外崎 炭治朗にとって、煉獄は彼の人生を変える大事な存在になっていきます。煉獄の言葉や表情、アクション、そして生き様を観ていただきたいです。
(映画パンフレット『鬼滅の刃 無限列車編』アニプレックス、2020)
おはようございます。昨日、映画『鬼滅の刃』を観に行きました。10月31日(金)のマル激・トーク・オン・ディマンド(無料放送回)で、社会学者の宮台真司さんが「82年のナウシカに匹敵する感動だったと思う」 (漫画は82年、映画は84年)と絶賛していたからです。具体的に何が匹敵するのかといえば、宮台さん曰く「ナウシカが利他的な存在であり、倫理を訴えるアニメだった」というところ。『鬼滅の刃』も「倫理を訴える作品」というわけです。
人間の本来あるべき姿は鬼にあらず、ナウシカや煉獄杏寿郎にあり。
マル激のタイトルが「『鬼滅の刃』が突きつける人間の本来のあるべき姿とは」となっているのもそのためでしょう。小学5年生の国語の単元『伝記を読み、自分の生き方について考えよう』にも関連づけられるかもしれません。鬼滅を観て、自分の生き方について考えよう。ありだなぁ。
漫画を読んだこともなく、テレビアニメを見たこともなく、主人公が誰なのかすらよくわかっていない状態で臨んだ映画館でしたが、しばしば「ウルッ」ときました。隣の席の青年も泣いていました。クラスの子どもたちもけっこうな割合で「泣いた」と話していました。小学生も担任も同時に泣かせる映画って、なかなかないですよね。主人公の炭治朗が、敵役の魘夢が見せる「夢」の中で家族に責められるシーンがあります。もちろん魘夢がでっちあげた「悪夢」です。炭治朗は激高して、こう叫びます。
「言うはずがないだろう、そんなことを、俺の家族が!」
最初の「ウルッ」です。高校生の長女と中学生の次女は興味がなさそうだったので誘いませんでしたが、連れて行けばよかったなぁ。
〇 誰が困っているかわかるか。
〇 助けを求められたときにサポートできたか。
〇 困ったときに助けを求めることができたか。
特に算数の授業のときには上記の3つを大事にするよう、子どもたちに話します。算数そのものも大事ですが、この3つの方がもっと大事だよ、と。算数ができる。もちろんそれだけでも素晴らしいことですが、その「算数ができる」という力を誰かのために役立ててほしい。そういった視点です。そういった視点に無頓着な先生もいますが、煉獄杏寿郎の言葉を借りれば《価値基準が違う》。
煉獄杏寿郎の母も同じようなことを言っています。曰く「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです」云々。いわゆるノブレス・オブリージュのようなもの。パラフレーズすると、修行して強くなるのは弱い人を助けるため。勉強するのも弱い人や大事な人を助けたり守ったりできるようになるため(+勉強そのものへの好奇心)。
映画『鬼滅の刃』について、宮台真司さん曰く《修業する理由は弱い者を守れないから。ただそれだけの理由。人より上に立ちたいからとか、人より尊敬されたいからといった動機はいっさい描かれない》。
— CountryTeacher (@HereticsStar) November 1, 2020
子どもたちが勉強する理由もそうあってほしい+勉強そのものへの好奇心。https://t.co/39L64isDY9
なぜ修行するのか。
なぜ勉強するのか。
一昨日、まだ映画は観ていませんでしたが、子どもたちに「なぜ勉強するのか」を話し合ってもらった後に、宮台さんが解説していた煉獄杏寿郎の母の話をしました。小学生だった頃にテレビアニメの「キャプテン翼」を見るたびに翌日の習い事のサッカーが楽しみで楽しみで仕方なかったように、この『鬼滅の刃』を観たことによって子どもたちが煉獄杏寿郎のような利他的な存在になりたくてなりたくて仕方なくなってくれれば、よい。伝記を読んで、感染する。映画を観て、感染する。宮台さんがよく言うところの「感染動機(感染による動機づけ)」です。
小学生に「勉強ができないのはその人の努力が足りないからである。イエスかノーか」と訊くと「イエス」と答える子が多い。8割くらい。しかも勉強が苦手な子に限って「イエス」と答えがち。盲目的な努力信仰が竹中平蔵さんのような考えを生む土壌をつくっている。教育のあり方がずれている。根は深い。
— CountryTeacher (@HereticsStar) November 1, 2020
とはいえ、現実には上記のツイートにあるように「勉強ができない人=努力が足りない人」というような見方をする小学生は多く、その見方はやがて「自己責任」論のような考え方、ここでいう竹中平蔵さん的な考え方に結びついていくのではないかと危惧します。教育を変えていかなければ、映画の最後に登場する猗窩座(鬼)のように「弱い人間が嫌い」という価値基準をもつ大人が増えてしまうのではないか、と。宮台さんも「社会に鬼が増えている」という見立てでした。令和というこの時代に、映画『鬼滅の刃』がヒットする必然性は大いにあるというわけです。
映画でわからなかったところを子どもたちに訊くのが楽しみです。
行ってきます。