大学院で原研究室に進んで驚いたのは、いつ行っても研究室に誰もいなかったことです。ゼミなんていうものもなくて、原先生は学生のことにはまるで関心がなく、自分のことにしか関心がありませんでした。先生も先輩もいなくて、研究室は面白いほどに静かでした。誰も何も強制しないし、何も教えてくれない空白の場所でした。
(隈研吾『僕の場所』大和書房、2014)
こんばんは。夏休みの学校に特徴的なこと、それは驚くことに、いつ行っても教室に誰もいないことです。授業なんていうものはなくて、先生も子どももいない。教室は面白いほどに静かです。誰も何も強制しないし、何も教えられない空白の場所。過労死レベルのハードワークを続けてきた身としては、そこはもう、
パラダイス。
そう思っていたのに、夏休み明け、子どもたちが教室に戻ってくると、何だかホッとするから不思議です。血がめぐるというか何というか。息を吹き返すというか何というか。何だろうな、毎年のこの感覚は。校舎が、教室が、生き返るんです。しばらくするとそんな感覚もなくなって、日常に呑み込まれていくのですが。
そんな日常から逃れるように、冒頭に引用した『僕の場所』の著者、建築家の隈研吾さんの話を聞きに行きました。といっても、5年前の話です。場所は代官山の蔦谷書店。Anjinで友人とお茶をしてから、隣にあるイベントスペースに移動し、ほんの数時間前まで中国にいたというハードワーカーの隈さんの話に耳を傾けました。ちなみに『僕の場所』は《僕の日常は移動です。》という一文で始まっています。
隈さん曰く「原さんはコミュニケーションの本質がよくわかっていた」云々。
原さんとは、隈さんが学生のときに師事していた原広司(はらひろし)さんのこと。京都の駅ビルや梅田スカイビルの設計などで知られる、日本を代表する建築家のひとりです。研究室を留守にすることがとても多かったという原さんを評して、隈さんは「アフリカで一緒に野宿したときの、原さんの建築談議のおもしろさといったらそれはもうなかった」と話していました。続けて「原さんはコミュニケーションの本質がよくわかっていた」云々。
コミュニケーションの質は、シチュエーションに左右される。
原さんはそのことがよくわかっていたからこそ、(おそらくはコミュニケーションに不向きな)研究室にあまり顔を出さなかったのだろう。隈さんのそんな話が印象に残りました。職員室に長くいることがあまり好きではない私にとっては、ちょっとというかかなり免罪符的な話です。そしてなぜ「あまり好きではない」のか、その理由が言語化されて腑に落ちた話でもあります。教育談議に花を咲かせたかったら、実のあるコミュニケーションを楽しみたかったら、時間的にも空間的にも、日常の場からは離れた方がいい。アフリカとまではいかないまでも、ちょっと時間を空けて、そして場所を変えて、というわけです。
シチュエーションのマジック。
冒頭の話に戻ると、教室に戻ってきた子どもたちの姿を見てホッとするのは、シチュエーションのなせる技なのだろうなと思います。夏休みという「非日常」のかたまりが、フラットな「日常」に接続されるという、マジックアワー的な、レアなシチュエーションとしての「今日」というわけです。いい日だったなぁ、今日は。この感覚を、もっと短いスパンで味わえるようになりたい。
長いなぁ、2学期。
コミュニケーションの質はシチュエーションに左右されるということを考えると、長い2学期の難しさがよくわかります。同じ場所に4ヶ月近くも居続けることになるわけですから、教室のコミュニケーションが色褪せていくのも仕方がありません。冒頭の引用に続けて、隈さんは次のように書いています。
それが僕にとっては幸いでした。「自分でやるしかないんだ。自分で何か起こすしかないんだ」ということを思い知らされたからです。
これは教育というものの本質にかかわるとても大事なことです。それまで僕が受けてきた教育は、逆でした。絶えず上から圧力があり、その圧力に押されて、勉強して、努力してきたわけです。
しかし、そういう教育は意外にもろいものです。圧力がなくなったら、自分が何をしていいのかわからなくなってしまうのです。
もろい教育にならないように、そしてコミュニケーションの質を高めることができるように、2週間くらい「秋休み」をとろうって、誰か提案してくれないでしょうか。無理かなぁ。原さんのように、教育というものの本質にもとづいた「不在の力」とでもいうべきマジックを初等教育にかけたいところです。
自分でやるしかないんだ。
自分で何か起こすしかないんだ。