彼らは帰国の時には少し都会風に粋になって、草紙や細工物、流行の刷り絵や簪をお土産にして帰って行きました。また翌年には次の若者たちが出てきます。これが二百四十年続いたのです。世間を知り見聞をひろめて視野を広くするその効果たるや、修学旅行の比ではありません。
(徳川恒孝『江戸の遺伝子』PHP研究所、2007)
おはようございます。先日、松井博さんの新刊と旧刊を引用してブログを書いたところ、ご本人が「書評ありがとうございます!」とツイートしてくださいました。リツイートも🎵 本好きにはたまらないリアクションです。そのやさしさたるや、4年生の国語の教科書に出ててくる『白いぼうし』の松井さんの比ではありません。
「よかったね。」
「よかったよ。」
「よかったね。」
「よかったよ。」
書評ありがとうございます! https://t.co/3Y6rrhume0
— Hiroshi Matsui 松井博@Brighturejp (@Matsuhiro) October 5, 2019
物語『白いぼうし』の最後の場面で、タクシー運転手の松井さんが耳にした「よかったね」「よかったよ」「よかったね」「よかったよ」という声。おそらくは参勤交代のときにも聞こえたはずだ、というのが、上記に引用した『江戸の遺伝子』の著者である、徳川家の末裔・徳川恒孝さんの考えです。
ずぶ濡れの 大名を見る 炬燵かな
大名行列を見ていた小林一茶が詠んだ句です。雨が降ろうが槍が降ろうが粛々として進んでいくお侍さんたち。小林一茶は、それを炬燵から「何と大変なことだ」と諧謔精神をもって眺めています。
しかし、本当に大変なことだったのか。
或いは、本当に大変なだけだったのか。
小学生の頃に「各藩の財政を苦しめ、江戸幕府の大名支配をより強固なものにした参勤交代」と教えられてからというもの、負のイメージしかなかった参勤交代ですが、『江戸の遺伝子』を読むと、正のイメージに変わります。
参勤交代、よかったね。よかったよ。
冒頭の「彼ら」とは若い武士たちのこと。地方で生まれ育った若者にとって、官費による長旅と江戸滞在の制度がたまらなく魅力的だったことは、バックパッカーを経験した身、想像に難くありません。同時代に英国の貴族が学問の総仕上げとして実施していたというヨーロッパ大陸への旅行、いわゆるグランドツアーも、参勤交代と同じような価値を有していたと想像できます。 アメリカと日本、そしてフィリピンの3ヵ国で活躍している松井博さんだって、同様の価値の上に自身の生き方を築いているはず。
パクス・トクガワーナ(徳川の平和)
西欧の歴史学者は、江戸時代のことをそう呼ぶそうです。世界に先駆けたパクス・トクガワーナ。
徳川家光がつくった参勤交代の制度は、よかった。だから江戸時代は240年も続く平和を維持することができた。江戸時代は、明治政府が吹聴したような圧政と退嬰の時代では、ない。
パクス・ハギウダーナ(萩生田の平和)
変形労働時間制が無理矢理ねじ込まれようとしている令和のはじまり。後世の人々は、平成に続くこの新しい時代のことを、文部科学大臣の名をとって「パクス・ハギウダーナ」と呼ぶのでしょうか。
否。
教員免許更新講習であれば、運用を改善することで、参勤交代と同様に「世間を知り見聞をひろめて視野を広くする効果」を期待できるかもしれません。しかし、変形労働時間制については、どう好意的に解釈しても「よかったね。よかったよ」になりません。浮かび上がってくるのは、圧政と退嬰につながる負のイメージばかりです。
もう、やってられない。
10月4日の中教審初等中等教育分科会で西橋瑞穂・鹿児島県立甲南高校校長が代弁したという「もう、やってられない」という現場の声をはじめ、最近の教育行政については、SNSでも相当な言われようです。小林一茶の諧謔精神に倣えば「ずぶ濡れの 大臣を見る スマホかな」とでも詠みたい気分。変形労働時間制なんてものが導入されたら、本当にもう、やってられません。
松井博さんのツイートが嬉しすぎたので、以前から気になっていた喫茶店に足を運んで、珈琲とケーキでひとり乾杯をしました。パクス・ヒロシーナ。持ち帰り仕事を淡々とこなしていた名前のない休日に「サラダ記念日」みたいな固有名がついた気分です。
よかったね記念日。
「よかったね。」
「よかったよ。」
「本当によかったよ。」