私たちは皆、 自分の生きる時代の産物であり、 その時代を再生産するように行動する。「魚が何を話しているかを知ることは難しいが、水のことでないのは確かだ」という古いジョークをご存じだろうか。「先進的な」社会に生きる私たちにとって、産業化時代が私たちの世界観に与えた影響の大きさは想像を絶する。 私たちにとっての「水」、 つまり文化の中に埋め込まれた前提や、物事を取り扱うときの慣習的なやり方は、学校という産業化時代の制度をもう一度根本から考え直し、つくり直そうとするときにも、まるで亡霊のように立ちはだかる。
(ピーター・M・センゲ、他『学習する学校』リヒテルズ直子 訳、英治出版、2014)
こんばんは。台風10号の影響で天気がもうれつに不安定だったので、昨日は外出を控え、書類の整理に励みました。片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんによれば、たしか書類は「全捨て」だったなぁと思いつつ、それでも「ときめく」ものはないかと探しながら整理していたところ……。
ありました!
オランダの教育を日本に紹介している、リヒテルズ直子さんの講演を聞きに行ったときの「備忘録的なメモ」です。5年前のものですが、まだまだ「ときめく」ので、再びの備忘録としてそのまま紹介します。
- オランダのイエナプラン教育では「一人ひとりの子どもが自学する」がベース。それを先生が見て回る。教室は社会と同じように、異年齢の子ども(1~3年生など)で組織されている。
- 日本や途上国で見られる一斉授業の前提は「みんな同じ」。一方で、オランダやデンマーク、北欧などの国々は「みんな違う」を出発点にしている。だから必然的に「自学」がベースとなる。
- 日本でよく聞かれる、授業がきれいにできたとか、板書がきれいとか、そういう話はどうでもいい。
- どう教えるか(知識伝達、Teaching Process)ではなく、どう学びを充実させるか(学習支援、Learning Process)が教師の腕の見せどころ。
- 授業スキルではなく、教育学的環境づくり。日本の教育(先生たちの研究)は授業スキルに偏っている。
- 日本の教育スタイルは産業社会に対応。これからは市民社会に対応した教育が必要。会社員ではなくて、市民としてどう生きていくか、が重要。
- オランダでは、子育て中のパパは週休3日、子育て中のママは週休4日が「一般的」。残業なんて、もちろんない。市民社会を目指した教育を行ってきた結果としての「現状」。日本はどうなっていますか。日本の教育は結果としてどういう社会を実現していますか?
- これが正解という教育はない。だからオランダが答えだと言っているわけではない。今でもオランダは市民全員でよりよい教育制度を模索している。それが市民社会。
「残業なんて、もちろんない」「日本の教育は結果としてどういう社会を実現していますか?」「これが正解という教育はない」というところがたまらなくときめきます。「授業がきれいにできたとか、板書がきれいとか、そういう話はどうでもいい」というところにも《文化の中に埋め込まれた前提や、物事を取り扱うときの慣習的なやり方》を疑え(!)という意味でときめきます。
そのリヒテルズ直子さんも設立にかかわっている小学校が、今年の春に長野県南佐久郡佐久穂町にオープンしました。「学校法人 茂来学園 大日向小学校 しなのイエナプランスクール」(写真右)です。
7月27日(土)に、その大日向小学校に行ってきました。前日の夜に佐久平入りして、ホテルの近くにあった「アーティカルライオン黒獅子」(写真左)で飲んで、翌朝レンタカーで大好きな「髭ダン」を聞きながら現地に向かって、大日向小学校に着いてからはときめきの連続で、何よりもそこで働いている先生たちや関係する人たちがときめいていることがよくわかった一日。イエナプラン教育はもう、オランダでは古典、すなわち「水」になっていることを知ることもできた一日。そして、私たちにとっての「水」についても考えることのできた一日。
日本の教育は結果としてどういう社会を実現していますか?
大人がときめく社会を!