私からすると、トッドがトランプ当選を理にかなっていると言ったのには、もっと大きな理由があるはずのように思えます。
それは家族類型のちがいによる教育熱心の度合いの差が、ここに来て顕在化してきていることではないでしょうか?
つまり、アメリカ合衆国の家族類型である「絶対核家族」というのはその本質からして教育熱心ではありません。しかし、移民集団によって濃淡があります。ドイツ系、北欧系、ユダヤ系、日本系、韓国系はもとは直系家族ですから、核家族に移行してもエスニック集団特有の思考法は保持されることが少なくありません。
(鹿島茂『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』ベスト新書、2017)
こんばんは。まだ学生だった頃、ハンガリーでF1観戦に興じるという贅沢を味わいました。身分不相応にわざわざ中欧まで足を運んだのは、モータースポーツのファンだったわけでも、調子に乗っていたわけでもなく、社会人になる前に父が働く姿を一度くらいは見ておきたいと思ったからです。父は当時、F1のタイヤを手がける老エンジニアであり、引退間際の企業人でもありました。
タイヤ開発を通して車社会に貢献する。
当時の父の口癖です。
少なくとも、平均よりは恵まれた家庭環境だったのだろうなぁと、田舎教師になったり都会教師になったりして様々な家庭とコンタクトをとるようになってから、そう思うようになりました。
家庭環境がよいとかそうでないとか、恵まれているとか恵まれていないとか、子どものころはそういったことにほとんど意識が向かいませんでした。クラスメイトの大半が同じタイヤ会社の社員のむすこやむすめという、いわゆる典型的な企業城下町で育ったために、洋服や食材を買うところもほとんど同じ、社宅は全く同じで、衣食住に関する貧富の差がほとんど見えなかったからです。しかし大人になり、教育現場、特に都会のそれに入ってみれば、
なんだよ出来杉、ハワイに行ってたのかよ。
俺なんか元旦から3日連続早朝マックだよ。
そんな声が聞こえてきて、いやが上にも貧富の差を感じさせられる毎日に直面することになります。さいわい元旦マックの「俺」はとてもやさしい子で、ぐれたりはしていませんでしたが、それでもやはり出来杉くんとの学力差(テスト学力や言語能力)は圧倒的で、教育熱心ではない核家族って厳しいなぁと思わずにはいられませんでした。家族人類学者エマニュエル・トッド言うところの、教育熱心とされる「直系家族」(日本やドイツ)の思考法も、核家族化が進むに連れて、年々忘れられていくばかりです。
鹿島茂さん曰く《核家族化が進むと、教育レベルは必ず下がります》云々。
ちなみに有名な「トッドの4つの家族類型」は、家族における父親の権威が強いかどうか、兄弟関係が平等か不平等かで家族を大きく4つのタイプに分類したものとして知られています。なお、日本は直系家族で、父親の権威が強く、兄弟関係が不平等というカテゴリーに分類されています。
- 直系家族 ドイツや日本、韓国など
- 共同体家族 ロシアや中国、フィンランドなど
- 平等主義核家族 フランスやスペイン、ポーランドなど
- 絶対核家族 アメリカやイングランド、オーストラリアなど
直系家族は社会民主主義や自民族中心主義、ヒトラー型ファシズム(ナチズム)に親和的、共同体家族は共産主義(スターリン主義)や一党独裁型資本主義に親和的、平等主義核家族は共和主義や無政府主義(サンジカリズム)に親和的、そして絶対核家族は自由主義や資本主義(市場経済)に親和的とされます。曰く《この四類型が互いに影響しあいながら歴史は変容し、多様なイデオロギーや思想、文化を生み出していく》というわけです。
父親の権威が強く、「地震、雷、火事、親父」といわれていた時代があったことを考えると、思春期の長女(中3)と次女(小6)が揃ってあらぶっている我が家は、すでに直系家族の体をなしていないのかもしれません。
教育レベルもだだ下がりか?
夏休み明けに多くの小学校で開かれている、自由研究や旅行記などを展示する「夏休み作品展」も、子どもたちの作品に「正月ハワイと元旦マック」くらいの差があり、考えものだなぁと思います。夏休み作品展というより、教育熱心の度合いの差を顕在化した、
家族のかたち作品展。
エマニュエル・トッドの家族類型の理論モデルを補強する材料としては「よい」かもしれません。
週末、実家に帰省しました。母の誕生日を祝うためです。ネギの苦手な父に続いて、後期高齢者の仲間入りを果たした母。 父の激務(ブラジルグランプリから帰ってきたその足で出社するなんてことも!)を支えつつ、核家族のマイナス面にも配慮しながら二人の子どもを育ててくれた母には、感謝しかありません。
家族のかたち。
思うこと、多。