田舎教師ときどき都会教師

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リヒテルズ直子 著『手のひらの五円玉 私がイエナプランと出会うまで』より。社会を変えたければ、学校を変えるよりほかないのです。

 個別の違いに応じる体制がこれほど広く実現していた裏には、1970年代の教育改革が影響しています。学年ごとの必修課題をやめ、小学校終了時の目標を「中核目標」としたことで、学校は学年にこだわらず一人ひとりの発達のテンポに合わせられるようになったのです。また、そういうやり方を率先にてやっていたイエナプランやモンテッソーリ、ダルトンなどの方法を、ほかの一般校の教員たちが学ぶ機会も増えました。
(リヒテルズ直子『手のひらの五円玉 私がイエナプランと出会うまで』ほんの木、2020)

 

 こんばんは。五円玉といえば、小学5年生の社会科の授業開きの定番です。五円玉の意匠には5年生で学習する「産業」に関するモチーフが用いられていて、頭を垂れる稲穂は農業、穴の周りにある歯車は工業、そして稲穂の根元にある複数の水平線は水産業を表わしています。

 

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日本の産業が描かれている

 

 この五円玉を握りしめて、小学1年生くらいの女の子が、初めて一人でバスに乗ってお使いへ。ドキドキしたことでしょう。心細かったことでしょう。でも、ほんの少しワクワクもしていたことでしょう。彼女は言います。曰く《あの日から一人で移動する範囲が少しずつ広がっていきました。そして60年近くたった今、わたしはフランスのとある過疎の村でこの文章を綴っています》云々。

 

 縁は育むもの。

 

 手のひらの五円玉は自立の「象徴」だった。そんなふうに回想する彼女は、国境を意識することなく世界各地の人たちと縁を育み、たくさんのメッセージを受け取ります。日本、マレーシア、オランダ、コスタリカ、ボリビア、ケニア、フランス、等々。受け取ったメッセージの束は、やがて何冊もの本になって、私の手元にも届くことに。私がリヒテルズ直子さんと出会うまで。否。

 

 私がイエナプランと出会うまで。

  

 

 リヒテルズ直子さんの『手のひらの五円玉』 を読みました。副題は「私がイエナプランと出会うまで」です。リヒテルズ直子さんがいなかったら、長野県に「学校法人 茂来学園 大日向小学校 しなのイエナプランスクール」が開校することはなかったでしょう。再来年、広島県に「イエナプラン教育校」ができる(!)という話も存在しなかったでしょう。そして、私が「しなのイエナプランスクール」を観に行ったり、平川理恵さんの謦咳に接することもなかったでしょう。

 

 五円玉、恐るべし。

 

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 リヒテルズ直子さんの『手のひらの五円玉』には、五円玉を起点として同心円状に広がっていった著者の「歩み」と「ご縁」が、出会った人たちとのエピソードや受け取ったメッセージとともに、クロノロジカルに綴られています。あとがき(おわりに)には《ただ、わたしは、長い人生で起きたことを、あたかも自伝のように伝えるようなことはしたくなかったし、それができるとも思っていませんでした》 とありますが、読み手としては、或いはファンとしては、リヒテルズ直子さんの「自伝」として味わえる一冊です。

 そして一読すると、もともと大好きだった「イエナプラン教育」がますます魅力的に映ります。これだけ豊かな人生を送ってきた人が勧めるのだから、そりゃぁ、相当なものだ。佐藤学さんと西川純さんと岩瀬直樹さんが束になってかかったとしても、リヒテルズ直子さんにはかなわない、かもしれない。

 咸宜園で学んでいたという高祖父の話。社会学科の博士課程のときに留学したマレーシアでの話。オランダ人の旦那さんとの国際結婚の話。コスタリカやボリビアでの生活やアメリカンスクールでの子育ての話。そしてオランダに引っ越してから出会うイエナプランの話など。ヤマザキマリさんもびっくり。

 

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 夫との、そしてオランダ人たちとの生活で、何が一番苦しかったかといえば、文化の違いというよりも、「自分は何ものか」という問いにつきまとわれたことでした。建前やべき論で行動するほうが、本当はずっと楽だし、極端なことを言えば責任も「世間」に転嫁できます。でも、そういう生き方は、常に人の目を気にして生きる生き方です。
 日本人は、西洋の社会に行くとなかなか意見が言えず押し黙っているといわれますが、それは、「人前で意見を言うことに慣れていない」というよりも「意見を持つことに慣れていない」のではないでしょうか。この違いは、果たして「文化」の違いなのか、それとも、人間社会の発達段階の違いなのか、と時々立ち止まって考え込むことがあります。

 

 教育の違いでしょう。冒頭の引用にもあるように、システム的に個別の違いに応じることのできない日本と、個別の違いに応じることが当たり前というオランダの違いです。個別の違いに応じてもらえないのだから、個別の意見を持つことに慣れていないのは当然です。

 

 みんな違って、どうでもいい。 

 

 39人のクラスに日本語のままならない外国籍の転入生がやってきたら、お手上げですからね。為す術なし。みんなちがって、どうでもいい、とでも思っていないと、担任は病んでしまいます。デモクラシーは、遠い。五円玉の裏面の双葉は民主主義に向かって伸びていく日本を表しているといいますが、昨今の政治状況などを見るに、教育にせよ社会にせよ、いったい、今は何に向かって伸びているのでしょうか。

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双葉は民主主義に向かって伸びていく日本を表わす

 

 リヒテルズ直子さんの本に『残業ゼロ  授業料ゼロで  豊かな国  オランダ』というタイトルの一冊があります。現状、日本バージョンをつくったとすると『残業代ゼロ  授業料アップで  貧しい国  ニッポン』になってしまいそうです。

 

社会を変えたければ、学校を変えるよりほかないのです。

 

 ドキドキと、ほんの少しのワクワクとともに。

 

 おやすみなさい。