田舎教師ときどき都会教師

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佐渡島庸平 著『ぼくらの仮説が世界をつくる』より。ぼくらの仮説とぼくらの贈与が学校をつくる。

近内:それに、仮説は言った人間の責任になる点が重要だと思います。「私はこう考えている。こうなるはずなんだ」と表明することなので。仮説を立てた人がずっと責任を引き受け続けるからこそ、やっぱり考え続けるし、よりいい仮説に至る。その仮説が、どうすれば他の人に伝わるかを考えて、言語化する。そこに、エネルギーが出てくると思っています。
佐渡島:そうですよね。『ぼくらの仮説が世界をつくる』というのは、「ぼくらの曖昧な思考で世界ができている」ということです。その曖昧な思考の中には、まさにたくさんの「贈与」が入り込んでいる。だから『世界は贈与でできている』と『ぼくらの仮説が世界をつくる』って、実は兄弟みたいなタイトルだなと思っています。

(佐渡島庸平『ぼくらの仮説が世界をつくる』PHP文庫、2021)

 

 こんばんは。ツイッター等のSNSだけでなく、昨日、自民党の新型コロナ対策本部の幹部会合でも「夏休みの延長」を求める声が上がったそうです。無理もありません。明日は我が身の感染状況です。これから学校は、どうなっていくのでしょうか。

 

 ここで仮説です。

 

 もしもコルクの佐渡島庸平さんが小学校の教員だったら、おそらくは著書『ぼくらの仮説が世界をつくる』を援用し、次のような言葉を紡ぐのではないでしょうか。

 ぼくは「学校がどうなるか」を心配する時間があるなら、「学校をどうするか」を考えたいのです。世界と同じように、学校も、誰かが思い描いた「仮説」でできています。一斉授業も『学び合い』も学習の個別化も。イエナにシュタイナー、ドルトンやモンテッソーリだって。私たちの身のまわりのものは、ほとんどがたった一人の「仮説」から生まれたものなのです。

 

さて、あなたの仮説はなんですか?

 

 

 佐渡島庸平さんの『ぼくらの仮説が世界をつくる』を読みました。クリエイターのエージェント会社・コルクを創業した佐渡島さんの「思考法」がわかる一冊です。講談社時代の話や、南アフリカ共和国で過ごしたという中学時代の話など、ある種の自伝として読める一冊でもあります。章立ては、次の通り。

 

 第1章  ぼくらの仮説が世界をつくる
 第2章 「宇宙人視点」で考える
 第3章  インターネット時代の編集力
 第4章 「ドミノの1枚目」を倒す
 第5章  不安も嫉妬心もまずは疑う
 第6章  仕事を遊ぶトム・ソーヤになる
 特別対談 ぼくらの贈与が世界をつくる

 

 タイトルになっている第1章と、文庫化にあたって収録された特別対談が、よい。第1章と特別対談のキーワードになっている「仮説」と「贈与」に言及すれば、この本の魅力が伝わるのではないかという仮説を立て、以下続けます。

 

 リアル書店にて。

 

 平積みされていた本の帯に目がとまりました。白地に黒で「近内悠太氏、対談。」とあります。近内さんといえば、そうです、資本主義の「すきま」を埋める倫理学こと『世界は贈与でできている』の著者であり、リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」で講師を務める教育者でもあります。

 

 贈与は、受取人の想像力から始まる。

  

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 半年前、近内さんの『世界は贈与でできている』を読み、感想をブログに書いてツイートしたところ、さすがは「贈与」の近内さんです。なんと、DMでメッセージを届けてくれたんです。続けて、リツイートも。ファンを喜ばせるにあたって、これ以上の「贈与」はありません。いいねだけでなく、親近感もうなぎ登り。その高まった親近感の延長線上に「あっ、『近内悠太氏、対談。』って書いてある、しかも佐渡島さんの本だ、買おう」という流れが生じます。いわば、

 

 作者と読者の最近説領域。

 

 そうです、そのような流れとヴィゴツキー的な領域をいち早く予言していたのが、当時はまだ講談社の編集者だった佐渡島さんなんです。

 

 ぼくは、これからの日本の出版業界において、「エージェント業」というものが立ち上がることが、出版・コンテンツビジネスの活性化にとっても、一人ひとりの作者にとっても、読者にとってもいいんじゃないか、という仮説を立ち上げました。

 

 この仮説が、社会の検証に耐え、コルク創業後に《これからのコンテンツビジネスは、「いかに親近感を持ってもらうか」が課題になってきます。どれだけファンと接点を持つかが大切になってくるのですという定説をかたちづくっていくことになります。ちなみに仮説は《日々作家と過ごす経験をもとに考えだした》とのこと。つまりこういうことです。贈与と同じように、

 

 仮説も、受取人の想像力から始まる。

 

 作家と過ごす日々の中で、差出人と受取人をつなげれば三方よしになるんじゃないかって、受取人としての想像をたくましくして仮説を立ち上げたことが、コルクというクリエイター・エージェンシーを生み、小山宙哉さんの『宇宙兄弟』や、三田紀房さんの『ドラゴン桜』のメガヒットにつながったというわけです。

 

 仮説は他にもあります。例えば、これ。

 

「ITを使って心理的距離を縮め、感情をシェアするサービスを生み出すことで、同じ嗜好を持った人びとが集まるコミュニティが生まれるだろう。そうすれば、作家は、誰にも読まれないのではないかと怯えることなく、作品をつくれるようになるはずだ」

 

 質のよい本はたくさんあるのに、本について語る場、語る習慣はほとんどない。だから出版不況が起こっているのではないか。親近感の話ともつながりますが、そういった問題意識をベースにした仮説です。

 この仮説で思い出したのが、以下のブログに書いたことです。渋谷のブックカフェで行われた、映画『マチネの終わりに』を語る会。そうか、コルクの社員さんは、この仮説を検証しようとしていたんだ。それにしても、人見知りの私を渋谷くんだりまでおびき寄せるなんて、

 

 仮説の力、おそるべし。

 

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 でも、このように自分で仮説を立てて、情報を集めて、仮説を補強して実行していると、仕事が楽しくなっていきます。

 

 保護者や地域住民に、いかに親近感を持ってもらうか。教員の働き方改革を推進するにはどうすればいいのか。コロナ禍における学校、或いは学級をどのようにマネジメントしていくか。佐渡島さんの『ぼくらの仮説が世界をつくる』を読むと、それぞれに「仮説」を立てて実行していくことが楽しみに思えてきます。それもまた、贈与でしょうか。

 

 ぼくらの仮説が学校をつくる。
 ぼくらの贈与が学校をつくる。

 

 おやすみなさい。