田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

川田龍平 著『川田龍平 いのちを語る』より。不幸だけれどしあわせ。

龍平 そうなのです。知らない、知識がないということが差別を生むことは少なくありません。理解しようとすることが大事なのです。ぼくは実際に大学で教えるようになって、ますます教育の必要性を感じました。今の大学生は薬害エイズのことも知りません。1980年代後半に生まれた、当時小学生だった子どもたちですから……。
~中略~
保田 薬害エイズのたたかいのなかで龍平君は「不幸だけれどしあわせ」と言っていたよね。HIV感染は不幸なことだけど、たくさんの人に出会えたのはしあわせだ、と。
(川田龍平『川田龍平 いのちを語る』明石書店、2007)

 

 幸福は幸福か。
 不幸は不幸か。

 

 こんばんは。映画や文学、神話の世界でしばしば用いられる上記のモチーフ。織姫と彦星を例にすると、「あの人に会いたい。でも会えない」のは不幸かもしれないけれど、「あの人にいつでも会える」のは幸福か、という話です。シェイクスピアでいえば、きれいはきたない、きたないはきれい。東京HIV訴訟(薬害エイズ事件)原告で、現在は参議院議員として活躍している川田龍平さんの「不幸だけれどしあわせ」という話もそういったモチーフをなぞります。

 
 過労死レベルで働いているけれどしあわせ。
 平均睡眠時間は6時間を切るけどしあわせ。
 休憩時間も残業代もほぼ0だけどしあわせ。

 

 いやいやいや。教師のプライドにかけて、そんなことはありません。ただのふしあわせです。不幸は不幸。わたし(普通の教員)の人生は映画でもなければ文学でもありません。もちろん神話でもない。かけがえのない子育ての時間はもう戻ってこないし、睡眠負債はとうの昔に返済不能です。

 

 ぼくは楽しく生きたいです。どうしたら楽しく生きられるか、と考えたら、いのちが大事にされること。人権、平和、環境――安全で暮らしやすい社会や環境があるから生きていける。それがなければ楽しく生きていくことは難しい。薬害エイズの裁判も、基本的な人権や平和、幸福追求権とかを保障する憲法がなければできなかったと思う。基本的な人権の尊重があってこそ、生きるということができる。でも、それが大事にされなくなっている。自殺者が年に3万人なんて! 生きにくい国ですよ、日本は。

 

 わたしもよく寝て、楽しく生きたい。

 

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銃撲滅モニュメント、カンボジアのプノンペンにて(01)

 

 24日に行われた萩生田文部科学大臣の記者会見で飛び出した「4%の調整額の上乗せっていうのは教師のプライドとして守っていってあげたい」というコメント。過労死撲滅モニュメントでもつくってほしい身としては、それは「月に100時間残業しても残業代として8000円(≒4%)しか支給されない」状況を全方位的に理解した上での発言なのだろうか(?)と、心配になります。

 

 

 知識がないということが差別を生むって、
 理解しようとすることが大事なんだって、

 

 先輩もそう言っているのに。そうそう、川田龍平さんは中学校のときの先輩です。面識はないものの、同じ76世代(川田龍平さんは早生まれ)の東京生まれ。

 

 東京でHIVの訴訟が起きたのは1989年です。しかし、ぼくは最初から裁判に参加していたわけではありません。先ほどお話したようにそのころのぼくは自暴自棄な生活を送っていました。病気のことは考えたくなかった。父と母はよく裁判のことで言い争いをしていました。母はエイズ予防法の反対運動にも参加していて裁判に参加することにも積極的でしたが、父は裁判には反対でした。勝つ見込みのない国相手の裁判でぼくがいのちをすり減らすよりも、健康第一に穏やかな日々を送ってほしいと父は願っていたのです。

 

 父も母も、辛かっただろうなぁ。父親の気持ち、わかるなぁ。その後「川田先輩」の母親は政治家になります。そうすると、川田先輩は二世議員になるのでしょうか。二世議員もいろいろです。

 

 ますます教育の必要性を感じました。

 

 川田先輩をはじめ、そんなふうに教育への特別な思いをもつ政治家さんの活躍に期待したいところですが、かつて文部科学副大臣を務めた鈴木寛さんのように、素晴らしい実績(学級編制標準の見直しや教員定数改善など)があっても選挙で落とされてしまう現状では、なかなか難しいのだろうなぁと思います。

 昨年、東京大学で行われたフォーラム(「教員の多忙化」を考える)で、鈴木寛さんが「教育は票にならない」と発言した直後に、力強く続けた次の一言が心に残っています。

 

 わたしがエビデンスです。

 

 うけました(笑)。

 

 普通の教員は「不幸だけれどしあわせ」のエビデンスにはなれません。多くの教員が「幸福のエビデンス」として、子どもたちの前に立つことができるよう、荻生田文部科学大臣には政治家のプライドにかけて、崩壊しつつある教育現場を守っていってほしいと思います。

 

 祈り。