしまった7割は非正規に。そういった社会を目指しているのであれば、実にロジカルですが、普通に考えて、よろしくない。

 

 日本の学校では質問するのは先生で、生徒はそれに答えることを促されます。でもオランダではその反対。生徒が自分から尋ねていかなくては教えてくれない教員たちがいっぱいいます。なんだ怠慢な、と日本人なら思うかもしれない。でもこれにはそれなりの意図があります。

 

 学びは問いから始まる。例えば、二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか。猪瀬直樹さんはそこに「問い」をもった。でも私はそこに「問い」をもたなかった。そんなふうに、一人ひとり「問い」が違うのは当然です。

 

 

 本音で「みんな違って、みんないい」を目指すのであれば、例えば「クラス課題」や「クラス問題」といった、教科書ベースの一斉授業に適した「みんなの問い(先生の問い)」ではなく、一人ひとりの発達のテンポに合ったそれぞれの「問い」を大切にしようという意図が働くはずです。だからオランダの先生は、リヒテルズ直子さん曰く「質問しなければ教えてくれない」のでしょう。一斉授業からの脱却は、教科書からの脱却につながり、さらには教える先生からの脱却にもつながった。実にロジカルです。そして「みんな違って、みんないい」を徹底していけば、評価のものさしも単一なものから「みんな違って、みんないい」に変わり、話の流れ的に《大学が独自に学力試験をして成績順で入学を決めることは、法律が認めていません》となるのは、これまたロジカルです。ディプロマと呼ばれる卒業資格さえあれば《全国のどの大学にも、どの年からでも無条件で入学できます》とのこと。

 

 #オランダ豊かかも

 

www.countryteacher.tokyo

 

 一昨日、リヒテルズ直子さんの自伝ともいえる新刊を読み、ブログに書きつつ、これまでに読んできた「リヒテルズ本」をパラパラと読み返していたところ、以前に読んだときと同じように夢中になってしまいました。日本、貧しいかも。オランダ、豊かかも。二宮金次郎が生きていたら、きっとそう思うのではないでしょうか。二宮金次郎も、ロジカルですからね。

 

 みんな違って、みんないい。

 

 おやすみなさい。