今後、日本の経済力が上がるかどうかは、ストリート・スマートをどれだけ輩出できるかにかかっているといってもいい。
ところが日本の教育界はこの期に及んで、まだアカデミック・スマートを育てることしか頭にないようだ。
(大前研一『マネー力 資産運用力を磨くのはいまがチャンス!』PHPビジネス新書、2009)
おはようございます。2001年、春。ラオスの首都ビエンチャンの郊外を逍遙学派よろしくフラフラとしていたときのこと。近くにある民族博物館にでも行ってみようかなと思った矢先、見るからにツーリスト・フレンドリーな高校生の男の子と知り合いました。
ウドンくんです。
流暢ではないものの、英語も日本語もそれなりに話すことのできるウドンくん。どこで覚えたの(?)と訊ねると、ストリート(!)という答えが返ってきました。カッコいいなぁ。いわゆるアカデミック・スマートではなく、ストリート・スマートってやつです。ロバート・フルガムに『人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』というタイトルの本がありますが、ウドンくんの場合は「人生で必要な知恵はすべてストリートで学んだ」となるでしょうか。ウドンくんにとってはストリートが学校というわけです。
ストリート = 学校。
おそらくは自分の名前の発音が日本のメジャーな食べ物と同じだということを日本のツーリストに教えてもらったのでしょう。そしてそのことをネタに私のような暇人をつかまえ、日本語を学ぶチャンスを自らつくり、そのチャンスを梃子に自らを成長させていたのでしょう。リクルート(株)の社訓を引けば「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」ってやつです。場づくりのセオリーでいえば「私が場をつくり、場が私をつくる」です。そしてこのような振る舞いこそ「生きる力」であり「主体性」であり「学びに向かう力」です。板書がどうとか、発問がどうとか、そういった職人的な「教え方」云々は関係ありません。公教育に必要なのは、ウドンくんにとってのストリートに当たるような教育学的環境づくりにもっと知恵と予算を投下すること。
難しいですが、それに尽きます。
ネタついでにウドンくんの自宅でバケツに入ったうどんらしきものをご馳走になりました。その後、ウドンくんの通う学校へ。
当時の日記には「学校に着いてから校長先生に紹介され、その後、授業を見せてもらう」とあります。生徒が突然連れてきた外国人ツーリストに対しても驚くほどに寛容でフレンドリーな学校&校長先生&生徒たち。日本が先進国でラオスが後進国だなんてとても思えません。
そのフレンドリーな校長先生が、第二次世界大戦前後のラオス史に関する歴史の授業を見せてくれました。校長先生も授業をするっていうところが、よい。担任の空きコマが増えるから、よい。
電気も扇風機もない狭い教室で、ときおり私のために英語を交えながら進められていく講義型の授業。日本のような、いわゆる無償配布の教科書がないという事情もあってか、校長先生が語り、生徒はその言葉を黙々とノートにとるというだけのシンプルな授業でしたが、みな真剣そのものでした。
教室の暑さと、間断なく続く鉛筆の音。
途中、原爆の話が出てきて、校長先生「大変でしたね」、私「はい」というような目配せレベルのやりとりがあったり、黒板に描かれたキノコ雲を見てやっぱり世界史的な惨事なんだよなぁと思ったり。
授業が終わると、ウドンくんたちはちょっとした軽食を楽しみ、その後は男女でワイワイとスポーツ(遊び)に興じていました。日本の子どもたちよりもラオスのような国々の子どもたちの方が目が輝いている、そういった話をしばしば耳にすることがありますが、小学生についていえば、あまり変わらないような気がします。違うのは、中高生かな。ウドンくんをはじめとするラオスの中高生は、おもいっきり無垢な感じでした。1ミリもすれていない。これも学校(だけ)が子どもたちを囲おうとせず、アカデミック・スマートを育てることにそれほど意欲的ではないからなのかなぁと思います。大切なのは、家族や仲間とゆるやかにつながりながら、自分らしく生きていくこと。
一昨日の夜に師匠とも話しましたが、学校は午前だけでよい。午前に5時間、そして午後は地域というかストリートに任せる。そうすれば、きっと驚くほどの変化が起こります。その変化を、見たい。ガンジーはこう言っています。あなた自身が、見たいと思う変化になれ。
見たいと思う変化に。
なれますように。