歩むごとに、ぼく自身と、ぼく自身の習って来た世界の虚偽が見えた。
(藤原新也『印度放浪』朝日文庫、1993)
こんばんは。8月が終わってしまいました。この夏は家族で沖縄に行ったことがいちばんの思い出です。家族としてははじめての、個人としては10年ぶりの沖縄でした。台風が来てしまって予定していた島に行くことができず、ちょっとというかかなり残念な行程の変更がありましたが、そしてレンタカーのキーを海中に落とすという夫婦ゲンカ誘発の大惨事もありましたが、中3の長女と小6の次女が楽しそうだったのでよしとします。アクシデントもよき思い出に。
ちなみに10年前のひとり旅のメインディッシュはこちら。旅先(印度のカルカッタ)で知り合った日本人の女医さん(当時、沖縄在住)が橋渡ししてくれた、ちょっと変わった学校の見学です。持つべきものは、遠方の友。
午前は米国の教科書を使って英語で学び、午後は日本の教科書や学習塾で使われているテキストを使って日本語で学ぶ。学習塾でもなく、国の補助を受けているわけでもない、ちょっと変わった幼・小学校。その名も Busy Bee School。当地では「日本で唯一の幼児から始めるバイリンガル教育校」として知られているそうです。当時の校長先生(♀)が親切に教えてくれました。感謝。
牛乳を飲みながら勉強していた1年生とか、黒板にびっしりと書かれた英文を黙々とノートに書き写していた3年生とか、世界の虚偽とまではいかないものの、遠く離れた沖縄の地で「所変われば教育変わる」感をたっぷりと味わった10年前でした。 校長先生は替わってしまったようですが、10年経った今も Busy Bee School は健在で、ホームページを見る限り、曰く《「学力としての英語」とはつまり、英語で深く考えられるという事。そしてもちろん、「学力としての日本語」も高いレベルで身に付くカリキュラムをご用意しています》とのことで、絶好調のようです。いろいろな学校があって、そしていろいろな思いをもった教育者がいるなぁ。
県をまたぐと食べ物も変わるし、教育も変わります。子どもも変わるし、保護者も変わる。教員の働き方だって変わるし、学校のシステムだって変わります。Busy Bee School を見た後には、公立小学校の3年生が受けている外国語活動の授業がおそろしく幼稚なものに見えてくるのは、旅、すなわち多比の効用でしょう。なぜ公立小の外国語活動はゲームばかりしているのか、或いは無理矢理のハイテンションなのか(そうじゃない授業も増えてきたとはいえ……)。
場所を変えないと見えない景色がある。
だから藤原新也さんのように「歩むごとに」ってもの凄く大切で、そういえば Busy Bee School を紹介してくれた女医さん(麻酔科医)も、ジョブ型のヨコの移動を繰り返していたなぁと思い出しました。それこそ「田舎医師ときどき都会医師」みたいな感じで。格好いい。とはいえ、家族もちになると印度を放浪する聖者たち(下の彼)のようにはなかなかいかないのですが。ドクターヘリに乗って沖縄の海を飛び回っていた女医さんも、今では結婚して、東北の田舎医師に。
嫁さんもいないし、子どももいないし、彼の全財産はひとつの風呂敷に包むことができるようになっており……、だから彼はいつ、どこへでも、すぐに出発することができた。
長女と次女にもその女医さんのように、専門的なスキルを身につけて、働く場所や生きる場所を自由に選べるようになってほしい。そう思います。とはいえ、勝手なもので、あんまり遠くには行ってほしくないというのが正直なパパの気持ちです。印度放浪なんて、絶対ダメ。
あんまり遠くに行くなよ!
話は最初に戻りますが、この伊計島の海でレンタカーのキーを紛失しました。パートナーのポケットから落ちたのか、私のポケットから落ちたのか、それすらわからず不穏な空気に。キーを紛失した代金と、バイク便で届けてもらった代金と、待ち時間と、あぁ。キーがないために車のドアを開けることができず、だからタオルをとることもできず、あぁ。客がいなくなり、雨も降ってきて、あぁ。
まぁ、旅の醍醐味です。
おやすみなさい。