閉塞感を感じたら、とりあえず移動してみる。旅をしてみる。
これは、私たちが生きていくうえでも有効だと思います。
どこかに行けば、今抱えている問題が解決するとは思わないけれど、自分が何にとらわれていたのかに気づくことはできる。
人間にとってすべてボーダレスがいいかっていったら、最初から「壁」が何もない場所だと、案外、何も考えられない気がします。そこに「壁」っていうものがあることからこそ「壁を越えなければいけない」という概念も生まれてくるし、そこに「壁」なんてないように見えても、それは単に自分が井の中の蛙だからかもしれない。
(ヤマザキマリ『国境のない生き方 私をつくった本と旅』小学館新書、2015)
おはようございます。昨夜、漫画家で旅人で読書家のヤマザキマリさんの本を読みました。国境という言葉と、副題の「私をつくった本と旅」に惹かれ、昨日の帰りにフラッと立ち寄った書店で手に取った本です。
当たりだ~🎵
映画『テルマエ・ロマエ』を観ていたのにもかかわらず、プログラムも買って読んでいたのにもかかわらず、ヤマザキマリさんの「本」にはまだ出会っていませんでした。上記に引用した本の中で、ヤマザキマリさんは三島由紀夫の本との出会いを「今度こそ出会うべくして出会うタイミングだったのでしょう」と書いていますが、気分としては、まさにそんな感じです。
インドの東北部にある紅茶の町ダージリンからジープに乗り(定員6人なのに、12人乗車!)、シリグリーという交通の要衝みたいなところを経由した後に陸路でネパールに入ったときの写真です。
国境の町に特有の、こういった「混ざる感じ」っていいなぁと思います。ボーダーはあるけれど、否、ボーダーがあるからこそ、混ざる。ヤマザキマリさんの言葉を借りれば、壁があるからこそ考える。閉鎖的と揶揄されることの多い「学校」や「教室」にも、この「混ざる感じ」を取り入れたいところです。
ちなみにインドのイミグレーションを出た後には大きな橋があって、その橋を徒歩で渡るとネパールのイミグレーションにたどり着きます。橋の上はインドでもなくネパールでもない、島国に生きる日本人にとってはちょっとワクワクする空間。ちょうど今日は天皇の即位の礼がありますが、退位から即位までの、まぁ、基本的には「ない」とされる空位みないなものだなぁと思います。新しい国に入る直前はワクワクするように、新しい時代入る直前も、ワクワクが止まりません。
こんなところにも小学校があって、 こんなところにも小学生がいる。授業の見学は断わられてしまいましたが、授業がはじまるまでの短い時間にたくさんの元気をもらうことができました。ラオスの子、ちょっと日本人に似ています。
小学校のことを教えてくれたのは、ゲストハウスの女将さん(?)で、私と同い年のママでした。国境の、こんな山奥で、同い年の女性がこういう人生を送っているっていうのを知ることも、ヤマザキマリさんいうところの「自分が何にとらわれていたのかに気づく」ためには、必要だなと思います。
田舎やら都会やら、県をまたいで「先生」になると、指導案に判子を押す学校とそうでない学校があることや、通知表に校長印を押す学校とそうでない学校があること、学芸会や展覧会などの行事が目白押しの学校とそうでない学校があることなど、違いに目がいく経験を多くします。自分が何にとらわれていたのかに気づく経験ともいえます。
制度ではなく、慣習の違い。
ソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』を引きつつ、前回のブログでも書きましたが、制度(法)ではないのだから、単なる慣習なのだから、過労死レベルで働いているのだから、やめましょうよ、いろいろなこと。やめてもいい慣習(悪い習慣)が、教育現場には五万とあります。問題は「やめましょう」と提案しても、なかなかやめられないこと。
今さらやめられない。
空気にあらがえない。
負けることが自明だった日米開戦をなぜやめられなかったのか。或いは、原発をやめられない社会をどうするか、みたいな話です。社会学者の宮台真司さんが、昔よくそう言っていました。
通知表の所見くらい、せめて年1回にしましょうよ。次年度から始まる新しい学習指導要領を見据え、新旧が「混ざる感じ」のするこのタイミングで。ワクワクをつくりましょうよ、校長先生&副校長先生。麹町中学校の工藤勇一校長先生を例に出すまでもなく、宿題をやめただけでも「ヒーロー」ですよ、今の時代。「一」番大切なのは「勇」気ってこと。
どのように提案するか。
どのように壁を越えるか。
壁の前で空を見上げる毎日です。