田舎教師ときどき都会教師

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伊賀泰代 著『生産性』より。私たち教員が目指す「本来の働き方」とは?

 成長意欲の高い人の中には、日中はめいっぱい仕事をし、家に帰ってから新しいことを勉強するために時間を投入する人もいます。私たちはそういう人を「向学心があり成長意欲が高い」と賞賛します。
 たしかに目の前の仕事をこなすのに手いっぱいで、新たな勉強が何もできていない人よりはマシでしょう。しかしこれは、家に帰ったら仕事も育児もまったく手伝わない、昭和型の男性社員にしか許されない成長方法です。家では家事も育児も介護もしない、コミュニティ活動もボランティア活動もしない、趣味もない、仕事人間のための成長法なのです。
 ~中略~。
 そうではなく、仕事の生産性を上げ、目の前の仕事だけでなく今後の成長のための投資や新しいチャレンジもすべて労働時間内でやりきれるようになる、そうなることを目指す――そういう意識に変えていかないと、プロフェッショナルとしての成長には、常に個人生活の犠牲がセットでついてきてしまいます。

(伊賀泰代『生産性』ダイヤモンド社、2016)

 

 こんばんは。長い引用になってしまいましたが、大事なことなので。ここですよね、本来、私たち教員が目指すところは。個人生活の犠牲を伴わない、プロとしての成長。これができてはじめて我が子や教え子たちに、将来の選択肢のひとつとしてこの職業を勧めることができます。

 

 目指すところが決まったら、次は現状把握です。

 

 学生時代、某コンビニエンスストアの直営店で早朝バイトをしていたときに、社員さんから「どの仕事にどれくらい時間がかかるのか記録し、報告してください」と言われたことがあります。手渡されたストップウォッチを手に「忙しいのに!」と腹立たしく感じたことを覚えているのですが、

 

 「忙しいのに!」は不正解。
 「忙しいからこそ」が正解。

 

 忙しいからこそ、その原因を探って、そこにメスを入れる必要があるというわけです。そうしないと、その忙しさは永遠に続いてしまいますから。ありがとう、社員さん。四半世紀以上経って、ようやくわかりました。遅っ。

 

 で、現状はというと。

 

 教育研究家の妹尾昌俊さんが、文部科学省の「教員勤務実態調査」(2016年実施)をもとに「どの仕事にどれくらい時間がかかっているのか」や「メスを入れるべきポイント」を明らかにしてくれています。

 

 

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小学校教諭の平日1日(妹尾さんの記事より)

 

 小学校教諭のデータを見ると、会議や分掌の仕事などを除くルーティーン(出勤してから子どもたちが下校するまで+今日の授業処理+明日の授業準備)だけで勤務時間をオーバーし、残業に突入していることがわかります。実感通りです。今後の成長のための投資や新しいチャレンジに割り当てられる時間なんて、項目すら存在していません。存在していないどころか、その概念の暗示すらありません。私たち教員が本来目指すべき「個人生活の犠牲を伴わない、プロとしての成長」は、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。

 

 では、どうすればいいのか。

 

 中学校はラスボスがはっきりとしています。「部活動」です。勤務時間外の部活動は職務ではありません。だから藤野悠介さんをはじめとする全国の勇気ある先生たちが力を合わせて戦っています。ここを何とかすれば、小学校よりも抱えている授業の数が少なく、教科担任制ゆえにひとつの授業を3年A組、3年B組、3年C組、……と再活用できる中学校は、個人生活を犠牲にしない働き方、生き方にグンと近づくことができます。一方、小学校のラスボスはというと、おそらくは「授業」です。

 

 小学校のラスボスは「授業」です。

 

 データからも明らかです。そもそも一人の先生が担う授業が多く、しかも国算理社英音図家体保総道それから行事に学級活動にとバラエティに富みすぎ。だから授業準備を含め、授業の在り方を変えない限り、個人生活は犠牲になり続けます。

 

 どうすればいいのか。

 

 イエナプラン(リヒテルズ直子さん)と『学び合い』(西川純さん)の考え方を参考にして、チョーク&トークの「教える」ではなく、自学ベースにしていけば、少しは変化が得られるような気がします。どちらも「みんな違う」を出発点にしているところと、カリスマ教師を必要としていないところにポイントがあります。カリスマ教師のイメージは、冒頭の引用でいうところの昭和型の男性社員です。以前にブログで紹介したリヒテルズ直子さんの言葉をもう一度引きます。

 

  • 日本や途上国で見られる一斉授業の前提は「みんな同じ」。一方で、オランダやデンマーク、北欧などの国々は「みんな違う」を出発点にしている。だから必然的に「自学」がベースとなる。
  • 日本でよく聞かれる、授業がきれいにできたとか、板書がきれいとか、そういう話はどうでもいい。
  • どう教えるか(知識伝達、Teaching Process)ではなく、どう学びを充実させるか(学習支援、Learning Process)が教師の腕の見せどころ。
  • 授業スキルではなく、教育学的環境づくり。日本の教育(先生たちの研究)は授業スキルに偏っている。

 

 

 ものすごい時間をかけて準備した研究授業や、個人生活を犠牲にした日々の授業よりも、子どもたちが自分でもってきたそれぞれの課題に集中して取り組んでいる夏休みの自習教室の方がよほど優れた授業(豊かな時間)なのではないかと、この夏、学年ごっちゃの自習教室の担当をしながら、そう思いました。教師は、自学する子どもたちの伴走者になればいい。授業のイメージをこのかたちに近づけていけば、個人生活の犠牲を伴わない、プロとしての成長も見えてくるかもしれない。

 

 授業が変われば、働き方も変わるかもしれません。
 働き方が変われば、授業も変わるかもしれません。

 

 神よ、  

 変えることのできるものについて、
 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、
 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、
 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
 識別する知恵を与えたまえ。  

 

 ラインホルド・ニーバーの祈り。

 

 私たちの祈り。

 

 

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